0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 1
0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 2
の記事に次のようなコメントをいただきました。
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今回の内面的な敏感期?のお話、とても勉強になりました。今までは目で見て分かるような敏感期にばかりとらわれていたように思います。推測する力を伸ばしたい時期があるという発想は新鮮でした。
息子も何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、飽きもせずやり続けているので、何か伸ばしたい内面的なものがあるのかもしれませんね。そういった視点から息子を見てみると新たな発見がありそうで楽しみです。
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『何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、飽きもせずやり続けている』
のは、
自分とは他の人の心の動きや視線に気づきはじめる時期に
よくするように思います。
そのためか他者の情動を推測するのが苦手な自閉症スペクトラムの幼い子たちが、こうした遊びを喜ぶ姿はあまり見かけないのです。
(けれど、小学生前後の自閉症スペクトラムの子の中には、
こうした遊びを繰り返したがる子がいるように思います)
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↑の写真は今年、年長さんになる子たちのグループレッスンでのひとこまです。
『うちのタマ知りませんか?』というボードゲームをしています。
段ボールに入れられて捨てられたタマを探しに行くゲームです。
「自分ひとりだけ段ボールの中を確かめることができる」というカードを引いた☆ちゃんが、そっと段ボールの中をのぞいて、
「タマだったの?」というみんなの視線が集中する中で、
「タマじゃないよ~」と言いながら笑っているところです。
(本当はタマなのですが、嘘をついて、みんなに気づかれないようにタマを救いにいかなくてはならないのです)
このゲーム、言葉の上でも表情でも、みんなをだまして嘘をついて、
自分が有利になるように自分だけの秘密や
自分だけの記憶を保たなくてはなりません。
そのため、このゲームを本当に楽しむには、
複雑な他者の思いを理解できる準備が
できていなくてはならないのです。
男の子たちのグループだと、
こうした心理面での複雑なやりとりを面白がるのは
もっと月齢が上がってからかもしれません。
女の子たちは、とにかくおませです。
『自分が目にしているものを、
他の人からは見えないことを理解した上で、
自分がそれについて言葉で表現することで、
それが見えていない他者の心は、
自分の言葉を信じて真実と異なることを想像する。』
他者の心の動きに敏感になる時期の子たちは、
そうした体験をものすごく面白がります。
相手の表情を読んでは、ゲラゲラ笑い転げて、何度も繰りかえそうとします。
いただいたコメントにあった『物を隠して探させる』遊びの場合、
このゲームを楽しんでいる年長さんたちよりもう少し単純な
『他者の心が、目の動きやびっくりする表情で「見える」こと』
が面白くてしかたがない時期なのでしょう。
何気ない日常の暮らしの中で、
幼児の心は外からは見えにくい尺度で
進歩し続けています。
たくさんの乳幼児と接していて感じるのは、
体系化された早期教育や子育て情報の影響で、
幼児を 外から見える『ものさし』で測定しつつ育てることの弊害です。
外から評価できる尺度をあてて躍起になって子育てすると、
気がつかない間に、
子どもの内面で敏感になっているものを
無視したり、壊したり、つぶしたりすることが
起こりがちなのです。
早期教育の全てに、害があるというわけではありません。
外側に作られた尺度に気を取られるあまり、
子どもの内側から発信されてくる
『今、その子の成長にとって最も大切なこと』をスルーしてしまう
ことが、問題なのです。
このことは次回、もう少しくわしく
(2歳まで、3歳まで……という時期、
その後の成長に欠かすことができない内面の発達について)
書かせていただきますね。
0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 2
の記事に次のようなコメントをいただきました。
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今回の内面的な敏感期?のお話、とても勉強になりました。今までは目で見て分かるような敏感期にばかりとらわれていたように思います。推測する力を伸ばしたい時期があるという発想は新鮮でした。
息子も何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、飽きもせずやり続けているので、何か伸ばしたい内面的なものがあるのかもしれませんね。そういった視点から息子を見てみると新たな発見がありそうで楽しみです。
