前回の記事を書き終えた後で、夕食時に2階から降りてきた息子に
ブログの記事に目を通してもらいました。
こんなことはめったになく……というか、ブログを始めてこの7年、1度あったかどうかくらい
めずらしいことなのですが、
何となく心が落ち着かなくて、
「悪いけど、今日、書いた記事を見てくれる?何だか攻撃的な嫌な文章だと思うけど、
上手く言葉にできなくて、半ば自虐的な気持ちで書いていったんだけど。削除した方がいいと思う?」
とたずねました。
「いいよ」とふたつ返事で記事を読み始めた息子は、
「うーん、悪くはないよ。でも、そういう文章をブログってツールを使って伝えるのはどうかって
思う。こういう読んだ時、後味が悪い文章っていうのは、
たとえそれが真実で、お母さんの思いの
根幹に触れるような考えだったとしても、大多数が第三者って場に、
ブログのような簡単なシステムで伝えるべきじゃない
と思う。そうすれば、結局、反対意見の人を引き付けるだけで終わりがちだからね。」と答えました。
(それからわたしと息子はそのことについて長々とそのことで話あいました)
母 「それはわかっているわ。書いている自分がイライラしていい気持ちがしないもの。
何よりお母さんが大切に思っている人が、自分がこの嫌な指摘に当てはまると感じて、
憂鬱な気分になるかもしれないしね。それに、そういう気持ちになる人のことを、お母さんは少しも
悪く思ってるんじゃない、ということがあるしね。言葉の持つ難しさで、伝えたくない相手に、
伝えていないものが誤解を伴って伝わることが大いにあるから。
それに、お母さんのブログはこれまでもずっと平和で、いい読者に恵
まれ続けてきて、
ここにきて、反対意見の人を検索で探り当てて議論をふっかけようとする人とごたごたしたり、
ずっとブログを読み続けてくれた人を傷つけるかもしれないことを書くなんて、
自分でもどうかしているって思ってるわ。
それでも書かずにはいられないのは、怒りとか攻撃的な思いというより
そこに大きい悲しみがあるからだと思うわ。
幼児をめぐる現状を見るうちに、
どうしようもないような悲しみを感じ続けているのよ」
息子 「ぼくはお母さんが言いたいことはわかっているし、
完全に伝わってはいるよ。
だけど、この文だけをブログって媒体で目にした人には、
陳腐に映るのもやむえないんじゃない?
それはお母さんの心の中の大事なものを表現したものだろうし、そういう大事な意見は、
言いすぎたという面を消したしたり、足りない言葉を書き足したりできるような
何度も時間をかけて推敲する時間があるもの媒体で書くべきでさ。
ネットだと簡単に発信できるだけに、感情的になっていると、その時の強気な思いのまま
文を書いてしまって、結局、お母さんと思いは同じでちゃんとした文章なら読んで
もらえるような人にも悪く取られるようなことも起こるからね」
母 「それは自分でもよーくわかってるのよ。
だって自分で書いていて、いい気分しないし、もともと誰かを攻撃するような
書き方は好きじゃないから、自虐的な気持ちに陥ってるもの。
でも、悪く取られたり、ブログ読む人が減ってもそれはそれでいいって気もしているの。
だって、もしお母さんの意見に対して批判的な反対派って人がいたところで、
実際は、敵じゃないのよ。お母さんの中ではね。
それは自分の分身みたいなものだから。
お母さんは子育て中の人にたくさん会ってみて、しみじみ感じるんだけど、
日本人って気が優しくて、子ども好きの人が大多数。
意見は違えど中身は似たり寄ったりな部分が大いにあるわ、特に子ども好きって点ではね。
お母さんが悲しくなってしまうのは、
そんな穏やかな気質で子どもへの愛情もふんだんに持ち合わせている日本人が、
どこでどう間違うのか、
自己肯定感の低さでは世界で上位に数えられるような若者を増産している
ってことなのよ。
なぜそうなるのかは、薄々わかるのよね。だって自分が子どもの立場なら
そう行きつかないわけないだろうって考え方が社会に蔓延しているから」
息子 「お母さんの気持ちはわかるけどさ、ああいう文章を書くと机上の理論で意見を
戦わせたがる人が寄ってくるだけで、伝えたい相手には何も伝わらないよ。
1500人とか1800人とかいう人が毎日見に来ているけど、
その大半がお母さんの教室がどんなものか知らないわけでさ。
それにいい子ども時代なんて皆無、子ども時代を振り返っても何のイメージもない
って人は世の中にたくさんいるわけだからさ。
お母さんには自分の子ども時代のイメージが鮮やかに残っていて、
たくさんの児童文学を読んで、それをいかにすばらしいものとして感じ取っていたとしても、
それを子どもの頃、良い経験なんかしたころがない、嫌な経験をするくらいなら勉強していた方がまし……
という人に伝えようとするのは、
相手の意見を余計こわばらせることにしかつながらないよ。」
母 「確かに、自分の中の悲しい感情の持っていきどころがなくて、
自分の中に考えが固まっていないのに、むしろ固まっていないからこそ、
それを整理するために、書き散らしていたきらいがあるわ。
考えが固まっていないといったって、お母さんの基本の考え方は
いつも同じひとつのものでしかないから、書き方が整理されていないと言うべきだけど。
それを推敲もせずに書き散らすのは、確かにブログという媒体に甘えている」
このぐだぐだした話合いはまだまだ続きました。次回にもう少し続きます。