将棋とプロレスでは対比にならないかもしれないが、この2人の共通点は最初から自分が主役で、自分が勝つつもりでいることである。
負けることは最初から頭にはない。勝つことが当たり前と信じている。初めから「いい勝負」が作れるかという考えはプロ意識である。勝ち負けだけの世界ならアマチュアである。なるほど、ただ強いだけではプロは務まらないのである。
音楽でもそうであろう。ただ唄や演奏が上手いだけではだめで、いかに観客を楽しませることができるかどうかであろう。ただ自分の技術の優先性、卓越性を見せるだけでは、最初は「ほ~、うまいなぁ~」と感心させることはできるが、それは一瞬のものでありすぐに飽きられる。
いかに最後まで観客を惹きつけておけるかがプロであるかの所以であろう。
そして一流のプロの条件は最後まで観客を惹きつけるだけでなく、帰路に就いた観客に「ああまた観にこよう」と思わせられるかなのである。今回この羽生三冠の「羽生にらみ」の真意を知ってプロ意識を感じたのである。
負けることは最初から頭にはない。勝つことが当たり前と信じている。初めから「いい勝負」が作れるかという考えはプロ意識である。勝ち負けだけの世界ならアマチュアである。なるほど、ただ強いだけではプロは務まらないのである。
音楽でもそうであろう。ただ唄や演奏が上手いだけではだめで、いかに観客を楽しませることができるかどうかであろう。ただ自分の技術の優先性、卓越性を見せるだけでは、最初は「ほ~、うまいなぁ~」と感心させることはできるが、それは一瞬のものでありすぐに飽きられる。
いかに最後まで観客を惹きつけておけるかがプロであるかの所以であろう。
そして一流のプロの条件は最後まで観客を惹きつけるだけでなく、帰路に就いた観客に「ああまた観にこよう」と思わせられるかなのである。今回この羽生三冠の「羽生にらみ」の真意を知ってプロ意識を感じたのである。