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『何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、飽きもせずやり続けている』
のは、
自分とは他の人の心の動きや視線に気づきはじめる時期に
よくするように思います。
そのためか他者の情動を推測するのが苦手な自閉症スペクトラムの幼い子たちが、こうした遊びを喜ぶ姿はあまり見かけないのです。
(けれど、小学生前後の自閉症スペクトラムの子の中には、
こうした遊びを繰り返したがる子がいるように思います)
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↑の写真は今年、年長さんになる子たちのグループレッスンでのひとこまです。
『うちのタマ知りませんか?』というボードゲームをしています。
段ボールに入れられて捨てられたタマを探しに行くゲームです。
「自分ひとりだけ段ボールの中を確かめることができる」というカードを引いた☆ちゃんが、そっと段ボールの中をのぞいて、
「タマだったの?」というみんなの視線が集中する中で、
「タマじゃないよ~」と言いながら笑っているところです。
(本当はタマなのですが、嘘をついて、みんなに気づかれないようにタマを救いにいかなくてはならないのです)
このゲーム、言葉の上でも表情でも、みんなをだまして嘘をついて、
自分が有利になるように自分だけの秘密や
自分だけの記憶を保たなくてはなりません。
そのため、このゲームを本当に楽しむには、
複雑な他者の思いを理解できる準備が
できていなくてはならないのです。
男の子たちのグループだと、
こうした心理面での複雑なやりとりを面白がるのは
もっと月齢が上がってからかもしれません。
女の子たちは、とにかくおませです。
『自分が目にしているものを、
他の人からは見えないことを理解した上で、
自分がそれについて言葉で表現することで、
それが見えていない他者の心は、
自分の言葉を信じて真実と異なることを想像する。』
他者の心の動きに敏感になる時期の子たちは、
そうした体験をものすごく面白がります。
相手の表情を読んでは、ゲラゲラ笑い転げて、何度も繰りかえそうとします。
いただいたコメントにあった『物を隠して探させる』遊びの場合、
このゲームを楽しんでいる年長さんたちよりもう少し単純な
『他者の心が、目の動きやびっくりする表情で「見える」こと』
が面白くてしかたがない時期なのでしょう。
何気ない日常の暮らしの中で、
幼児の心は外からは見えにくい尺度で
進歩し続けています。
たくさんの乳幼児と接していて感じるのは、
体系化された早期教育や子育て情報の影響で、
幼児を 外から見える『ものさし』で測定しつつ育てることの弊害です。
外から評価できる尺度をあてて躍起になって子育てすると、
気がつかない間に、
子どもの内面で敏感になっているものを
無視したり、壊したり、つぶしたりすることが
起こりがちなのです。
早期教育の全てに、害があるというわけではありません。
外側に作られた尺度に気を取られるあまり、
子どもの内側から発信されてくる
『今、その子の成長にとって最も大切なこと』をスルーしてしまう
ことが、問題なのです。
このことは次回、もう少しくわしく
(2歳まで、3歳まで……という時期、
その後の成長に欠かすことができない内面の発達について)
書かせていただきますね。
早期療育で、非常に見落とされてるところだと感じます。
娘が通っている工作教室に、娘よりも2つ年上の男の子がいるのですが、インターナショナルスクールに通う子で、早期教育に熱心な親子さんです。
でも、画用紙があっても、グチャグチャとペンを走らせるか、関係のない文字や数字をひたすら描いたりします。
自分から、描きたい作りたいって欲求が全くなくて、大人に評価されることを嫌がってグチャグチャにしてしまうという行動に見えます。
遊び方も、2歳の娘と同じような感覚的な遊びを好み、非常に幼さを感じるのです。
必要な時期に必要な遊び、内面的な発達が阻害されてきたのかな~と、思います。
のは、
自分とは他の人の心の動きや視線に気づきはじめる時期に
よくするように思います。
なるほど~、そういうことか。
ん?ということは、子供はそれまでは他人はいつも自分と同じものを見て同じように感じていると思っていたということですね?
少し不安になってきました。
いろんなことにちゃんと共感してあげられてたかな…。
2歳半の我が子も今『かくれんぼ』らしき遊びが
大好きです。まだ、はっきりとしたルールは理解できてないみたいですが…。
と、同時に最近よくされる質問があります。
主に外にいるときが多いです。
『ママ、何見てるの?』もしくは
『ママ、何見てたの?』です。
まさしく先生のおっしゃる時期なのでしょうか?
一つ気にかかっているのはそういう質問をするときは心なしか不安そうな顔をしている時が多い気がすることです。
いつも同じ視線でいると思っていたはずの母親が実は違うものを見ていることがあると知った小さなこどもが不安になるのは普通のことなのでしょうか?