雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

善人も悪人も ・ ちょっぴり『老子』 ( 68 )

2015-06-19 10:54:06 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 68 )

               善人も悪人も

なぜ『道』が貴ばれるか

「 道者萬物之奥、善人之宝、不善人之所保。美言可以市、尊行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。古之所以貴此道者何。不曰以求得、有罪以免耶。故爲天下貴。 」
読みは、「 道は萬物の奥にあって、善人の宝、不善人の保んぜられる所なり。美言は以って市(ウ)るべく、尊行は以って人に加うるべし。人は不善なるものも、何の棄つることこれ有らん。故に天子を立て三公を置くときは、拱璧(キョウヘキ)以って駟馬(シバ)に先立たせることありと雖も、坐して此の道を進むに如(シ)かず。古の此の道を貴(タット)ぶ所以(ユエン)の者は何ぞや。以って求めれば得られ、罪有るも以って免れると曰(イ)わずや。故に天下の貴となる。 」
文意は、「 道は萬物の奥にあって目立たない存在であるが、善人は之を宝とし、不善人は之により安んぜられ生かされている。道を伝える立派な言葉は売ることが出来、道を伝える立派な行為は人に益を与えることが出来る。道は、不善人と雖もどうして棄てることがあろうか。故に、天子が立てられ三公(三つの高官)が置かれて政治が行われるにあたって、これらの為政者に拱璧(両手で持つほどの美玉)を先にし、さらに四頭立ての馬車を献上しようとする者より、坐して此の道を進言する者の方が、はるかに優れたものを贈っているのである。古の人が此の道を貴ぶのは何故か。それは、求める者は得られ、罪有る者は免ぜられる、と言われているではないか。故に、道は天下で最も貴いものとされているのである。 」

『道』がいかに優れ、有用なものであるかが述べられている章ですが、文章の流れはぎくしゃくしていて意味がうまくつながらないように思われます。
多くの研究者も、文章の混乱や脱字があるのではと指摘しているようです。

善人も悪人も

この章がまとまりを欠いていることは確かですが、『道』というものの偉大さを説いていることは十分に伝わってきます。
『道』は善人にとっては宝となり、不善人にとっても、その身が守られているのだというのです。
また最後の部分では、求める者には得られるものが有り、求めることもない罪ある者も、その罪が免ぜられるというのです。

このように、『道』というものを修得すれば、自分が善人であれ不善人つまり悪人であれ、それなりに得ることの多い素晴らしいものであることはよく分かるのですが、さて、どうすれば修得できるのかということになれば、ここまで読み進んできても全く分からないのですよ、ねぇ…。
ただ、断片的には、幾つかのヒントのようなものは学ぶことが出来ていると思いますので、それらを実践することは無理としても、真似事だけでも心がけたいとは思うのです。

     ★   ★   ★


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大事は小事に始まる ・ ち... | トップ | 平和共存 ・ ちょっぴり『... »

コメントを投稿

ちょっぴり『老子』」カテゴリの最新記事