King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

神の意思

2006年05月23日 01時52分45秒 | 日々のこと
NHK BSの映画でフリスコキッドを見ました。
ラビが荒野のアメリカ西部を旅して花嫁を娶る話です。
そして、その旅先案内人にハリソンフォードが努めます。
彼の商売は銀行強盗・列車強盗です。捕まれば
絞首刑です。現代なら許されない大人の御伽噺と
言った所でしょうか。昨日のクリムゾンリバー2でも
刑事がアンフェタミンを飲んで元気が出て危機を脱したという
シーンが出てきますが、こんなの流していいのかねと思うシーンです。

日本ならアンフェタミンを手に入れて飲んでみようという
若者も出ないと思っているのか、手に入らないし、
違法薬物の中でもポピュラーじゃないからいいとお目こぼし
なのか不審に思ったシーンです。

今日のは、ラビがアメリカ大陸を西も東も解らず、馬にも
うまく乗れないのに、強盗にあったり、インディアンにあったり
冬山を越えたりと、大変な苦労をするので酒を飲んだり
肉を食ったりと割と血なまぐさい坊さんなんですが、それでも
自分の目の前で犯罪が行われていくことや賭博やら売春は
あまりうるさくないのです。

しかし、自分が人を殺したときには、もう自分はラビでないと
落ち込むのです。その彼の台詞で、インディアンに捕まり
神は雨など降らさないといい、インディアンの神も自分の神も
ひとつだといいます。まあこの辺の宗教観は正しいのでは。
特に、神はすがるものを全て助けてくれるという文字通り
神頼みは、現世を少しでも楽にという願いから来ています。
しかし、多くの宗教では最終目的は永遠の命だったり、極楽
浄土に召されることだったり、つまりこの世にはないのです。

宗教より現世での幸福を優先させた日本の人々のように
神よりも現世で豊に楽しく暮らすことこそ幸せなのだといまだに
思っている人もいることでしょう。神が全能で全知であれば、
そりゃあ雨など降らすのもたやすいでしょう。でもそうしないと
いうラビの言葉は正しいのです。映画ではそれでも雨は降るんです
けどね、これはコメディだから。でも、これが多くの人の望む事
なのでしょう。そして、多くの現実では物語のようにうまく事が
運ばないのです。

それにしても神がいるという証拠を人々は喜びます。
神の意思が全てで、それは常に人知を超えていると
だから、無私の願いこそが尊ばれるということにされています。
人々の好きな話をひとつ。
ドイツの片田舎で、強姦の容疑者が二人挙げられて
どちらかが真犯人に間違いないが、二人とも決め手がない
困り果てた神父はサイコロをふたりに振らせより大きな数字を
だした者を無罪放免することにしました。ひとりめが振ると
6と6が出ました。もうこれ以上大きな数字はありません。
実はそのひとり目が真犯人なのですが。そして二人目が振ると
するとどうしたことか奇跡が起きて、サイコロが真っ二つに割れて
6.6.1と出たのです。

これは事実であり、その村にそのサイコロが展示されている
そうです。まあこういう話は、水戸黄門の印籠と同じで伝説
と大して変わりありません。でも、人々はこういう奇跡とか
神の意思というのは大好きなのです。聖書やお経に良い行い
をすれば良い事があるなどと書かれていないのに、いつの間にか
お布施をすれば現世でいいことがあるとなってます。

そんな手前勝手な事が通るはずがありません。
しかし、みんな自分の買った宝くじは当たると思って金を払い
ます。やること万事そんなことです。そんな人々が民主主義だと
言ってみんながいいと決めた事が最善の選択だと言う世の中が
よくなるはずありません。世界の歴史では、そういう世の中を
知ってしまった人々が帝国主義や全体主義はたまた共産主義
を生んだといいます。そして、貧しい共産主義の国々や社会主義の
国々の破綻を経験してじゃあどうすればいいのかというところに今は
きているのにやはり力で牛耳ろうとする勢力が幅を利かせている
そんな印象があります。

この世で生きる幸せを追求しても幸せになれないと気がつくには
まだまだ地球上には貧しい人々や食うのに事欠く人々が多すぎる
のかもしれません。

教訓としては、そんな地球ですが、自分になせる最善をなせ
です。それすらもできないという事が実に多いのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする