自分が小学校の頃は確かに「注意欠如/多動性障害」なんて病気はなかった。その時そんな概念があれば自分もきっと「病人」にされていたかもしれない。自分でいうのもなんだが、その後この時の「落ち着きがなさ」が問題になったことはない(まあparanoia的なところは多分にあるかもしれないが)。ここ10~20年の間にこのような精神神経疾患の病名がドッと増えたような気がする。昔は「性格的かたより」とか「境界型病変」ということであったものが、今ではみんな何かしらの「病気」にされているような気がする。病人にされてしまうと、周囲の扱いも「病気」ということで面倒くさいものになる。換言すれば綿密な対応が求められるのである。それは時に腫れ物に触るような接し方、あるいは対応の仕方が要求されるようである。
自分は近くの小学校の校医をしている。毎年この時期は春の健診の時期である。この前、全校生徒の健診を行なった。ところでウン十年前の話であるが自分もこの小学校に通学していた。大人数で列に並んで一人ずつ校医の診察を受けた記憶がある。まさか自分が後年ここで同じことをしているとは夢にも思わなかった。当時、自分はたぶん随分と落ち着きのない子供だった。「たぶん」といったのは自分には落ち着きがないという自覚はなく、ただ母親からいつも「あんた、少しは落ち着きなさい」とよく小言を言われた記憶がある。今回、健診にいったら多動性障害と印のついた学童もいた。確かに列に黙って並べずすぐにどこかへいなくなってフラフラしているようだ。でも自分が小学校の時は自分もあれくらいだったような気がする。
そのような理由から素人の「あ これなら猫舌の私にも大丈夫」とだけの試食コメントは、大前提よりずっと手前の段階での放送事故のようなものなのである。編集スタッフもよくまあこんなコメントをオンエアさせたもんだと感心した。現在、この不景気の世の中であっても、グルメブーム、大食いブームは続いている。そして個人個人みんな自分の味覚の感性を持っている。もはやTVで「美味い」や「まずい」の表現だけでは個人は動かない。とりあえず人を動かすための表現には注意を払う必要がある。そこで、まあ大スターや有名タレントが「僕でも大丈夫」といったのならまだしも(たぶんタレントなら逆にそういわないが)、どこの誰かわからない素人に「私でも食べられます」なんて言わせても、だからなんなのよとツッコミを入れたくなってしまうのである。あー結局、このコメントのおかげで力が抜けてしまい連休中デパートの美味いもの市には行けなかったわい・・・(泣)。
最近では「まずい」と表現しても視聴者は「え 本当か?」と確認のため足を運ぶことも多い。というのはさんざんTVで美味いとの評判の店にいったら「なんで、これが美味いの? こんなに並ぶほどの価値があるの?」と思う店も多い。実際、TVの某バラエティー番組でやっていたが「この店はまずい」とやっていた。とりあえず宣伝になるので以後、客は沢山いったようだ。しかし本当にまずければ二度といかないが、「なんだ下品な味だけど結構うまいじゃなか」ということになればリピーターになる。つまり「美味い、まずい」の表現はあまり客入りに影響しないのだと思う。だからなおさら、「美味い、まずい」ではなく、こちらが想像できるような食べた時の味の表現が必要なのだ。そしてそのコメントされた味の内容を確認するために店に行こうかどうかを決めるのである。最近の視聴者は自分で体験して納得しなければリピーターにはならない。
それにしても、素人のインタビューなのでしょうがないが、この中年婦人も正直である。最初から言ってはいけない「美味い」という言葉でもいいからいってほしかった。しかしそれすらもなかった。「私にはこれなら大丈夫」というのは、「もともとダメなんだけども、なんとか我慢して食べられる。まああえてこれは好きではないが食べてもいい」といったニュアンスを感じてしまう。これでは視聴者というか私には購買意欲は湧いてこない。もちろん素人の試食なので別にコメントに期待するほうが間違いなのであるが、これでは店側にとってもマイナスイメージだし、番組的にもNGコメントである。自分としてはこちら側に味が連想できるような表現をしてほしかった。最近では素人でもきちんとインタビューで表現する。美味くてもまずくても味の内容が伝わらないと店にいってみようとは思わない。
ゴールデンウィーク中の話である。TVを見ていたら、都内デパートの全国有名物産などを集めたイベント会場を放送していた。そこでは「冷たくして食べるピザ」というものが売り出されていた。不思議な食べ物だったのでその味が知りたかった。ちょうど一般人に試食させてその感想を番組でインタビューしていた。ここである中年婦人の試食の感想である。食べ終わってなんと「あ 私、猫舌なんで大丈夫です」(そのままを記載)とただそれだけである。こちらはあなたの個人的な猫舌という体質を知りたいのではない。通常冷たくなると美味しくないピザをわざと冷たくして食べさせるという、その逆転の味を知りたいのである。TVスタッフもこんなコメントをなぜカットしなかったのか不思議でしょうがない。まさに放送事故のようなものである。
さてゴールデンウィークも昨日で終わり、本日から通常診療を開始いたします。結局、遠出もせずダラダラと毎日をすごしてしまいました。もっとも天候が安定しないこともあったのでやむを得ませんでした。はっと気がついたら連休明けにおこなわれる介護保険認定会議の資料作成の仕事が山のように残っており、それをやらなければならなかったのでちょうどよかったかもしれません。さて皆さんはいかがお過ごしになったでしょうか? 小さなお子さんがいるご家庭では家族サービスで遠出もされたでしょうが、例年のごとく高速はものすごい渋滞だったですね。これがあるから行く気をなくすのですけども・・・。
京都での無免許・居眠り運転の少年の交通事故に続き、連休初日には関越自動車道で長距離バスの交通事故があった。これもどうやら居眠り運転のようである。傷病者は現場で心肺停止のものも多く、近隣の医療機関の医師の出動にて現場で死亡が確認されたりもした。昔、自分も救急医療をやっていたので現場出場もよくしたが、このような現場で行われる初期治療の全国統一カリキュラムがある。これを全国展開するため、昔いろいろなトレーニングコースに指導にいったが、ここで知り合いなった医師も多数いる。今回も前橋の某病院のN先生がTVで記者会見にでていた。「あ、N先生だ。」と思ったが休日返上でてんてこ舞いの現場の様子が伺える。本当にご苦労様ですと声をかけたい。
この事件が起こってから、警察庁の発表があり、てんかん保有者の運転免許取得と保持に関してそのあり方について有識者による検討が必要であるとコメントされた。千葉クレーン車暴走事件と併せててんかん保有者が関与した事故で計14名の方が亡くなっている。多くの人が死なないと行政は検討会を開かない。私が以前から指摘しているものに高齢者の方が自分で運転する電動カートがある。このカートが幼稚園児の列に突入しそうになったのを自分は目撃してから、このカートには免許はいらないこと、この運転を管理する行政機関がないことを区の介護認定会議の席上で確認した。極論すれば認知症と思われる方もたくさん運転されているものと思われるが如何か。 高齢者を弱者ということで慮り、あえて行政機関はこのことに手をつけないでいるのか? 歩けない高齢の方のADLが拡大するのはいいことだが、どこかしらで管理しないと今後きっと多くの園児が危険にさらされるものと危惧している。 そうなってからでは遅いと思うのだが・・。