このページの写真は子どもたちの積み木遊びの様子です。「やる気」の文章とはあまり関係がありません。
↑ (遊びの中でその子の持っている個性的な美的センス
が引き出されてくる時があります)
子どもたちが物作りや勉強に
前のめりになって参加するために教室でしている工夫として
「 ひとりひとりの子のやる気スイッチの入るタイミングを
ていねいに把握するようにしています」と書きました。
子どもによったら、やる気の火がつくまでに
かなり時間がかかる子がいます。
また誘われると、まず「やりたくない」という態度を示して、
ずいぶん経ってから、「やっぱりやる」と言い出し、
だんだん楽しくなって熱中する子もいます。
不安が強くて、目新しいことは何であれやりたがらず、慣れてくると
楽しそうに参加する子もいます。
そんな風にやる気のスイッチが入るまでに時間がかかる子に
関わる時、
親御さんの対応は「すぐさせる派」と「待つ派」のどちらかに分かれます。
よくあるのはこんな対応です。
「すぐさせる派」で多いのは叱ってでもやらせる、しつこく誘う、強要するという対応。大人の言いつけを
とにかく守らせようとする。優しく誘いながら、子どもが活動しないことにがっかりする。
「待つ派の」で多いのは、子ども誘導しようとしながらも、まだかまだかと強い緊張感を持って
待ち続ける。子どもの気持ちを気にしすぎて、おうかがいをたてる。
どうすれば子どもがやる気になってくれるかとあれこれ試す。
ただこの「すぐさせる派」の対応も「待つ派」対応も、
子どもの態度をよりぐずぐずだらだらさせたり
ただスイッチが入りにくいだけでなく、「やりたくない!イヤだ!」という強い気持ち
を生むことにもつながりやすいと感じています。
ならどうすればいいのかと悩んでしまいますよね。
わたしは「すぐさせる」か「待つ」かという態度で
大人の対応を固定させるよりも、
大人が感情の面で、その子という個性と成長の段階と
物事に取り組み集中していくタイミングのあり方を理解した上で、
とにかく「意欲的にできた」「やってみたら楽しくて達成感があった」
「思ったほど難しくなかった。自分にはこれができそうだ。またやってみたい」という
心で終われるようにサポートするのがいいかな、と思っています。
やる気なんて、「やる気を出そう」という子どもの精神的な努力で生まれるものではなくて
意欲的に取り組んでみて達成感を味わったとか、
活動そのものに興味がでてきて、しらずしらず熱中していたという体験が
何度も重なるうちに、ゆっくりと作られていくものです。
小さな「できた」の積み重ねを土台にして
意欲的な態度が育ってくるのです。
また、遊びの世界での意欲的な態度は、
(おもちゃに遊んでもらうのでなく、創造的に遊びこむ体験)は、
学びの世界での意欲的な態度にもつながっていきます。
教室では「すぐさせる」時もあるし、「待つ」時もあります。
たとえば、この活動はこの子にとっていい体験になるし、やり始めたらきっと楽しいだろう
というような時も、やる気になるタイミングがくるのをまだかまだかと
待ち構えるのではなくて、
「今日は、いっしょに積み木で何かを作ります。それは今日の決まりです。
何を作るかは自由だから、いっしょに考えよう」と
はっきり言い渡す場合があります。
また、日によっては、子どもが自分から「やりたい」と言い出すまで
自由にさせている日もあります。
そんな風に、その日の状況で変えるなら、どうしてわざわざそれぞれの子のタイミングを
把握しているのかといえば、子どもが大人の誘いに乗らなかったり、
すごく嫌そうな横柄な態度で参加したりしたとしても、
どうして他の子のようにふるまわないのかと気をもむのではなく、
その子のペースを信頼して見守るためです。
また、ここぞという時に、その子がスッと活動に入っていけるように支えています。
小さなところで成功させて、より大きなところに
その前向きな態度が広がるように、支援しています。
まずいのは、いつもやりはじめてしばらくしてから熱中しだす子に対して、
最初の時点でやる気のある態度を求める思いを大人が抱いたり、
「こうであってほしい」という期待を押し付けたりすることだと思います。
最初はいやいやしはじめても、途中から、誰よりも集中して物事に取り組む
子たちがいるのです。
一方、子どもがそれを「やりたい」と思う以上に、
大人が子どもにそれを「やりたいと思ってほしい」と感じている状況も
子どもの意欲を減退させると思います。
子どもは大人の期待に敏感です。
特に自分の感情や思考に対してまで
何らかの期待があると、
たとえ大人が口にださずにひたすら自分がやる気になるのを
待っていてくれたとしても、
強い抵抗を示します。
算数の学習時にも同様のことが言えます。
子どもが勉強に対して抱いている意欲以上に、
大人が子どもに意欲的に学んでほしいと期待すると、
その期待のせいで子どもの意欲は減退してしまいます。
子どもの意欲は、それまで意欲的に取り組めた体験の蓄積の上に築かれていきます。
ですから、最初に、
子どもがいやいややりはじめたり、やる気のない態度だったりしても、
子どもの態度を正してあげようとするのでは、
自発的にがんばったという体験がひとつも積めないと思います。
それよりも、その子なりのタイミングで、
実際に集中できるよう支えながら、
子どもがやる気を持って勉強に熱中する達成感を味わえるように
サポートしてあげることが大切だと思っています。
「やる気」は「ある・ない」で語られがちですが、生身の人間について考える時、「やる気がある・ない」だけという視点は、あまりに表面的でその場限りの、ものの見方ですね。
以前、「自信がある(ない)」という表現でなく、「自分を信じること(信じないこと)を学ぶ」という言い回しに出会った時も、同じことを思いました。
子供をあたたかくサポートできるように、頑張りたいと思います。