虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「子どもがやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という質問 

2017-02-02 08:20:24 | 日々思うこと 雑感

「子どもがやりたがらない時も、工作に誘うべきでしょうか?」

「ブロック遊びは好きじゃないようなので、子どもの好きな遊びを優先させた方がいいでしょうか?」

という質問をいただくことがあります。

 

言葉上の質問だけを目にすると、「遊びというのは自由なものだし、無理矢理、大人の意向に従わせなくてもいいのでは……。」と思いもします。

でも、実際、そうした質問をくださった親御さんとその子どもに会っていっしょに過ごしてみると、そうした質問の背後にはさまざまな親子関係の問題や子育て上の迷いが隠れていて、

安易な答えはかえってそれらをこじらせてしまうかもしれない、と感じることが多いです。

よくあるのは、親子関係が希薄で、親から子へ子から親へと気持ちが通いあうような時間が短かったり、遊び中、親子の会話がほとんどなかったりするケースです。

また、子どもに年齢相応の遊びを組み立てる力が育っていない場合もあります。

遊んでいるようで、ただおもちゃを出して触っているだけだったり、目新しいおもちゃを広げるやいなや、次のおもちゃを探しに行くことの繰り返しだったりするのです。

そうした状態を打開しようと、工作やブロック遊びなどに誘ってみるものの、子どもが乗ってこない……。

そこで、「子どものやりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」と迷っている方が結構いらっしゃるのです。

 

お家での様子をうかがうと、「日中は保育園で過ごしており、帰宅後、ついテレビでおとなしくさせてしまう」とか、

「毎日、習いごとで忙しいので、もし工作やブロック遊びをさせるとすると早朝にさせることになるが、それでもやらせるべきでしょうか?」といった返事をいただきます。

幼い子が、何でも真似したがり、誘われなくても無理矢理、遊びに割りこもうとする相手は、その子の幼い兄や姉です。

少し年上のきょうだいは、弟や妹を遊びに誘うべきかどうか迷うこともなく、「何して遊びたい?」とたずねることもありません。

ただ楽しそうに遊び、自分ができないことを上手にやってのけるだけです。

時には、弟や妹が近づくたびに泣き叫んだり邪険に追い払ったりすることもあります。

でもそんな存在が、他の誰よりも幼い子たちの好奇心を刺激し、遊びの世界に引きこむのです。

 

「子どもがやりたがらない時も、工作に誘うべきでしょうか?」

「ブロック遊びは好きじゃないようなので、子どもの好きな遊びを優先させた方がいいでしょうか?」

という質問をいただいたとき、

子どもに親の行動を模倣しようという気持ちが薄かったり、親子の間に自然な遊びや気楽な会話のやり取りが生じにくかったりする場合、

「誘う」という大人の態度のあり方に問題を感じることがよくあります。

ただ普通に「誘う」こと自体、何の問題もないのですが、相手が1歳や2歳の子にも関わらず、「○○する?」「○○してみたい?」と、子どもの気持ちをたずねてから遊びに入ろうろする親御さんの子は、

「ままごと」のような好きな言葉だけに反応して、同じ遊びだけ繰り返したかと思うと、大人の声を邪慳に振り払い無視することが遊びのメインになっていることがあります。

また、子どもが大人の遊びに乗ってきた時に、工作なら

「喜んで楽しそうにやってほしい」

「食いついてほしい」

「最後までやりとげてほしい」

という大人の思いがあるために、「途中で飽きた」「途中から親にやらせていた」「あまり楽しそうにしてくれない」といった判断を大人の側が早々と下してしまうこともよく起こるようです。

遊びって、もう少し自然に生じ、育ち、発展していく面があるんじゃないかな、と考えています。

それは工作やブロック遊びのような創作活動にしてもそうです。

それを遊びと呼んでいいのか、何をしているのかわからないような行為や活動が重なりあううちに、子どもにとって意味や価値のあることが熟していく過程が遊びなのではないでしょうか。

子どもがパーキングに車を入れる遊びをしている時、「駐車券をお取りください」と言いながら、小さな紙切れが出てくるところを作ると遊びが盛り上がります。

そんな時、いらない紙のはじっこをハサミで切って、「券もどき」を作ってあげると、子どもにとってハサミはあこがれのアイテムになります。

無理矢理「やってごらん」と誘うまでもなく、ちょっと面倒でも、何度か大人が楽しいことにハサミを使う姿を見せれば、子どもは自分もやってみたいと思うはずです。

ただ、そうした自然な遊びが成り立ちにくい場合、親が性急な結果を出そうと無意識に余計なサインをたくさん出している場合や愛着の問題、

子どもの対人関係の作りにくさなどが背後に隠れていることがよくあります。

そんな風に別の問題が隠れている場合、「やりたがらない遊びに誘うべきかどうか?」という問いへの答えをもらって、それを実行していれば安心だと思うことは、

子どもの問題を感じ取る親の勘を鈍らせることになるかもしれません。

 

