桂離宮の帰りに寄るのは定番。栗おこわがあり、1合830円を購う。ほくほくの栗がごろごろ入り、もっちりおこわと合わせてお酒にも合う。
お昼におでんとあわせ愚妻と分け合い、つい一杯。
秋はおいしいものが多い、栗おこわから秋が始まる
桂離宮の帰りに寄るのは定番。栗おこわがあり、1合830円を購う。ほくほくの栗がごろごろ入り、もっちりおこわと合わせてお酒にも合う。
お昼におでんとあわせ愚妻と分け合い、つい一杯。
秋はおいしいものが多い、栗おこわから秋が始まる
旅館ではない席貸(遊郭の妓楼まがい、東京のもとの待合(1948年以降は「(料理を作らず、仕出しを頼む)料亭」に相当)が1930年ごろ上下木屋町、祇園の東にある下河原と安井にあった。一種の茶屋であり、宴会や泊りもできるという「風俗業」であった。
上下木屋町は連続する花街の一部だった。北から東三本木(旧花街)、上木屋町(席貸しで片側町(鴨川の河岸))、先斗町、西石垣(さいせき)、下木屋町(席貸しで片側町(鴨川の河岸))が鴨川西岸、高瀬川東に細長く続く→上下木屋町は片側町では騒ぎ放題、対岸からしか見えないという好立地。
雇仲居は「酌婦」で素人風(→関東の飯盛り女の移入か)、漢字は新研芸妓(新妍(姸)芸妓)、京都名物として真葛ヶ原(現円山公園)の男配膳に対する女配膳で下河原(八坂神社の南門前、高台寺あたり)の(配膳)山猫、雇仲居倶楽部も四条高倉はじめ各所に、京名物ともある→席貸での「エロ」とある。芸妓より安くて気安い美人もいる(花名刺持つ)
つまりはお泊り宴会のできる席貸で、本格的な芸妓ではなく、素人じみた酌婦相手にいろいろな「エロ」ができるというのが売りのようだ。当時は祇園よりも高いようだ。
下河原も祇園閣と音楽堂で道には自動車が多くなり風情がなくなり席貸ゾーンで一世を風靡した。検番もあった。
この雇仲居と席貸が衰退し、その跡がラブ・ホテルになった。現在でも安井に多いのはそのため。つまりは、金で雇うから恋愛への進化だ。
著者は「貸席」の研究が好みのようだ。
その他、知見は:
・四条河原町の夕涼みは中津でしていた。その後、河床の掘削と河川幅減少で両側から張り出しの「床」が発生→明治期以降の土木工事の検証が薄い、高水方式への転換がある、1935年の大水害以降、鴨川改修が行われた( http://www.pref.kyoto.jp/kamogawa/documents/1175491647483.pdf )
・「かにかくに祇園はこひし寐るときも枕の下を水のながるる」で有名な吉井勇の泊まった「大友」は第二次世界大戦中の建物疎開(防火帯整備)のため取壊し、現在は白川南通になり観光客が白川を眺める
・第二次世界大戦前までは祇園で雑魚寝のお泊り夜更かしができた
面白いが、まとまりや、年次管理に不満がある。
学生街のとんかつやで烏賊京の基地のよう。子供も大学時代にしばしば訪れていた。愚妻と初めて訪問。混雑し、色々な塩やポン酢がある。
ヒレ(ドゥミグラス・ソース:980円)とミックス(エビ、魚、ヒレ一口、ミンチ:960円)と安い。ガルニはキャベツとポテト・サラダ、辛子に大盛のご飯(さらに大盛は残さなければ無料)、赤出汁、沢庵2切れ。
肉をたたくお店で、そのため肉のうまみというより、からりとした衣とドゥミグラス・ソースでご飯を食べるのが狙い。学生の胃袋に照準をあわせる。アラカンには重いお味で、「みぞれかつ」を選べば良かった。また、ここの生姜焼きもうまい、油がない分ご飯が食べられる。
キャベツが少ないのが難点。赤出汁も独自で出汁を感じない。豚汁に追加支払いで変更が良いようだ。
御職はカツ丼で、2枚乗る上の大盛は壮観。裏メニューに「かつ皿」もあるようだ。ジャンボ・ロース・カツは厚さがあり高校生や体育会に最適。
ビールが安全だが痛風に悪いため、やむなくライム・ハイ(400円)にしたが、どぎつい色で甘く、反省した。
