最近の小学校の算数セットは、ひと昔前のものと比べて
ずいぶん様変わりしたようです。
かつてわが子の就学を控えた親たちをうんざりさせた
算数セットの名前つけ作業も、
今では、単語カード風に束ねてある計算カードと
せいぜい10個までの具体物、プラスチックの時計などに名前をつければいい
だけのようです。
算数セット自体、使わない学校すらあって、
ないならないで授業が成り立つなら、算数セットなどという面倒な道具を
どうして購入させていたんだろう、と古い教育の無駄なあり様を
疑問に思う方もいらっしゃるようです。
確かに、授業中の手遊びのもとになるようなセットがあるのは
面倒なだけかもしれないし、
ちまちました小物は無くし物と忘れ物の元凶となることでしょう。
それでも、「1年生で教えるのはここまでだから……」という数の棒やチップの横で
幅をきかせる計算カードを目にすると、
もやもやした心配が頭をもたげてきます。
かつての算数セットはよかったとか、今の算数セットではダメだとか、
そういうことではなくて、
それは、世の中のお母さんの考えや先生の考え方を象徴しているようでもあるし、
子どもの置かれている環境や子どもの脳内を具現化したもののようにも
見えるからです。
教室に初めて来る年長さんや1年生の算数の力を見ていると、
「3+1=」といった問いには、即答できるのに、
★ちゃん、●ちゃんの前にドーナツのおもちゃを2個ずつ置いて、
「★ちゃんのドーナツを1個、●ちゃんにあげるとどうなるかな?」といった
質問には、首をかしげたままになってしまう子がけっこういるのです。
目の前の物を見ながら、「これをこっちに移動させたら、どんな風に変化するかな?」と
イメージすることができないのです。
物を手で動かさないでもイメージできるようになるには、
それまでに実際に物に触れて、手で操作した体験がたくさん必要です。
いくら計算カードで式を暗記しても、
物をイメージして考えていく力が伸びていくわけではないのです。
計算カードを暗記する時、子どもによっては
まるで電話番号を丸暗記していくような理解で
覚えていく子もいるのです。
また、3人の子どもたちがいる時に、
「★ちゃん、☆ちゃん、●ちゃんの3人の子の手の中に3個ずつおはじきがあるよ。みんなのおはじきを合わせるといくつになる?」
とたずねても、ひとりひとりの子を指さしながら、
「1,2,3……4,5,6……」と見えないおはじきを数えあげていくことができない子もいます。
算数セットが貧弱になったから、
具体物そ操作したり、イメージしたりする力が弱くなったというわけではない
けれど、
できるだけ効率的に学習単元をマスターさせていくこうという考えを
世の中の大人たちがこぞって目指すことには、
意外な落とし穴があるのではないか、と考えてしまうのです。
2ケタの筆算はできるけれど、数の理解がほとんど進んでいない子たちといっしょに
100を作っていく遊びをすると、
それまで学校で何度計算プリントをしても
ピンときていなかったことが、
ハッとわかる時があるのです。
「小学1年生で学ぶのは、この数まで」と決まっていても、
実際に目で見て、手で操作する数が
習う数の範囲だけだと、本当の意味で
数について理解できるのでしょうか?
わたしは習うものが10までの足し算という時にも、
目で見て、身体で数を知るには、
100とか1000といった数を見たり触れたりすることが大事だと
思っています。
数というのが、どこまでも続く秩序として
子どもの中に根付くには、
たくさんの数を見たり触れたりする体験が必要ですから。