娘や息子から心に響いた本やら音楽やら絵画(映画やゲームまで)なんかを
紹介してもらうことがよくあります。
子どもが大きくなってくると、親のわたしが聞いたことも見たこともないような……おそらく紹介してもらわなければ一生触れることも
なかったようなものに惹きつけられて、
自分の世界をどんどん広げていってる様に不思議な感動を覚えることが多々あります。
一方でわたしが紹介したものが、
娘や息子の「一番きれいな~」とか「最高~」という言葉で
口にのぼるのを耳にすると、親子ってやっぱり感性や好みが
似ているところがあるのかな~とうれしい気持ちになります。
娘は「美しさ」に敏感な子。
美術館によく足を運んでいて、
わたしにはピンとこないような古美術品や書のようなものからも、
その芸術的な価値を直接汲み取って、深く感じ入っています。
そんな娘がこれまで読んだ本のなかで最高傑作として
ヘッセの『デミアン』を挙げるのを聞いて、
最初はちょっと驚き、
後からは、妙に納得しました。
なぜ驚いたのかというと、『デミアン』は、
「若い頃夢中になった一冊」としてわたしが娘に薦めた本だったから。
娘の鑑識眼は本人のなかにある揺るぎない感性から来ていて、
他人が良いというから良いと思うタイプではないのです。
後から妙に納得したのは、
ヘッセの言葉の選び方とストーリー展開の仕方は
「美しさ」という点で完成度が高いからなぁ、とも、
娘は古い新しいにかかわらず「美しさ」に敏感だからなぁ、とも思えたからです。
先日、「同じような文を何度も目にしたことがあると思うけど」と前置きして、
娘が本のあるページを差し出しました。
『書きだすことから始めよう』という本の『アインシュタインはどうやってアインシュタインになったか』という章。
同じ種も、養分豊かな土地で水と太陽を浴びてスクスク育てば、
自信も規律も忍耐力もなしに、自然に花開き、
日陰や乾いた地で育つと必死に成長しようとしても弱々しい姿になるという話。
つまり天才と一般人の違いは、育つ環境にあって、
子どものころにどんなふうに育てられたかが、その後の人生を決めているとのこと。
ここで扱われている天才という言葉は
「世間的に大きな成功を収めた特別な才能を発揮した人」というより、
「自分の人生を心から愛してまっとうした人」という色合いが濃いようでした。
娘の興味を引いたのは、
「どうしたら天才になれるのか」というハウツーではなく
そのように人生を愛している人たちが育った環境として紹介されていた内容のようでした。
娘はこれから社会に出て、どのように生きていこうかと考えを巡らせる
時期にいますから、
この本の言葉は、自分のなかの大人の部分が、
夢を描く子どもの部分に
どのように対応すればいいのかを教えてくれるものなのでしょう。
また自分が自分に対して、
気長に根気よくつきあっていかなくてはならないことを学んでいるのかもしれません。
わたしも自分のこと、娘や息子のこと、教室に通ってくれている子どもたちのことを
思いながらそのページにあった『天才が育つ理想の環境』のリストに目を通しました。
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『天才が育つ理想の環境』
●才能を尊重し、大切に伸ばしてくれる。
●なりたいものには何でもなれるし、そのなりたいものが何であっても
変わらず愛しているし、選択も尊重すると常に応援してもらえる。
●好きなことを見つけられるようサポートし、夢を実現する具体的な方法を教えてくれる。
●興味の対象が毎日のようにころころ変わっても、毎回まじめに聞いてもらえる。興味の
対象をすべて試してみる機会が与えられる。
●物事が思い通りいかないとき、文句や不平を言っても受け入れられる。そして
「いやならやめなさい」と叱るのではなく、理解を示してくれる。
●困った事態に陥っても、叱らずに助けてもらえる。
小さな成功でも、両親をはじめ周囲の人々が心から喜んでくれる。
(『書きだすことから始めよう』 バーバラ・シェア アニー・ゴットリーブ著 Discover)
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現実の世界は厳しいところで、自分がなりたいと思ったものに
誰しもなれるわけではないのはひとつの事実です。
自分で天才を目指すにしろ、わが子を天才に育てあげようと目論むにしても、
おこがましくて口にするのもちょっとなぁ、という感じはします。
けれども、景気の悪化や就職難を目の当たりにして
将来に自分独自の夢を描くことすら躊躇してしまう若い子たちを見るのは辛いです。
人生は長いし、その長い道のりを世界にひとりだけの唯一無二の自分として
生きていくのですから、
自分の心を常に明るい方角に向かせてくれるような
オリジナルの夢を自分も持ち続けたいし、
子どもたちにも持っていてほしいです。
わざわざ天才なんて言葉を使わなくてもいいけど、人に生まれたからには、
生まれ持った自分の力を磨けるところまで磨いて、使いきりたいものです。
「店頭に並ぶ際、より高い値段をつけてもらうこと」をゴールにするような
人生なんて、やっぱりつまらない。
世間の人からは低く見積もられたって構わないから
自分らしさを見失いたくありません。
わが子たちににしても、社会のあり様に不平をこぼすよりも
自分の夢を胸のなかで大きく膨らませてほしいし、
一歩一歩前に進むための
ささやかな努力を楽しめるような朗らかさや知恵を持ってほしいです。
そのために親は何をすればいいのかというと、
やはり先の『書きだすことから始めよう』 で挙げられていたリストが重要なのでしょうか。