今度は、おろしカツと生姜焼きにしようと、やむなくご飯を残して満腹で店をでる
愚妻と日帰りは、10月1日から京阪京都交通で始まる「美山ネイチャー号」。高速長岡京(阪急の西山天王山駅接続)で9:11に乗り、帰りは17:13とお手頃で往復3,000円は安い。
最初の立ち寄り先はウッディ京北、ここで鯖煮のお弁当を予約しており受け取る(800円)、このパーキングにバイクが多く、バスが1台転倒させ事故処理で20分遅れる。野菜が安い。このあたりから北山型の茅葺屋根が多いが、茅は少なく、銅板、恐らく亜鉛鋼板、波型鋼板を茅葺屋根に被せているようだ。まれに瓦もあるが軽量瓦のようだ(そうでないと重いし留められない)
庭には柿の木が多く、興奮するがまだ実の色が浅い
次に、常照皇寺( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%85%A7%E7%9A%87%E5%AF%BA )は臨済宗天竜寺(ママ)派、ご寄進300円目安。臨済宗で夢窓疎石の系譜があるためか、面白い庭。まず、南から石段を上がり、3つの門(山門、勅額門、勅使門)がある。その正面に方丈、西に書院、東に怡雲庵(開山堂)と並ぶ。方丈には本尊釈迦如来立像は上にあり鴨居の仏壇に安置。怡雲庵は禅宗仏殿。お庭は、南側に枝垂れ桜が2本(九重桜と御所の左近の桜)、八重と一重の御車返しの桜(御所と同じか)北には方丈庭園があり、山の斜面と石を生かして、割目が滝になっているの龍門滝(三級浪高魚化龍(三級浪高くして魚龍と化す))の見立てか。斜面利用が先日拝見した浄住寺の庭に似ている。所々にある灯篭が独自、何を照らすのだろうか。
建物も凝っている江戸時代の建物で茅葺、受付のおばさんによると20年しか持たないため、だんだん茅葺を減らしたとのこと。冬は桜の雪釣りも大変。桜は御室桜の頃で4月中旬。バスでも遠いらしいが一度見てみたい。堪能した。
美山の自然文化村で降りて、昼ご飯。鯖とご飯がうまいのに吃驚、鯖街道の歴史か。遊歩道はどう見ても山の管理道路だが、すすきがきれい。茅場に茅は無かった。鹿よけのゲートを閉める。なぜか高いところにかかる長除橋の正面が茅葺の里。放水銃が点在。手前の蕎麦畑は白い花が咲き誇る。稲穂干しも景観のアクセントに。カメラを持った人々が畑に入っているのは頂けない。またうるさい音と歩道を走るバイクも如何なものか。自転車はローディ(Road Racer)ばかり。ガード付きのRandonneurは見ない。数年前サイクリング・クラブWindyのツアーで1泊したのが懐かしい。
茅葺を見ながら、コスモスの花を愛でる。大きな白い穂のパンパスグラス(西洋すすき)もある。嵯峨野にもあり好きだ。なぜかセーラー服の女性を撮影しているカメラマンが不気味。坂があり、楽しい、柿もある。美山川(由良川)の曲がりの外側で出水がある立地でもあり、段々に石垣を組んであるのは洪水避難のためではないか。なお、水路も側面が段付きで流速制御だろうか。この集落の産業史は鯖街道の宿場町だったのだろうか。
近くで見ると入母屋と棟の千木(外削ぎが多い)と雪割(馬のりと烏どまり)は伊勢神宮の千木と鰹木を思い出す。茅葺は原初的な形で縄文以来だ。さらに裳階に瓦がつき水を切るのが北山型か。のんびりソフト・クリームを愚妻と分けあう。
帰りは大石酒造で試飲、美山ふれあい広場で味噌、蒟蒻、丹波黒豆蜜煮、山椒を買い、葱など野菜と玄米も買い重い。後日談:ここで買った獅子唐辛子が本当に辛い、2本食べたらのたうちまわりました。ううぅ。。。唐辛子に負けたのは初めてです。買った愚妻は笑っていました。白い筋状の部分で種が付着する胎座が辛味の元だそうです
帰りも阪急で帰洛が簡単。なんとも楽しめた
今津の街は休日に空いているお店が少ない。その中で、このお店だけ駐車場も満車で盛業。ひつまむし(2,200円税別)は鰻が少なめだがお値打ち。
お茶も急須でどしどし飲める。ご飯は無料で大盛になるが、多すぎるくらいでやわらかめなのが難。ご飯の上に、刻み海苔をまぶしてあるのは独自。
鰻は皮が厚くぱりぱり。身は薄い。川魚らしい臭みがちょっとありこれが良い。たれが少なめだが、卓上にありあっさり系で楽しめる。山葵はねりで残念。小口の青葱は粗目。奈良漬け2切れがお供。
楽しめる。特に、出汁を入れちょっとたれを足すのが良かった
Real Food、Fake Food が原題。
アメリカでも偽物が横行。FDAも頼りにならない。クラフトのパルメザン・チーズとあれば本来はパルマのチーズだがそうではない。(但し風味試験では偽物の評価が高い)コーベ・ビーフも「~スタイル」みたいな偽物が多い。
魚はアメリカでは白身魚の切り身のため偽物が多い→日本の回転寿司では最近原産表示がされ、「おお!こんなのだったのか」という貝や縁側が多い
フレッシュ、ナチュラル、オーガニックの法的な意味はアメリカではない。
エクストラ・ヴァージン・オリーブ・オイルの本物は1割以下。カリフォルニア(ヨーロッパなど北半球は春夏)のマケボイ・ランチかオーストラリアのコブラム(チリなど南半球は秋冬)、ブリキ缶など光を通さず、量り売りが最高、3週間しか持たない
但馬牛が700年前と同じについて、牡については正しいが掛け合わせがある( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%86%E9%A6%AC%E7%89%9B) 和牛は4種(褐毛、無角、日本短角、黒毛)だが、これも色々な背景がある( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A7%92%E5%92%8C%E7%A8%AE )大体、日本古来の農耕の牛を食べてうまいはずがない。むしろ、日本の牛に海外の牛を掛け合わせ、優れた品種を生かして、しかも穀物で育て脂肪を多くしたのが独自の「和牛」だ。但馬牛の系譜を持つ松坂の牛銀も品評会に優勝とあるのは育成もあるが、掛け合わせた優秀な牛の成果だ( http://www.gyugin-honten.co.jp/story/index1.html )
シャンパンには脂っこくて塩っぱいものが良いとあり、フライド・チキン、フレンチ・フライが良い
「食用可」以下の肉が加工食品に使われている→食べるのはやめよう
ためになる。単純な成分表の、本格な製品を組合せ料理するのがよいとあるのに同意、本物は高いがおいしい
了頓図子は三条から六角を結び、新町と室町の間の落ち着いた小路。昔は敷地内通路であり、天正の地割による図子ではない。とんかつのもり一や、割烹の藤本など狙い目が多く、最近若い女性を多く見かける。
還暦祝いで3人、カウンターに。ここは一汁三菜で、お凌ぎ、お椀、焼き物、八寸が出る。
白く煮含めたおからが面白い。焼き物は鯖で普通、季節の変化などが欲しい。全体にまっとうなのだが、季節感や驚きがあればもっと良い。例えば、酢橘の皮や汁で変化をつけるなどが良いと思う。
焼酎主体にしたが、濃い目で力強い。汁物でお酒を飲むのは関東風だが、もっと出汁に力強さがあるとつり合いがとれる。
八寸も丁寧だった。しかし、あまり印象に残らない。
別に頼んだ穴子は、細めで良いが、脂ののりと蒸しがいまひとつだった。詰めもあっさり。
全体に丁寧で居心地も良いが、お味の印象が薄いと思った
松原烏丸東入るや、東洞院松原上るあたりには3階建て木造の旧家がある。東京なら聖橋下流の西側に4階建てが神田川沿いにあったのが有名だった。(地上2階、地下2階ともいえるが http://sandaime.exblog.jp/12978417/ )震災や戦災を生き延びたのだろうか。
1950年の建築基準法では準防火地域で木造3階建て禁止だったが、1987年の改正( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%80%A03%E9%9A%8E%E5%BB%BA%E3%81%A6 )以降3階建て住宅は増えた。
