ちょっぴり『老子』 ( 80 )
天網恢恢
何に勇気を奮うのか
「 勇於敢則殺、勇於不敢則活。此両者、或利或害。天之所悪、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不争而善勝、不言而善應、不召而自来、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。 」
『老子』第七十三章の全文です。
読みは、「 敢(カン)に勇なれば則ち殺、不敢に勇なれば則ち活。此の両者、或いは利或いは害。天の悪(ニク)む所、孰(タレ)か其の故を知らん。是を以って聖人もなお之を難しとす。天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自ずから来たり、繟然(センゼン・ゆったりとしている様)として善く謀(ハカ)る。天網恢恢(テンモウカイカイ)、疏にして失わず。 」
文意は、「 事を成すことに勇を振るう者は人を殺し自分を殺すが、何も成さないことに勇を振るう者は人を活かし自分も活きる。この二つの有り方は、一方に利があり他方に害があることは明白である。害のある振る舞いは天の憎むところであるが、誰がそのことを知っているだろう。そういうことであるから聖人といえどもその判断は難しいとしている。天の道は何物とも争わずして何物にも善く勝っている。何も言わずして万物の願いに善く応えている。招かずとも自然に集まってくる。ゆったりとしていながら善く謀られている。天の網は広大で、目が粗いように見えるが決して取り逃がすことがない。 」
物事を成そうと必死になれば、争うことが多くなり、人を殺し、自分を殺すことになる。物事を成そうとしないことに必死になれば、人も自分も活かすことになる・・・。これは、一貫した『老子』の教えといえます。
ただ、物を成す、成さないといっても、その両者を判断することは聖人と呼ばれるような人でも難しい、とも言っています。
単純に、何も成さないで、首をすくめていれば良いということとは違うようです。
天網恢恢疎にして失わず
最後の部分の「天網恢恢疏にして失わず」の部分は、私などは「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉で覚えていましたので、そのようなテキストもあるはずです。
実は、私はこの言葉がとても好きで、この言葉と出会ったことから『老子』を学ぼうと思ったと言っていいほどです。
「天の網はとても大きくて、網の目もとても粗いが、天下の悪事を決して逃さない」といった意味と私は受け取っていますが、それほど大物に限ったことではなく、私などが、小ずるい知恵を働かせて何か得になっているような行動を、きっと「天」は、あるいは『老子』は、笑いながら見ているのだろうと考えると、何だか肩の力が抜けていくような気になるのです。
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天網恢恢
何に勇気を奮うのか
「 勇於敢則殺、勇於不敢則活。此両者、或利或害。天之所悪、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不争而善勝、不言而善應、不召而自来、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。 」
『老子』第七十三章の全文です。
読みは、「 敢(カン)に勇なれば則ち殺、不敢に勇なれば則ち活。此の両者、或いは利或いは害。天の悪(ニク)む所、孰(タレ)か其の故を知らん。是を以って聖人もなお之を難しとす。天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自ずから来たり、繟然(センゼン・ゆったりとしている様)として善く謀(ハカ)る。天網恢恢(テンモウカイカイ)、疏にして失わず。 」
文意は、「 事を成すことに勇を振るう者は人を殺し自分を殺すが、何も成さないことに勇を振るう者は人を活かし自分も活きる。この二つの有り方は、一方に利があり他方に害があることは明白である。害のある振る舞いは天の憎むところであるが、誰がそのことを知っているだろう。そういうことであるから聖人といえどもその判断は難しいとしている。天の道は何物とも争わずして何物にも善く勝っている。何も言わずして万物の願いに善く応えている。招かずとも自然に集まってくる。ゆったりとしていながら善く謀られている。天の網は広大で、目が粗いように見えるが決して取り逃がすことがない。 」
物事を成そうと必死になれば、争うことが多くなり、人を殺し、自分を殺すことになる。物事を成そうとしないことに必死になれば、人も自分も活かすことになる・・・。これは、一貫した『老子』の教えといえます。
ただ、物を成す、成さないといっても、その両者を判断することは聖人と呼ばれるような人でも難しい、とも言っています。
単純に、何も成さないで、首をすくめていれば良いということとは違うようです。
天網恢恢疎にして失わず
最後の部分の「天網恢恢疏にして失わず」の部分は、私などは「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉で覚えていましたので、そのようなテキストもあるはずです。
実は、私はこの言葉がとても好きで、この言葉と出会ったことから『老子』を学ぼうと思ったと言っていいほどです。
「天の網はとても大きくて、網の目もとても粗いが、天下の悪事を決して逃さない」といった意味と私は受け取っていますが、それほど大物に限ったことではなく、私などが、小ずるい知恵を働かせて何か得になっているような行動を、きっと「天」は、あるいは『老子』は、笑いながら見ているのだろうと考えると、何だか肩の力が抜けていくような気になるのです。
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