吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

PC修理 その2

2018年01月13日 06時20分51秒 | 日記
 「まずどのような修理になって、いくらくらいかかるかお預かりして調べます。それで修理を望まない場合はキャンセル料として5000円頂きます。次に修理に最低でも3週間かかりますのでご承知ください。また修理後は動作確認をしますが、修理に際しデータを初期化する必要がある可能性がありますのでバックアップをしておいてください。」・・・・。
 何だかとりあえず機械的にルーチンの説明は全部したという感じ。
 思わず言ってしまった。「え? でもここに見えるこのプラスティックの蝶番の爪が欠けて閉まらないのだから、この爪を変えればいいだけの話なんですが・・」
  しかし店員の判で押したようなおおげさな説明は一歩も譲歩されなかったのだ。

  まあPCは何かあったら可能なうちにバックアップをしておくというのは一般論では鉄則である。それでデータ紛失しても自己責任なのはわかっている。しかし目で見える部分での「外枠のプラスティックの欠け」だけなんだけどな~と思いつつも、あまりにも大袈裟な要求をしてくるもので店から退散せざるを得なかった。
 そして状態を調べたのち「修理を受けないなら5000円取る」、そしてまた修理するとしても「最低でも3週間かかる」というのも引っかかる。部品さえあれば自分でもできそうであるのだけど・・・まあでもそれはよそう。なんか納得いかないけどなー。

PC修理 その1

2018年01月12日 06時30分00秒 | 日記
 この前、池袋の某家電用品店にPCを修理に持って行った。使用しているノートタイプのPCが壊れたからである。
 壊れたと言っても動作不良ではなく、ノートタイプなので液晶displayが本体に折り畳める構造になっており、そこの折り曲げる部位の蝶番が欠けたため閉じなくなったのである。
 プラスティックの蝶番が欠けたので動作には全く関係がない。どうみてもこのプラスティックの蝶番を交換すればよいのだと思うのだが、なにやら一からの手続きというか「儀式」が行われた。

 まず「保証書と当店でのレシートお見せ下さい」と・・・。もちろん持参しているので提示した。
 店のパソコンで個人データを調べてこのPCが間違いなくここで買われたものかを確認している。
 しばらくして「うちでのご購入ですが、当店での保証期限は切れていますので一般扱いになります」と・・。
 まあそんなことはいい。たかだか小指の先の大きさ程度のプラスチック部品をかえるだけのはなしなのである。

 「は はい、どうぞ、いいですよ、お願いします」と述べると、「まず最初に確認事項の説明をさせていただきます」となんだかプラスティック蝶番ひとつにもかかわらず、ものものしい説明が始まったのである。

「大丈夫です」 その3

2018年01月11日 06時49分55秒 | 日記
 大昔、研修医のころ、上の先生が手術した胃がんの患者が退院し、その数年後転移再発で入院した。その先生は転勤してすでにいなかったので、当時手術に立ち会った自分が受け持ちになった。
 娘に病状を説明した時に「あの時の〇〇先生からは、『大丈夫』だっていわれたのに、なぜこんなことになるのか」とさんざん嫌味を言われた。
 そしてその患者さんは亡くなったが、最後までその娘から「『大丈夫』っていわれたのに騙された」と会うたびに文句を言われた。
 この時「大丈夫」という言葉は100%確実な場合以外では絶対使ってはいけない言葉なのだと強烈に叩きこまれたのである。以来、自分は患者さんを安心させる手立てとしての「大丈夫」という言葉は1回も使っていない。この時の強烈な刷り込みがあるのでこの言葉にトラウマがあるのかもしれない。

 なので最近の会話の中で頻出する意味不明な使われ方をみるといわゆるアレルギー反応をおこしているのだろう。時に「どっちなんだよ、はっきり返事しろよぉ~」と言いたくなってしまうのだが、ぐっと噛みしめて、まあ、せいぜい「美しい日本語は守りましょう」程度の気持ちにとどめておく。

 そうなると結局、大昔、母親の詭弁である説教も、今の自分のような物言いでしか表現できなかったのかもしれない。

「大丈夫です」 その2

2018年01月10日 05時59分04秒 | 日記
 その意味不明の言葉とは「大丈夫です」ということばである。最近、年配の人も会話の中でよく意味不明に使うようになった感がある。

