昆虫や鳥の世界も4つ足で歩く動物の世界も、
子どもが親をわずらわすことってそれほどありませんよね。
もちろん、ライオンの子育ての様子なんかを映像で見ていると、
子ライオンがしつこくいたずらをして、親ライオンがガブッと軽く噛みついて
どこからどこまでが許されるのかしつける姿があるのです。
でも、そうした子育てはいたってシンプルで、
人間の子ほど次から次へと親に新たなわずらわしい課題を与えることはないでしょう。
どうしてこんなに人間の子がめんどくさいか……といえば、
勝手に自分で育ってしまわずに、大人の手をわずらわして成長する必要がるからなのでしょう。
それほど高度な生き物なのです。
ややこしいから大人が関わって、そうして関わり合うから一人で育つ場合にはとうてい不可能なほど大きく成長する
のですから。
子どもを効率的に最善の形で発達させるために、
進化の過程で得た能力のひとつが、
成長過程で親をわずらわすということなのでしょうね。
『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)の
なかで、
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「親(育てる者)-子(育てられる者)」という非対称的関係における
コミュニケーションの過度的段階でのある特徴を見て取ることができるように思う。
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という一文に出会い、大人の手をわずらわせながら成長する子どもが特にややこしくてめんどくさい時期について
大切な視点を与えてくれる内容だなと感じました。
「コミュニケーションの過度的段階のある特徴」って
どんなものでしょう。
この著書によると、この過度的段階のコミュニケーションとは
次のような意味をになっています。
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ことばの獲得過程のいまだ途上にある子どもにとっては、
ことばは自ら自由に操ることができるような道具ではない。
しかし、ことばを獲得して
大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、
子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語ってもらうことが、
大きな喜びとなっている。
母親に依存しながらも、ことば文化を取り入れたいという欲求をも
同時に表現している。
依存(繋合希求性)と自立(自己実現欲求)が深く錯綜しながら
展開している母子コミュニケーションの一断面をみる思いがする。
『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)p129
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「過度的段階のコミュニケーションが大事なのはわかったけど、
それって具体的にいうとどんなもの?」と思いますよね。
「大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、
子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語ってもらうことが、
大きな喜びとなっている。」ときの子どもの姿は、
↑の著書に次のようなエピソードが紹介されていました。
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<エピソード1>
絵を描いて、自分が何を描いたか、私に言わせようとする。絵を指して、私の方を向いて<言って>というふうに
少し催促する声を出す。
目を見ても<これはなんだ?>と<言ってみて!>という気持ちがよくわかる。
すぐにパッと答えてあげれれば大満足で安心する。
でも、ときどき忘れてことばにつまることがある。
そんなときは、小さな声でそっと頭文字のことばを教えてくれる。
「パーキング」なら「パ」、
「プリンスホテル」なら「プ」、頭文字がはっきり聞こえず、こちらがわからないと、
すごく怒る。
一日に数回は怒らせてしまう。たまに、途中で私がわかって正解を言うと、
パッと目に涙をためながらも笑ってくれて落ち着く。
切り替えは早い。
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<エピソード2>
数日間から朝起きるとすぐに「(何かを)トッテ」
と要求することが多くなってきた。
母親にしてみると何をとってもらいたいのか、
本人の好みがいくつかあるので想像はできるのであるが、
何かはっきりとはわからない。
そのため時折違った物を持ってくるとひどく不機嫌になってしまう。
自分の希望の物を持ってきてもらうととてもうれしそうに反応している。
ではどうして何をもってきてほしいと明確に言わないのか、言えないのだろうか。
日ごろはほしい物に関して何らかの表現方法は身につけているのであるから
言ってもよさそうなのだが、それを母親に直接的に言わない。
なぜなのか母親は首を傾げている。
(エピソードはふたつとも 『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)より引用
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子育て中の方は日々体験しているでしょうが、
子どもって自分で言わずにわざわざ大人に言わそうとして、
ややこしい行動をとるものですよね。
ユースホステルでのレッスンで、教室での定期レッスンにも通ってくれている
2歳のおしゃべりの男の子のお母さんから、
「うちの子良い子すぎて心配なのですが……」という相談をいただき、
「えっ?★くんが?いえ、★くんは、いつもけっこう好き放題言ってて、
良い子すぎじゃないから大丈夫ですよ~」と思わず笑いながら応えてしまい、
後から、「奈緒美先生、ひどいですよ~あれは結構傷つきました」とこれも笑いながら告げられた
出来事がありました。
というのも、★くんはそうとうなぐずぐずさんで、激しいかんしゃくこそ起こさないものの、
何かするたびに、ぐずぐずぶつぶつぐだぐだ~とややこしいこと極まりないのです。
★くんのお母さんは大らかな性質の方でとにかく★くんがかわいくてたまりませんから、
いちいち「これはどう?」「ならこれでは?」と延々と相手をしてます。
そうしてたくさん相手をしてもらっているので、しょっちゅうぐずぐず言っていても、
それが★くんのお母さんにとってわずらわしいことのようには感じられず、
楽しい親子の交流の時間になっているのです。
そうして相手をしても少しも苦とは感じないお母さんももとで、
★くんは2歳とは思えないほど表現豊かに会話したり、考えたことを言葉にするのが上手になっていました。
次回に続きます。
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