特別なものでなくても好きで手放せないという人は
多くいます。
イベントで出展したり大人数の人に珈琲を提供する
機会が増えています。
そんな折、接する人は店にみえる人と明らかに接する態度
が違います。
料理人とか、お店の人は何となく下に見ているという
尊大なというか大柄なというか仕事を下に見る傾向が
感じられます。
料理人や配膳の人やさらにコーヒーを淹れている人は
もっと下の立場のように接してきます。
珈琲の味も調べもせず砂糖とミルクをどばどばと注ぐ人が
大半で、何の為にやっているのかと何度も考えます。
しかし、こういう現場でもひとりかふたりは必ずおいしいと
わざわざいいにきてお替りしていく方や豆をほしいといって
くれる方がいます。
珈琲好きは必ずいるのです。
いつも珈琲を飲みたいと思う人、おいしいともっと飲みたいと
思う人。
そんなひとのために見下げられても赤字でもやるしか
ありません。
そういえば、まずいと突き返されたり、ひでえ味だと
けなされることはさすがにありません。
わざわざお礼に見えられる方や感謝の言葉に珈琲の
使命を感じます。
多くいます。
イベントで出展したり大人数の人に珈琲を提供する
機会が増えています。
そんな折、接する人は店にみえる人と明らかに接する態度
が違います。
料理人とか、お店の人は何となく下に見ているという
尊大なというか大柄なというか仕事を下に見る傾向が
感じられます。
料理人や配膳の人やさらにコーヒーを淹れている人は
もっと下の立場のように接してきます。
珈琲の味も調べもせず砂糖とミルクをどばどばと注ぐ人が
大半で、何の為にやっているのかと何度も考えます。
しかし、こういう現場でもひとりかふたりは必ずおいしいと
わざわざいいにきてお替りしていく方や豆をほしいといって
くれる方がいます。
珈琲好きは必ずいるのです。
いつも珈琲を飲みたいと思う人、おいしいともっと飲みたいと
思う人。
そんなひとのために見下げられても赤字でもやるしか
ありません。
そういえば、まずいと突き返されたり、ひでえ味だと
けなされることはさすがにありません。
わざわざお礼に見えられる方や感謝の言葉に珈琲の
使命を感じます。