今度、じっくり研究してみよう
近くの桐麺に行くと、平日は16時からに変更となり、急遽こちらに。きれいな店内で、蛤、浅利、蜆をそのたびごとに鍋でスープと加熱している。しじみラーメン大盛り(780+100円)にする。チャーシュー増しは店員から「2枚入ってます」と止められたが、結果良かった。
同じチェーンの人類みな麺類と違い、麺は全粒粉だが平打ち、チャーシューはレアで薄目、メンマは姫竹か淡竹で噛みしめのある長めのもの。白葱は白髪に。
スープはあっさりで鶏に昆布、貝の出汁という構成か。なかなかおいしい、麺に、加熱した薄目のレア・チャーシューがしゃぶしゃぶのよう。細長メンマも味が濃く固めで面白い。そのなかで白髪葱が独自のうまさ。
麺もうまみがあり大盛りでも一気に食べて楽しめた。
貝の殻を置く小皿やおしぼりもあり丁寧な接客。客層もシルバーまで幅広い。
今度は、蛤でもと思った
会社で回りの若手に病欠が多い。夏の疲れと秋の冷え込みが原因だろうか。
そういう、こちらもなんかだるい。テニスも反射神経が鈍く、あらら とか 芯に当たらない とかあまり楽しくない。そのうえ、不思議に疲れてくる。無駄なところに力が入っているようだ。流れるような判断でや対応ではなく、慌てて次に対応しているつぎはぎだ。
愚妻とのんびり、街や田舎歩きが良いのかもしれない。愚妻曰く「無駄に疲れている!」
そうかもしれない
大盛の殿堂である、前田珈琲に、テニスの後、ミート・ソース・スパゲティ(チーズ多め)とサラダ、ストロング珈琲で1,150円を注文。
サラダをキャベツは人参ドレッシング、ポテトは胡麻ドレッシングでむしゃむしゃ、これだけでも結構お腹にたまる。ミート・ソース・スパゲティは大盛、2人前と言ってよい量だ。ミート・ソースは薄目で、スパゲティの絡みが悪い。あっさり系のお味で物足りないためタバスコをどぼどぼ。
飽きてくる量であるが、どうにか食べきる。
この後のストロング珈琲が重く、なかなか夏で弱った胃に堪える。
次からは、スパゲティだけ(800円)にしよう。隣の方のカツカレーも大盛だった。
休日は全席禁煙になったようでくつろげる
久々にPresta(Racer)に乗り26Cのしなやかなタイヤと硬いCannondale(1988製)のフレームを楽しむ。
43人の参加は地元枠もあるとのこと。案内は竹田さんで若い。解説は短めでゆっくり歩く作戦のよう。シルバーが多く、足元が覚束ない様子。特に下りが危ない。桂離宮で飛び石を踏み損ね救急車を呼ぶ事態が2ヵ月前あったとのこと。軒先に座るのを勧めていた。
稲穂干しの最中で、曼殊沙華も咲く。空の透き通る蒼さ、山の緑、稲わらの黄色、曼殊沙華の赤が対比する。
空気が軽い。帰りの白川通も快適
開店15分前で8人並ぶ、開店の頃には20人でちょうど入れる人数。男は2人で10%、女性は若いのと高齢で二極化している。
閑話休題、ビフカツ(1,060円)にする。手のひら大の楕円形のカツが8つに切られている。肉は分厚い、しかし柔らかさも普通で旨みがあまりない。ドゥミグラス・ソースも中庸でソースの出番。辛子は酸っぱめなのであまりあわない。
衣が厚く、みっしり小麦粉の層が厚い。昔風の衣で、肉を蒸し焼きにする手法だ。この衣に油がどっしりでなかなか辛いものがある。
食べるなら、ハンバーグと炒め野菜の取り合わせがすっきりしており健康的で好きだ
地下鉄など一日乗車券(600円)で愚妻と日帰り旅行。朝の7:30に出発、OBP駅に9時、JO-TERRACEに向かう。大阪城パークマネジメント株式会社( http://www.osakacastlepark.jp/contact/index.html )が指定管理者であり、旧第四師団司令部庁舎( https://www.motohaku.jp/ ) も開発しているようだ。大阪市の事業者募集に選定( http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/cmsfiles/contents/0000270/270685/houdousiryou(PMO).pdf )された結果だ( http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000383357.html )
施設は、軒が深くて良いが、テナントはありきたり。錦城亭などは、張り紙とメニューだらけの外観で景観をすでに害している。サイン計画や規制がなっていない。ラーメンのTAKAHIROは西中島の人類みな麺類の系列でビールを扱う面白そうな店だが16時から。
大阪迎賓館に歩いているとうるさい音楽の路面列車(300円)が耳障り。安全のためだろうか。金の屋形船の遊覧もあった。なお、大阪迎賓館は予約がいると分かり来年に。
気を取り直して天満駅から谷町線で谷九まで。生國魂神社( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%9C%8B%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E6.91.82.E6.9C.AB.E7.A4.BE )に行く真言坂を登る。これが天王寺七坂のとりかかり( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E4%B8%83%E5%9D%82 )境内には、11の摂末社があり驚く。周りはラブ・ホテルで競争のためか安い。あとの6坂を登り下りして上町台地の地形と松屋町沿いの寺町に驚く。坂を含め谷中あたりの寺町に似ている。
ちょうど彼岸の中日でもあり墓参りが多い。愚妻は「こんな大阪があったのか!」と喜ぶ。最後の逢坂を東に行くと一心寺に人が多い。ハルカスまで買物に。
一休みしてから天王寺、大国町、住之江公園からトレードセンター前に。愚妻は初めて見る競艇場と練習風景、平林のすかすかの貯木場、南港ポートタウンと公園に人影がないこと、大きな日立旧大阪支社、旧ハイアット・リージェンシー・ホテル、美津濃本社、相愛学園のビルと周りのガントリー・クレーンや工場の対比に驚くことしきり。さらにニュートラムの車両にも驚く。
さらにATCにきて、アトリウムと空き店舗、かねふくめんたいパーク( https://mentai-park.com/park/osaka/ )にさらに驚き、ウミエール広場(確かEDAWの設計のはず)のデッキとくくりつけられた錠にも驚く。オフィス・テナントとして大阪市は港湾局など、大阪府の施設もある。一駅ニュートラムに乗り、コスモスクエアから地下鉄中央線。九条駅の西には機関車を展示している共永興業本社ビル ( http://www.knic.co.jp/ )が今も見える。会社員の新米だった35年前、港湾局に打合せにいく中央線での目印になっていた。
本町で降りて、心斎橋筋の卸売りや安売りを歩く。愚妻がまたまた驚くお店ばかり。心斎橋から御堂筋線、阪急で帰洛は17時過ぎ。
歩くのと、坂道、驚きで愚妻は疲労
残暑の中、久々に訪問、つけ麺にメンマを足して980円と結構な値段。
スープは重層的なお味がさらに厚みをましたが、すっきりしていて完成度を高めている。幅広で厚めの麺も噛みしめがあり、もっちりともしており、粉自体のうまみに富むようになった。
小口切りの青葱がつけ汁に一杯で歯触りと風味が良い。特に、一味が良く合い、麺とメンマ、麺と柔らかいしっとりチャーシュー(2枚)など楽しめる。
麺の量は多いくらいだった、少な目があるとうれしい。
割スープはラーメンのスープに似ていて甘目だが、レンゲを止められないうまさだ。葱がアクセントで、気が付いたら全部飲んでいた。