虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ちょっと気になる知的好奇心の薄さ

2021-07-13 19:44:00 | 教育論 読者の方からのQ&A

ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 1 の続きです。

 

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「発達や知力に問題なく、社会性の発達も順調で言葉も達者で何でもやりたがるし、

年相応にできるけれど、知的な好奇心が薄いという子」の親御さんの

声をかける頻度、言葉かけの内容、関わり方、解説の仕方、誘導の仕方、諭し方、

可愛がり方、叱り方、注意の仕方、期待のかけ方などが、

非常に似ているということを書きました。

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子どもの知的な好奇心を阻害する、大人の接し方があると感じています。

 

最も問題に思えるのは、「指示の多さ」です。

 

幼いわが子を前にすると、まるで自分と子どもがつながっていて、

何を見るのか、何を聞くのか、何をするのかを考えるのは親の自分で、

そうした大人の指令に指示通り従うのが子どもであるかのように振舞う方がいるのです。

 

あまりに無意識にそうしてしまうからか、

何度も何度も過剰に指示を出している点を指摘しても

「あっそうですね」「わたしの接し方がいけませんよね」と即座に反省の言葉を

口にされるにも関わらず、

1分後には、子どもに自分で考えたり判断したりする隙を与えないほど

指示をたくさん出してしまわれます。

 

そうした接し方をされている子は、

こちらが何かに誘うと、素直に誘いに乗るし、活動そのものをする力はあっても、

次のような行動につながらないことが多いです。

 

「次にどうなるのかな?」「どうしてかな?」と疑問を抱いたり、

やってみた結果を見て、「こうするとこうなるんだな」と規則や秩序を発見したり、

うまくいかなかった場合、ほかの方法を試そうとしたりすることです。

 

実験遊びなどをしている時も

派手な変化の瞬間だけ喜んだかと思うと

「じゃあ、こうしたらどうなるの?」「あれもやってみたい!」「これも!」と

ほかの子らが、その実験をきっかけに、「もっとそれについて探究したい」という

盛り上がりを見せたとたん、

「これで終わりでいい?もう実験終わりでもいい?遊んできてもいい?」

と、たずねるのです。

 

そうした子どもの行動する様子を観察していると、

自分の好きなおもちゃで遊んでいる時以外は、心や頭を使って物を見ていないし、

聞いてもいないし、感じ取ってもいないのがわかるのです。

赤ちゃん時代から、「自分で見て、聞いて、感じて、考えて、判断して、想像して、推理する」という活動を、

ことごとく身近な大人から邪魔されながら育ってきたように思われるのです。

 

といっても、保育園や幼稚園や小学校が、子ども自身が自分で見て、聞いて、感じて、

考えて、判断して、想像して、推理することを許さないようなシステムになりつつ

ある昨今では、これは一部の親御さんと子どもの問題ではなくなりつつあります。

 

保育園や幼稚園や小学校がそうしたシステムで運営されているために、

親御さんたちが、そうした過干渉や過保護(子どもが求める前から物を与えたり、

代わりにやってあげたりするなど)や

過剰な指示や一方通行の大人と子どもの関係をあたり前のように

思ってやってしまう、という悪循環も起こっているように見えます。

 

次は、もう少し具体的にどのような「指示の多さ」が問題なのか書いてみたいと思っています。

続きはこちらです。→ ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 3



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