吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています

叙勲 その2

2014年11月11日 05時35分39秒 | インポート

 例えば、下町の工場でわずか数十分の1mm単位での金属加工を、寸分たがわずに目で見てやってのける職人さんもたくさんいると聞く。あるいは金属の丸い打ちだし加工をハンマー一つでドーム状にアールをつける人もいるとか。そしてそれが衛星ロケットの先端に使われているとなると、もはやこれは日本が世界に誇る技術者なのだと信じて疑わない。これら人たちに「叙勲」や「褒章」をと考えるのも早計であろうが、何らかのその卓越した技術に対して正当な評価を公的にしてあげてもいいのではないかと考えるのである。特にモノづくりの分野では農業、工業問わず後継者不足ときく。高度成長期を支えた日本のモノづくりの伝統が衰退していくのかと思うと寂しい気がする。海外で「日本の製品は質がよく壊れない」というプライドは今後も日本のアイデンティティーにし続けたいのであるが。

 


叙勲 その1

2014年11月10日 06時56分52秒 | インポート

 秋の叙勲が発表された。芸能関係では「あーあの人が、やっぱり叙勲ねー」と頷けるものや、あるいは「なんで?あの人が叙勲?」と不思議なものもある。世の中に、あるいは日本に寄与した人たちであろうが、それでもコメントで「何で自分が選ばれたかわからない」と言っている人は、謙遜ではなく本当に何故だかわからないのであろう。芸能関係やスポーツ関係は有名なのですぐにその彼らの活動と対比して叙勲が頷けるものかどうか判断できる。しかしメディアに乗ってこない叙勲者の活動内容ももっと報道してもらいたいものである。世の中には知らないところで地道な仕事をずっと続けている人たちがたくさんいる。彼らは別に陽が当たるのを目的に仕事をしてきたんじゃないというのはわかっている。しかしこのような派手な世界ではないところでの技術者がもっと評価されてもいいんじゃないかとも思う。

 


病院勤務医 その4

2014年11月08日 05時51分01秒 | インポート

    彼の仕事ぶりはエキセントリックで憧れはしたが、とてもまねできなかった。患者がICUから退室するまでは、たとえそれが数日に渡ろうとも、片時も患者のそばから離れなかった。そして、わずか30分でも目を離した隙に患者は死ぬんだと、自分は彼によく怒られた。でも彼と同じようにはできなかったのである。まるで梁山泊のような病院での「合宿生活」が数か月以上続いたが、毎日患者の横に泊まり込んだのである。毎日彼には怒鳴られたが、仕事以外では人間的に魅力があったので好きであった。聞けば、大昔、学生紛争当時かなりの活動家だったらしい。よく酒を飲みにつれて行ってもらった。彼の唯一の外出である。へべれけになっても病院にもどって集中治療室の患者の横でまたずっとモニターを見続けるのである。彼が自分の上司であったのは半年間であったが、この半年はものすごく衝撃的な経験であった。以後、上司が変わった。彼は自身の研修のため退職しどちらかの病院に移っていった。しばらくは彼の現況を知らなかったが数年後、風のうわさであったが、大腸がんのために亡くなったときいた。まだ50歳になっていなかったと思う。今の時代に、「仕事が多忙」とか「激務で」などとTVで言われることがある。なんだかいつもそれを聞いているとちゃんちゃら可笑しいのである。 


病院勤務医 その3

2014年11月06日 06時26分41秒 | インポート

   今の研修医よりもはるかに病院内に拘束されたので確かに辛かったが仕事がおもしろかったので苦ではなかった。当然、一晩中はたらいて1~2時間仮眠して翌日また朝から通常業務に突入した。今の研修医は当直した翌日は帰宅させられるらしい。おそらく今の時代の研修医は肉体的にはさほど辛くはなかろう。しかし腕を磨く機会も減っていることをみると果たしてどちらがいいのか分からない。当時自分がいた病院や自分の直属の上司にもよるのであろうが、特に救急関係ではエキセントリックな上司が多かった。某病院に派遣された時のある上司などはほとんど家には帰らず重症な患者の横にずっといて治療していた。「ずっと」という言葉はほぼ年間300日くらいである。しかしかれの救命成績はトップであった。実績があるのでこちらも文句が言えない。彼の仕事のきつさは今の時代で「仕事が激務」などと評価される程度のものではなかった。まるで修験僧のようだった。<o:p></o:p> 


病院勤務医 その2

2014年11月05日 05時40分20秒 | インポート

   診療行為のみに集中できる環境が維持できれば医療事故も減るだろう。なので診療のみに集中できる環境整備は特に重要なのである。しかし当時、看護師よりも安い研修医の労働力は病院側にとっては魅力である。院内のあらゆる部署で行われるあらゆる業務を遂行できるのは許認可された業務数の多い医師なのである。しかも研修医であれば使いやすい。自分が研修医(といっても6年目くらい)の頃であるが、当時の大学病院など今よりもはるかに多忙であった。24時間いろいろな部署で、時に年長の誰からも「こき使われた」。しかし今の研修医より幸せだったのは逆に「何でもやらせてくれた」ことである。これは患者さんに申し訳ないが「腕を磨く」いい経験になった。今ではありえないことである。しかも雑用的仕事である作成書類もいまよりずっと少なかった。


病院勤務医 その1

2014年11月04日 06時05分34秒 | インポート

 この前、TVをみていたら女性医師のコメンテイターが番組内でコメントしていた。何の話題かは見ていなかったが、何やら「病院に勤める医師は本当に激務です。労働環境、労働時間なども見直す必要があります」と言っていた。確かに間違いではなかろう。自分が大学病院に勤務していた7年前当時でも20~30年前の医師の仕事量より格段に増えているのである。特に承諾書やら同意書やら説明書やらの書類を作成することが増えたのである。近年のリスクマネジメントのためどんどん病院側から追加された書類なのであるが、医師からすれば「雑用業務」が増えたに過ぎない。診療行為に伴う「診察、検査、診断、治療」という流れから見れば本来の医療のものとは別のものなのである。時代の流れなのでしょうがないとも思うが、逆にこれら「雑用」が増えすぎて本来の診療の質を圧迫し低下させていることも指摘したい。本末転倒なのである。<o:p></o:p>

 


うちわ論争

2014年11月01日 06時22分06秒 | インポート

    この前、M法務大臣が、自分の選挙区で「有価物」であるうちわを配布したということで公職選挙法違反とやらで引責辞任した。まずあれが有価物かどうかは、別にもらっても嬉しくはないので私はちっとも有価物とは思わない。しかもこのうちわらしきものには小さく「これは配布物です」とかかれてあるらしいのである。配布物とわざわざ記載してあるのだからある意味「うちわ」ではなく「配布物」だと言い張ればよかったのである。過去の大物政治家の言い逃れなどではすごくあきれ返るものもあったし、なるほどと唸ったのもある。なので、蓮舫議員の「これは何ですか?うちわ・・・ですよねっ!」という恫喝にも似た質問に怯んで「この・・・うちわは・・・あっ」と動揺することなく、「うちわに見えますか? これは配布物ですよね? そう書いてあるし、まあでももらった個人がうちわとして使うこともできるかもしれませんがそれは個人の自由だと思いますが・・」などととぼけ通せばよかったのである。別にM法務大臣に応援しているわけではないが、うちわかどうかわからないシロモノで、たまさかそれがうちわであったとしても、もらって嬉しくないようなものが原因で辞任とはなんだか変な国である。<o:p></o:p>