最近、私の周辺にいる子持ちの主婦同士の会話で話題にのぼるのは、
文部科学省の新学習指導要領に『生きる力』が加わったという話です。
虹色教室の生徒の親御さんたちや私の親しくしている知人たちは、
もともと『生きる力』とされる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力
★自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
といったことを大切にして子育てしている方がほとんどなので、
この話題に明るい期待を寄せていました。
といっても、こうした教育を実施する先生方も、
先生を統率する校長や教頭も、
受け手の子どもも、子どもの親も、見守る地域も、
年々、子どもの中に『生きる力』を育む力を失いつつあるのが現状でもあります。
その言葉が意味することを理解することすらできなくなっている
ふしがあります。
過去記事ですで、地域のボランティアについて書いています。よかったら読んでくださいね。
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今年も、地域のキャンプの手伝いと
ジュニアリーダーの研修に行ってきたうちの夫。
手伝い始めた当初の5~6年前と、この1~2年の
子どもたちの変化と、大人たちの変化にとまどいが隠せない様子です。
とにかく年々、子どもたちが幼くなっていることに
危機感を感じていました。
「幼いって?」とくわしくたずねると、
自分で決められないのと、
ちょっと難しくなると、考えもせずにすぐ大人に
やってもらおうとする高学年の子がほとんどなこと、
簡単な質問で、自分がわかっている場合もミスがこわくて誰も
手をあげない……そのため、シ~ンとしたしらけた瞬間が
しょっちゅうあるみたいです。
5~6年前まで、子どもたちは
自分たちで失敗してもどんどんテントを立ててました。で、うまくいかなくなって、試行錯誤をつづけたあげく大人にちょっとだけ助けを求めてきていたのだそうです。
それが、この数年、ひとりの子が「これ間違ってないかな?」なんて言おう
ものなら、
どの子も手がとまって呆然と立ち尽くす
のだとか……。
それと、とにかく手伝いの親たちが口出して口出して、
手も出して~
子どもがちょっと問題を見つめて考えてみようとする間も許さずに
しゃべりまくるので、
やる気なくたらたら指示にしたがう、いかにも面白くない
キャンプになっちゃうんだそうです。
「子どもの頃と言えば、学校の授業なんて面白くないから、
キャンプとかクラブとか、面白いことでいっしょに遊んで仲良くなった
友だちと今も親しくしてんだけど……。
大人が教えてばっかりで、子供同士、全然仲良くなってないんだな~。
いっしょに間違えて、笑いあうとかなくて、
ミスして友だちに笑われたくなくて、構えている子ばかりだ」
と夫の……感想です。
ジュニアリーダーの研修も、少し前のように自覚があってしっかりした子が
ほとんどいなくなって、まるで幼児のまま大きくなったような
中学生と、幼児に教えるように
一挙一動を教え込みたくって、指示したくって、
子どもにつきまとう大人の姿が目立って、
子どもが友だちと少しも楽しそうに遊んでいなかったのだそうです。
それなのに、大人の会議では、子どもに何を教えようか~という
教育的配慮ばかり話し合われていて、
楽しさなんてそっちのけなのです。
夫の話……幼児といつも接している私には、
「これから先、子どもたちはどうなっていくんだろう?」と
頭を打ちつけられるものでした。
今の小学生より、最近の幼児は
さらに顕著にこうした特長があらわれていて、
3歳児でそうした態度をしるす子が少なくないのです。
そして、口出し手出しがやめられなくなってしまう……大人も。
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この記事の後もさらに変化は続いて、
ボランティアで手伝いに入る人たちすら、
「子どもたちが喜んでたらそれでいいんじゃない?」
「苦情さえ出なければいいのじゃない?」と、
『子どもが自ら考え、自ら動き、人と協力しあう』というビジョンを
最初から無視してかかる方が大多数となってしまったのです。
毎年、凧作りや凧あげといった子どもたちの伝承文化の継承に関わっていた方々も、
そうした考え方の変化についていけなくなり、
長年続けてきた活動の打ち切りはじめています。
「自分の子だけ特別扱いしてほしい」という理不尽な要求を、
無料でボランティアに参加している人にぶつけて切れる親も増えました。
若い先生たちははなから地域の活動に無関心ですし、
以前は地域の活動を手伝ってくれていた先生方も、
「出すぎたことをすると、他の先生方から圧力を受ける」などの理由で学校の校庭でおこなう地域の行事の手伝いをする方はほとんどいなくなりました。
そうしたなかで、『生きる力』という新学習指導要領は根付いていくのでしょうか?
