北家の祖藤原房前 ・ 今昔物語 ( 巻22-3 )
今は昔、
房前の大臣(オトド)と申される方がいた。
この方は、淡海公(藤原不比等)の三男である。生まれつきたいへん優れた才能を持っておられたので、淡海公が亡くなられた後、世間の評判もたいへん良く、すぐに大臣にまで上られた。
淡海公には子が四人おいでだったが、この大臣が跡を継いだが、この方が北家の祖である。
現在まで氏の長者として栄えているのは、この大臣の子孫である。この大臣のことを三ショウ門(サンショウモン・誤字らしく、正しい文字・読み・由来ともに不祥)とも申される。また、河内の大臣とも称した。それは、河内の国、渋河郡に別荘を造り、すばらしくて風流な様子で住んでいたからである。
この大臣の御子には、大納言真楯(マタテ)と申す方がいる。この大納言は、年若く大臣にもならないで亡くなられたので、その御子である内麿と申される方が大臣にまでなって、その家をお継ぎになった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
* 房前は、不比等の二男であり、本書でも前項ではそのように記されている。三男とあるのは、単なる誤記で、他意はないと思われます。
また、房前は大臣にはなっていない。
☆ ☆ ☆
今は昔、
房前の大臣(オトド)と申される方がいた。
この方は、淡海公(藤原不比等)の三男である。生まれつきたいへん優れた才能を持っておられたので、淡海公が亡くなられた後、世間の評判もたいへん良く、すぐに大臣にまで上られた。
淡海公には子が四人おいでだったが、この大臣が跡を継いだが、この方が北家の祖である。
現在まで氏の長者として栄えているのは、この大臣の子孫である。この大臣のことを三ショウ門(サンショウモン・誤字らしく、正しい文字・読み・由来ともに不祥)とも申される。また、河内の大臣とも称した。それは、河内の国、渋河郡に別荘を造り、すばらしくて風流な様子で住んでいたからである。
この大臣の御子には、大納言真楯(マタテ)と申す方がいる。この大納言は、年若く大臣にもならないで亡くなられたので、その御子である内麿と申される方が大臣にまでなって、その家をお継ぎになった、
となむ語り伝へたるとや。
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* 房前は、不比等の二男であり、本書でも前項ではそのように記されている。三男とあるのは、単なる誤記で、他意はないと思われます。
また、房前は大臣にはなっていない。
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