写真は年長のAくんのカブトムシ型乗り物。

コストコの巨大な袋に何を入れてきたのかと思いきや、お家で紙箱を貼り合わせて作ったこの乗り物が入っていました。

「虹色教室で改造してすごい乗り物にしたい」と言って、教室のある日を心待ちにしていたそうです。

 

この乗り物、持ってきた時は、ざっと紙箱を貼り合わせただけだったのですが、

「全部、黒くして、カブトムシの乗り物ってわかるようにしたい」

「合体もして、武器もついてて、この丸いやつ(メロンアイスのふた)が回転しながら飛んでいくようにしたい。それから、前やったみたいに、せんたくばさみを開いたら、ゴムがビュって飛んでいくようにしたい」

「はねが開いたり、閉じたりするようにしたらどう?ねぇ、先生?」

「つののところにアイスのカップつけて、つのが出たり入ったりして、片付ける時に小さくなるようにするよ。だって、これ、大きすぎるから」

「合体する方のやつにも、はねをつけたらどうかな?そうしたら、空を飛んでいて、下りてきて、合体して、潜水艦みたいに海に沈んでいくことができるよね。」

と舌も手も忙しいAくんに材料を用意したり、しかけのアドバイスをしたりするうちに、Aくん大満足の出来に仕上がった模様です。

誇らしさと達成感で、表情が輝いていました。

 

 

工作の後で、Aくんはかなり難しい算数パズルを解いていたのですが、抽象的な概念もしっかり理解して、的確に解いていました。

解いている最中、「ぼくは、こういうの大好きだ。もっともっと解きたい!」と自信に満ちた声で言っていました。

創作活動がAくんを意欲でみなぎらせ、自分への深い信頼感につながっているのを感じます。

 

ミヒャエル・エンデのこんな言葉があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

創造的な力は最高の人間の力である。それは決して基礎づけられたり、習得されたりしないが、私はどんな人間もそれを身につけており、

神との真の類似性 ―あるいは神との同一性でさえ― がその中に含まれていると確信している。 

『Das Phantasien-Lexikon』(遺稿より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしはどの子にも自分の創造力を発揮する機会を持たせてあげたいと思っています。

お母さんに「○○作って!」「○○はこういう風にして!」と作らせてばかりいる子も創造力を発揮しています。

カブトムシ型の乗り物を作ったAくんが、「こういう風にしたい」「こんなのを作りたい」とイメージを膨らませて、あれやこれやおしゃべりを続けているのにしても創造のたまものなのです。

Aくんは大雑把にテープで貼り合わせていくという技で手を使って創造することもしています。

でも、手を使って作ることだけが創造力を発揮することではないし、手も頭もどちらも使わないと創造力を使ったことにならないわけでもありません。

頭の中で創造するのも、手で創造するのもどちらも大事だと思って、創造の楽しさを親子で味わうようにすると、「誘ってもやりたがらない」という状態が、「子どもが遊びの中で

創造力を発揮できるように自然な手助けをする」という状態に変わっていくかもしれません。

 

写真は自閉っ子のAくんのブロック遊びの様子です。

クレーンのおもちゃを取りつけるために、ブロックで枠を作ったり、クレーンにひもを取りつけたりしました。

わたしといっしょに、ブロックの棒を引き抜くとビー玉が落ちてくるしかけも作りました。

年長になった今、お友だちと協力しあってブロック作品を作りあげていくことを心から楽しんでいますが、1年半ほど前は、誘われたことは何であっても(工作もですが、それ以外何でも)

頑なに拒絶するか、ひとつの作業にだけこだわるかのどちらかでした。

でも、今のAくんは自信を持って、主体的に動きます。

 

可動式のゴムでっぽう。



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1 コメント

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やっちゃってました (よしこ)
2017-02-11 07:21:28
誘ってもやりたがらない…

先生のblogを読んで遊びに誘ってみても、親の思うような遊びにつなげようと誘導しすぎる時は盛上らない(笑)
下の子がうまれたので、6才の息子にはちょっとヒントだけあげて放置することが多くなったのですがその方が黙々と遊ぶ遊ぶ!!
先日ベイブレードの記事を読んで性能を比べる表を作ってみたら?と枠の線だけ引いてあげたら、重さと耐久時間の表を作ったり勝ち方で点数を棒グラフにしてみたり工夫して遊んでいました。

文字や絵にあまり興味をもたなかったので小さい頃ヤキモキしましたが、そういえば交互に絵を描くお絵描きしりとりは盛り上がりました。
親が夢中になってやっている姿を見せることが良かったみたいです。

漢字も含め文字は良く読めているのですが、書く方は教えても嫌がり…なんとか書けるようになった程度。
ベイブレードの表を作る時はよろこんでカタカナを書こうとしていたので、修学前の息子の書く意欲につながりそうで良かったです。
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