まず親自身が地に足をつけて自分をしっかり生きている上での話しでしょうが、
子どもがさまざまなことを試して、
たくさん失敗し、何度も選びなおし、何度でも1からスタートし、自分の弱さを受け入れる過程をしっかりサポートしていきたい、
どんな小さな成功もその子自身の心が選んだものなら祝福したい、
と感じました。
以前、「天才」という言葉について、あれこれ思うことを記事にしたことがありますから、貼っておきますね。
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<「天才」という言葉>
「天才」という言葉、日本ではタブーのように扱われている部分がありますね。
「英才」や「秀才」や「できる子」は目指せる、作れるけれど、
「天才」は生まれつきのもの
誰もが目指してはいけないもの
子どもが天才であってほしいと願うなんて、ずうずうしいにもほどがある…
そんな声をたびたび耳にします。
でも、私は、英才とか秀才とかできる子って言う言葉が、
あんまり好きではないんですよね。
受験戦争や競争社会という小さな枠のなかで
勝ち抜いていけるか…ていう
大人側からの期待や願望から生まれているような気がするからです。
そして「天才」は…というと、レオナルド・ダ・ウ゛ィンチとかアインシュタインのように、
学ぶことを愛してやまず
人生を自分の思うままに生き抜いたイメージ
が、大らか~で好きなんですよ。
「天才」とは、一般常識や他人の期待に振り回されずに、
「自分」の興味と夢を満喫して生きられる人でしょうし
幸運にも「天職」と呼べる仕事と出会えた人なのでしょう。
私は、周囲に認められるか、
その時代から「天才」という言葉を授けられるかは別にして、
子供たちには どの子にも天才のようにいきいきと生きいって欲しいなぁと思っています。あくまでも願望ですが…。
「天才を作る時間~どれぐらいあればいいのか」の記事のなかでは、
天才を作るのは、☆あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則という記事のリンクが貼られていました。
そこで「天才」が作られる法則としているのが、
1,10000時間を費やせる努力と情熱。開始年齢はあまり関係ないらしい。
2,時代と才能が一致するタイミング
なのだとか…。
1の10000時間を費やせる努力と情熱。
と言うと、エジソンの
「天才は1%のひらめきと99%の汗」という言葉が浮かびます。
本当は、エジソン自身はピピピッとひらめくことを
重視していたらしく、
(1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならないというニュアンスでこの言葉を発言したらしいのですが…。)
竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続けたエジソンの姿は、
英才くん、秀才くん、できるくんからすれば、「実験オタク」や、単なる「バカ」なのかも知れません。
天才を作る時間が10000時間という話の真偽の程はどうであれ、
「何かが好きでたまらないこと」
「心底、ひとつのことに夢中になって打ち込めること」
「誰かのためにでなく、自分で自分の人生を切り開いていること」
が天才の必須条件のようです。
2の、運…
私はこれは、偶然の産物ではなく、
宇宙とうまくシンクロできているかどうか…
SQ(精神的知能の略)…意味や価値という問題を提起して解決する能力を
人生のなかで十分高める事ができたかどうかに関わっているのだろうと
思っています。
SQを高めて行くことが、自分を個性的な人生へと導き、天職と出会わさせるのだと感じるからです。
SQとは、
広い豊かな視野に立ち、自分の行動や人生に意味を見出す能力のことです。
数あるなかから、より意味のある行動路線や
人生の道を選ぶための能力です。
「SQ 魂の知能指数」によると…
IQなら、コンピューターも高いです。
EQ(こころの知能指数)は、動物達も高いです。周囲の状況を察知する能力にたけ、過たずにそのルールに従うことができるのです。
しかし、コンピューターも動物も、
なぜそのルールがあるのかも、なぜそういう状況になっているかも
問うことがありません。
SQを持っている人間は、ルールや状況を変えることができます。
限界と遊び、識別し、道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情で
やわらげることができます。
同情や理解が限界に達したら、限界だと悟る事ができます。
IQは、脳内の「直列的な神経配線」にもとづいているそうです。
EQは、「連想を引き起こす神経配線」にもとづいているそうです。
SQは、脳全体のデーターを統一する神経の共振にもとづいているそうです。
「天才」という言葉から、ずいぶん脱線していますが…
SQテスト
柔軟である能力(積極的かつ自発的に適応できる能力)
高度な自己認識
苦しみに立ち向かい、苦しみを利用する能力
苦しみに立ち向かい、苦しみを乗り越える能力
夢や価値に触発される資質
不必要な危害を他人に加えたくないという気持ち
多岐にわたるものごとのあいだに関連性を見る傾向
「なぜ?」とか「もし何々だったらどうなる?」という質問をし、
゛根源的な”答をもとめる顕著な傾向
心理学者が、゛場独立性”と呼ぶものであること。つまり、因習に逆らう器量を持っていること。
↑のテストがたくさん当てはまるというSQの高い人は
世間の評価はどうであれ「天才」と言えるのかも知れません。