 患者さんに、「〇〇の薬も追加しましょうか?」と聞いた時に「大丈夫です」と言われることがある。これは「いりません」の意味である。意味はすぐ分かるのだが、返事の仕方が間違っている。
 本来返事はいるかいらないかなので「ハイ」「イイエ」なのである。それが「大丈夫」という答えだと会話の答えになっていないのである。
 今では自分もこの返事にもなれたので「いらない、不必要である」という拒否や否定の意味だと理解はできる。

 本来「大丈夫です」という言葉の意味はわりと肯定的なイメージで使うものと思っていたが、否定的な意味として「大丈夫です」と使われているのである。
 つまり「(処方しなくても)大丈夫です」という否定言葉を省略しているのである。ところが「(処方して)大丈夫ですよ」という肯定の意味にも解釈できる。肯定文の省略形ならいざ知らず、会話の中で否定の意思を省略して会話が成立することが過去にあったのかと驚いている。
 まあ でも言葉は生きているので変化していくのはしょうがない。

「大丈夫です」 その1

2018年01月09日 06時57分49秒 | 日記
 会話に用いる言語は生き物であるから、時代や世代が変われば、どんどん変化もするし通用もしなくなるだろう。これはこれでしょうがない。
 大昔、母親に言われたが「今の若者は言葉が乱れている。美しい日本語はきちんと残さなくてはいけない」と、自分の言葉遣いを注意された。でもそれは詭弁であると当時から思っていた。
 美しい日本語であるなら、古文の授業でなぜ昔の言語を「解読」しなければ物語の意味が分からないのか? 美しい日本語などというが、美しければ、なぜ意味が通じなくなるまで言語が変化して(させて)しまったのか?
 まさに「いとおかし」であり、この疑問の方が奥が深そうである。結局言葉なんてどんどん変化するような性格を持ったものなのだと思わざるを得ない。

 しかしである。昔の言葉ならいざ知らず、現在会話をしていて意味が通じないことがよくあるのだ。自分が時流に乗ってないだけなのか?

ワクチン

2018年01月06日 06時24分20秒 | 日記
 インフルエンザワクチンの問い合わせが最近少なくなってきました。
 昨年に入荷された数十人分も残り数名分になりました。数週間前に数十人分入荷した時は、約1日であっという間になくなったのであるが、もう皆さん「今季は接種むりかな?」とあきらめモードなのでしょうか?
 あるいは他院で打つチャンスがあって、その時打ってしまったのかも?
 でもインフルエンザのピークはまだきていないのでまだ間に合うのでお受けになったほうがいいでしょう。たぶん今月~2月にピークになるだろうと思います。なかには「あ 私はインフルエンザにはかからない体質なんですよ」という患者さんもいますがそれは根拠がありません。
 打てるチャンスがあれば接種をお勧めします。今が最後のチャンスです。

平成30年

2018年01月05日 05時59分26秒 | 日記
 平成の元号も今年一杯と数か月になった。
 30年前になるが昭和64年の1月7日(でしたか?)に昭和天皇が崩御なされ、朝の通勤の時にやたらと上空にヘリがとんでいるなと不思議に思った。その時朝の車の中のラジオで崩御されたことを初めて知った。平成64年生まれの子供はこの1週間に生まれたことになり、その絶対数はかなり少ないことになる。
 戸籍上だとかはもちろん西暦にしてしまえば分からないが、この時の学年は昭和63年生まれ、昭和64年生まれ、平成元年生まれの3パターンがあることになる。
 この昭和64年生まれの人は小中学校ではどう過ごしたのか? 別に何も変わりはないのだが、子供はいろいろなカテゴリーにおけるマイノリティを、時に「特別視」することもある。辛いこともあったかもしれない。考えすぎか?
 その他、ちょっと混乱するかもしれないが元号改正の時は1年の中で2つの元号があるので後年、年齢計算の時にちょっと戸惑うかもしれない。

平成30年(2018年)診療開始

2018年01月04日 05時48分18秒 | 日記
平成30年(2018年)1月4日
 明けましておめでとうございます。
 
 本日より通常診療を開始いたします。 今年も患者さんの安心と安全と健康を守ることを目標とし診療いたしますので宜しくお願いいたします。

 まだまだ寒さ本番はこれからと思われます。くれぐれも防寒対策をお忘れなきよう。