前回、「娘や息子から心に響いた本やら音楽やら絵画(映画やゲームまで)なんかを
紹介してもらうことがよくあります。」と書きました。
先日、息子のアイポッドタッチから流れている不思議なピアノ曲が気になったので
それについてたずねました。
「ニコライカプースチンだよ」と答えた息子は
ネットで検索した楽譜を示して、「やたら鍵盤をたたきた い人だよね。ほら、超絶技巧系の……!」と言って笑いました。
「確かに目が痛くなりそうな楽譜ね。指も!」
その譜面には、もし日本人が弾くとしたら親指と人差し指を広げるための手術を受けなくちゃならないのでは?……と
余計な心配をしてしまうほど、途方もない速度で鍵盤の上へ下へと移動する音符が
描かれていました。
音量を上げて「ニコライカプースチン」の演奏に耳を傾けていると、
何ともいえない美しいメロディーだとは思うけれど、どう表現したらいいのか
言葉が見つかりませんでした。
それで、「この曲のどんなところが好きなの?どこがいいと思う?」とたずねて、
感想まで息子の言葉を当てにすることに。
「一時期、ピアノソロにはまってさんざんいろんな曲を聴いてたんだけど、
しまいにソロの限界みたいなものを感じるようになってさ。
そんな時にニコライ・カプースチンのソロの演奏を聞いて、新たな境地を見せてもらったような衝撃を受けたんだ。
ジャズ要素が入ってるから、音楽の構造がさ、音の流れをつかみかけたかなと思うたびにいい意味で予想を裏切られて、
くずしているイメージを感じさせずにくずれていってさ、とにかく転調の進み方が面白いんだ。」とのこと。
息子は大の音楽好きで、暇さえあればピアノやギターやシンセサイザーの演奏を聴いたり、
電子ピアノを弾いたりしています。
そんな姿を見ると、やはりピアノを習わせてあげたらよかったのか、
本人が頑として習い事に乗り気じゃなかったんだから
わたしが後悔することでもないのかと
いまだに迷いが残っています。
自己流に勝手に鍵盤をたたいて覚えた息子のピアノの腕前と、
3歳のヤマハに始まって中学3年までの十数年間、先生について
みっちりピアノを習っていたわたしの腕前は、ほぼ同レベル。
今は息子の方が楽器に触れる回数が多い分少し上です。
私自身はピアノ教室でまぁまぁ進みがいい方で、
周囲を見渡しても先生の教わったからといって
ピアニストのように流暢に演奏する子もいなかったことを考えると、
最終的には習っても習わなくてもいっしょで、レッスン費用と時間の節約になったと
軽く捉えていていいものか、
やはり「このひとつだけは」と正しい訓練を受けさせてあげたら
生まれ持った音楽好きの資質に磨きをかけることができたのかもしれないなどともやもや考えて、
わが子のこととなると歯切れが悪いです。
でも、子どもが成長するにつれて、もし「○○をやらせていたらこんな結果を得ていたかもしれない」という皮算用と、
「結局、子どもの自由に選択させて、○○をやらせずに終わった」という事態を比べると、
何かをさせないということは、ゼロでもマイナスでもなくて、
「その子にとって重要な別の何か」をガッチリ伸ばす時間になっていたことを実感してもいるのです。
習い事ゼロで過ごしていた小学校時代に、たっぷりある時間を利用して
紙工作したり、RPGツクールやハイパーカードでゲームを作ったり、映画もどきをを撮影してみたり……
とにかく好奇心に火がともったら、とことん熱中して作り倒す日々があったから、
6年生になると自分から受験勉強に熱中したのだろうし、
今、将来したいことを思い描くことができているのでしょうから。
受験勉強にしても本人に勝手にやらせずに
塾なり家庭教師なりを利用するか
せめて親のわたしがもう少し手助けしてあげれば
もっと効率的に成功路線に乗れていたのかもしれないけれど、
そうしなかったことは、それはそれで、受験自体には不利だったとしても、
自発性とか意欲とか責任感とか打たれ強さとか持続力いった
精神的な資質を高めてくれたのは間違いないのです。
子どもの好きなようにさせてきて
失敗も遠回りもたくさんあったかもしれないけれど、
そうした遠回りは生きることを楽しむ能力と
自ら進んで自分を高め続ける持続力をつけてくれたな、
とわが子たちの成長していく姿に心から満足してもいるのです。
好きなことを応援するのは大事でも、必ずしも才能を見つけ出して
より早期からよりよい教育を施すのがいいとは限らなくて、
そうしないことから得る恩恵は、わが子を将来の夢に導いてくれるようにも思えるのです。
何でもかんでもすべて伸ばしきるのではなくて、
伸ばさなかったことによってできる枠組みが、他の才能を熟成させて、
自分がやりたいことややるべきこと、やり遂げたいことを
際立たせたり、自分の運命を形作ってくれたりもするのです。
息子にしても音楽や絵が好きでたまらないけれど
技能としては訓練をつんでいないことがかえって
どんな既存のレールにも乗ることがないだけに、
自分が本当にやりたいことにはしっかり活かしていけるようなところがあるのです。
将来、自分がクリエイターとして何かを作っていきたいと夢想するときに、
他人の評価や注目でいじられていれていない
そうしたものひとつひとつへの強い愛情を取り入れて統合させながら
最も自分が得意とするものを主に据えて「こういうことがしていきたい」「ああいうことがしていきたい」
と本当にやりたいオリジナルの道を探っていくことができているのです。
そんなことを考えるうちに、
親は前回のリストにあったように、
「なりたいものには何でもなれるし、そのなりたいものが何であっても
変わらず愛しているし、選択も尊重するよ」
「夢を実現する具体的な方法を見つける手助けをするよ」
「興味の対象が毎日のようにころころ変わったって真剣に聞くよ。
興味があるなら何でも試してごらん」
「思い通りいかないときは、文句や不平を言いたくなるものよ。そんな日もあるよ」
「困ったときにはいつでも助けるよ。
あなたの成功はどんな小さなことだってうれしいわ」
といったちょっとゆるめの能天気なエールを送り続けるだけで十分なのかな
と思えてくるのです。