King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

歩きの罠

2013年04月23日 13時30分02秒 | 日々のこと
先日、選挙の日投票所まで当然歩いて行ったの
ですが、その時思ったのです。

投票所まで3、4分程度のものです。

しかし、ああ遠い。歩くのやだ。

毎日12Kぐらい走る私が、たった数百メートルの距離を
歩きたくないと思ったのです。

雨も降っていて冷たい日でしたが、普段なら傘も差さずに
歩くところを、傘を使いジャケットに旅行用の靴と少しいつもと
違う格好をして出かけたらいつもと違う思いが頭に去来した
のです。

寒い日冬の日には走り出すまでに勇気がいりますが、
走り出せば暑からろうとも寒かろうとも関係ありません。

汗は冬でも出ますし、すぐに何も感じなくなります。

しかし、歩いているとそうはいきません。

走ることに集中するように歩くことに集中するというわけにも
町の様子を楽しんで歩くというほど珍しいことが知り尽くした
町にあるはずもなく、街路樹の変化も、行きかう人もなく、
なんと退屈なことか。

そんな走るときには到底思いをしないことを延々退屈だいやだ
と何分かのことがとても遠い道のりに感じたのです。

まず目的地に行くのが嫌だったことと、その先に待ち受ける結果も
いやだったことと、気の重いことが重なったためですが、まさか
歩きにまで文句が出るとは我ながらあきれた次第です。

元来散歩は好きなはず。

そして、トルストイの偽札を原作にした『ラルジャン』という映画を
思い出しました。


悪がきの悪さから善人が悪に転落する人生模様を描いた映画ですが、
淡々とした演技模様と現代化された映像に、そんな馬鹿なという思いと
ともに、最近頻発するテロや無差別報復的通り魔事件などどうして
起きるのか考えさせられた映画でした。

でも、人間はもっと崇高で、気高く、負けるにしてももっと違う道を
選ぶ人が多いはずと納得するのもこんな歩きの時です。

人生は歩きしかできないのです。

ジャンプや走ったりしてはいけないとつくづく感じる雨の日でした。
コメント
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