それが成功するためには、子どもをめぐる人々の意識が、
パラダイムシフトとか、パラダイムチェンジと言えるような
認識や思想、価値観などの革命的な、もしくは劇的な変化が必要なのかもしれません。
それは誰かがしてくれることではなくて、
自分たちひとりひとりの心に投げかけられている課題なのでしょう。
虹色教室の生徒の親御さんから次のようなコメントをいただきました。
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(★の記事の)引用
「○さんが社会に出て働き出したとき、学生の間、学校で自分に求められていたものと、
……一歩外の空気を吸えば、人と関わる力や場の空気を読む力や現場で創意工夫しながら柔軟に動く力とか、叱られても、へこまない鈍感力なんかが要求される。
そんなんじゃ海外のハングリー精神がたくましい若者たちに太刀打ちできないわ。」
上記に嬉しくなりました。
社会人として一歩踏み出したときに求められる能力をどう息子に付けていくかが子育ての目標の一つでもあります。
学力を担保することは当然のことで、国際社会でタフに生き抜く能力をどう息子に付けさせるかが課題です。
時には、虎の親になり断崖から突き落とすようなことをしたり(年齢に応じた程度で)、あえて学校での揉め事に目をつむったり……
でも、こんなことは昭和の時代にはあたりまえだったことです。
知人との会話で
●子どもが恥をかくといけないので……という理由で、常に親が細心の注意を払い準備をする
●子どもが意地悪をされると学校と相手家庭に連絡する
●「男の子は社会に出れば 1.2年は使い物にならないから時には無能扱いされることもあるし、結婚しても時には配偶者にあれこれ指摘されることもあるので、タフに育てないと耐えられないよ」と私が話すと、
「そんなかわいそうなことを今から言わないで」と、叱られてしまいました。
我が子を大切に育てているのは理解できるのですが、
その方法が子どもが飛び立つときの「翼の羽を一枚ずつ」 もぎ取っているように感じてしまいます。
私は、羽をもぎ取ることだけは避ける子育てをするよう自分を戒めています。
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web拍手を送る
文部科学省の新学習指導要領に『生きる力』が加わったという話です。
虹色教室の生徒の親御さんたちや私の親しくしている知人たちは、
もともと『生きる力』とされる
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★自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力
★自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力
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といったことを大切にして子育てしている方がほとんどなので、
この話題に明るい期待を寄せていました。
といっても、こうした教育を実施する先生方も、
先生を統率する校長や教頭も、
受け手の子どもも、子どもの親も、見守る地域も、
年々、子どもの中に『生きる力』を育む力を失いつつあるのが現状でもあります。
その言葉が意味することを理解することすらできなくなっている
ふしがあります。
過去記事ですで、地域のボランティアについて書いています。よかったら読んでくださいね。
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今年も、地域のキャンプの手伝いと
ジュニアリーダーの研修に行ってきたうちの夫。
手伝い始めた当初の5~6年前と、この1~2年の
子どもたちの変化と、大人たちの変化にとまどいが隠せない様子です。
とにかく年々、子どもたちが幼くなっていることに
危機感を感じていました。
「幼いって?」とくわしくたずねると、
自分で決められないのと、
ちょっと難しくなると、考えもせずにすぐ大人に
やってもらおうとする高学年の子がほとんどなこと、
簡単な質問で、自分がわかっている場合もミスがこわくて誰も
手をあげない……そのため、シ~ンとしたしらけた瞬間が
しょっちゅうあるみたいです。
5~6年前まで、子どもたちは
自分たちで失敗してもどんどんテントを立ててました。で、うまくいかなくなって、試行錯誤をつづけたあげく大人にちょっとだけ助けを求めてきていたのだそうです。
それが、この数年、ひとりの子が「これ間違ってないかな?」なんて言おう
ものなら、
どの子も手がとまって呆然と立ち尽くす
のだとか……。
それと、とにかく手伝いの親たちが口出して口出して、
手も出して~
子どもがちょっと問題を見つめて考えてみようとする間も許さずに
しゃべりまくるので、
やる気なくたらたら指示にしたがう、いかにも面白くない
キャンプになっちゃうんだそうです。
「子どもの頃と言えば、学校の授業なんて面白くないから、
キャンプとかクラブとか、面白いことでいっしょに遊んで仲良くなった
友だちと今も親しくしてんだけど……。
大人が教えてばっかりで、子供同士、全然仲良くなってないんだな~。
いっしょに間違えて、笑いあうとかなくて、
ミスして友だちに笑われたくなくて、構えている子ばかりだ」
と夫の……感想です。
ジュニアリーダーの研修も、少し前のように自覚があってしっかりした子が
ほとんどいなくなって、まるで幼児のまま大きくなったような
中学生と、幼児に教えるように
一挙一動を教え込みたくって、指示したくって、
子どもにつきまとう大人の姿が目立って、
子どもが友だちと少しも楽しそうに遊んでいなかったのだそうです。
それなのに、大人の会議では、子どもに何を教えようか~という
教育的配慮ばかり話し合われていて、
楽しさなんてそっちのけなのです。
夫の話……幼児といつも接している私には、
「これから先、子どもたちはどうなっていくんだろう?」と
頭を打ちつけられるものでした。
今の小学生より、最近の幼児は
さらに顕著にこうした特長があらわれていて、
3歳児でそうした態度をしるす子が少なくないのです。
そして、口出し手出しがやめられなくなってしまう……大人も。
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この記事の後もさらに変化は続いて、
ボランティアで手伝いに入る人たちすら、
「子どもたちが喜んでたらそれでいいんじゃない?」
「苦情さえ出なければいいのじゃない?」と、
『子どもが自ら考え、自ら動き、人と協力しあう』というビジョンを
最初から無視してかかる方が大多数となってしまったのです。
毎年、凧作りや凧あげといった子どもたちの伝承文化の継承に関わっていた方々も、
そうした考え方の変化についていけなくなり、
長年続けてきた活動の打ち切りはじめています。
「自分の子だけ特別扱いしてほしい」という理不尽な要求を、
無料でボランティアに参加している人にぶつけて切れる親も増えました。
若い先生たちははなから地域の活動に無関心ですし、
以前は地域の活動を手伝ってくれていた先生方も、
「出すぎたことをすると、他の先生方から圧力を受ける」などの理由で学校の校庭でおこなう地域の行事の手伝いをする方はほとんどいなくなりました。
そうしたなかで、『生きる力』という新学習指導要領は根付いていくのでしょうか?
それが成功するためには、子どもをめぐる人々の意識が、
パラダイムシフトとか、パラダイムチェンジと言えるような
認識や思想、価値観などの革命的な、もしくは劇的な変化が必要なのかもしれません。
それは誰かがしてくれることではなくて、
自分たちひとりひとりの心に投げかけられている課題なのでしょう。
虹色教室の生徒の親御さんから次のようなコメントをいただきました。
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(★の記事の)引用
「○さんが社会に出て働き出したとき、学生の間、学校で自分に求められていたものと、
……一歩外の空気を吸えば、人と関わる力や場の空気を読む力や現場で創意工夫しながら柔軟に動く力とか、叱られても、へこまない鈍感力なんかが要求される。
そんなんじゃ海外のハングリー精神がたくましい若者たちに太刀打ちできないわ。」
上記に嬉しくなりました。
社会人として一歩踏み出したときに求められる能力をどう息子に付けていくかが子育ての目標の一つでもあります。
学力を担保することは当然のことで、国際社会でタフに生き抜く能力をどう息子に付けさせるかが課題です。
時には、虎の親になり断崖から突き落とすようなことをしたり(年齢に応じた程度で)、あえて学校での揉め事に目をつむったり……
でも、こんなことは昭和の時代にはあたりまえだったことです。
知人との会話で
●子どもが恥をかくといけないので……という理由で、常に親が細心の注意を払い準備をする
●子どもが意地悪をされると学校と相手家庭に連絡する
●「男の子は社会に出れば 1.2年は使い物にならないから時には無能扱いされることもあるし、結婚しても時には配偶者にあれこれ指摘されることもあるので、タフに育てないと耐えられないよ」と私が話すと、
「そんなかわいそうなことを今から言わないで」と、叱られてしまいました。
我が子を大切に育てているのは理解できるのですが、
その方法が子どもが飛び立つときの「翼の羽を一枚ずつ」 もぎ取っているように感じてしまいます。
私は、羽をもぎ取ることだけは避ける子育てをするよう自分を戒めています。
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どきりとしました。
小三の息子が通学班で嫌な思いをしています。同級生男児に蹴られたり、暴言を吐かれたり。
「辞めろ」と口で言っても当然ききません。
息子はストレスがたまって、妹に当り散らすようになり、その異変に気付いて、夫が問いただし、通学班でのいじめに気づきました。
近所付き合いもあるため、相手の親に直接言うのは避け、まずは学校に連絡をしたのですが。
息子もかなりタフになってきて、蹴られたらけり返したりするようになってきました。
それがいいのかわかりませんが…。
親はわが子かわいさのあまり、守ろうと必死になります。
それが、「子供が飛び立つときの翼を一枚ずつもぎとっている」ことになりかねないのかもしれません。
難しいです。
悪質ないじめの場合は、やはり関与したほうがいいように思ってしまいます。