総選挙は、早くも各選挙区の当落予想や、各党の獲得議席数などの予想が報じられています。
報道機関によって、若干の差があるのは当然ですが、その報道によって結果に微妙な影響が出ることもあるようです。また、一覧表になっているデーターにはそれほど差がない場合で、見出しの表現にかなり差があるようです。何か意図があるような気がしてなりません。
また、注目を集めている選挙区の候補者の演説などが報道されていますが、主張されていることにはかなりの差があり、なるほど、国会で本格的な論戦が難しいことが分るような気がします。
そうした中で、共通と言ってよいような主張もあります。比較的年齢の低い人は「若さ」を強調し、比較的高齢と思われる人は「経験」を強調しています。国会議員の資質には、どちらがより必要とされるのでしょうかねぇ。
そう言えば、自民党の総裁選挙では、30歳台から70歳台まで幅広い人が立候補していました。立憲民主党の場合は、むりやり女性の立候補者を生み出したかのように見えましたが、もしかすると、両党とも、政治には幅広い人材が関わるのが良いと考えているのでしょうか。それとも、幅広い層の支持を得るためだけだったのでしょうか。
国会議員に適正な年代というものがあるのかどうか知りませんが、スポーツなどには、種目によって強い年齢層はあるようです。オリンピックのメダル獲得者を見てみますと、競技種目によって、かなり年齢層に違いが見受けられます。スポーツの世界以外でも、同様の傾向はあるものなのでしょうか。
あるセミナーで、「若さを失ってはいけない」という論点で、アメリカの詩人であるサミエル・ウルマンの「青春の詩」の冒頭部分、「青春とは、人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」という所を再三紹介して、「青春は年齢ではないのだ。心のあり方しだいだ」と強調されました。
聞いている人の多くは、30~40台ぐらいだったと思うのですが、自分たちが青春時代だとは思っていないまでも、それほど年寄りだとも思っていない年代でした。60歳をかなりすぎていると思われる講師の絶叫は、少々痛々しく感じた記憶があります。
「青春」という言葉は、もともとは「春」を表す言葉だったようです。また、陰陽五行説では15歳から29歳までを指したようです。青春映画という言葉が現在でも使われているのかどうか知らないのですが、この場合も、似た年代を対象にしているのではないでしょうか。
「若くありたい」という願望を持つ人は少なくないと思います。古い友人と出会ったときには、ついついその時代に戻ってしまい、若い頃を懐かしむこともあります。
しかし、そうとう長い間飯を食ってきた人が、「今も青春真っ只中だ」だなどと胸を張られますと、「ご苦労さん」と言いたくなってしまいます。
そう言えば、立ち上がるときに「どっこいしょ」と思わず口にすると、周りの人からは「年寄りみたい」という声が飛んできます。十分年寄りの人に対してでも同様です。
この「どっこいしょ」という言葉の語源には諸説あるようで、一つは、掛け声などから来たというものです。例えば、河内音頭には「イヤコラセー ドッコイセー」と言う部分がありますが、ここからの転嫁らしいのです。もう一つは、修験者や行者が険しい山道を「六根清浄(ロッコンショウジョウ)」と唱えながら行くのを見て、生れたというものです。どちらにせよ、「どっこいしょ」は由緒正しい言葉なのです。
また、ある研究では、立ち上がるときにこの言葉を出せば、ギックリ腰や転倒防止などの予防になり、実力以上の力が出せるらしいですから、遠慮せずにどんどん「どっこいしょ」を口にしましょう。
いつまでも元気でありたい、若くありたい、というのは、素朴な願いだと思います。
しかし、人は、確実に老いていきます。いろいろな競技や技術や思考などにも、最適の時期があるかもしれませんが、その年齢でなければ感受できないレベルというものがあると思うのです。
年を数えるごとに失うものがあるだけ、何かを得ることが出来るはずだと思って、人生をキョロキョロ生きるのも面白いかも知れませんよ。
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