昨日観た、名古屋市立美術館でのランス美術館展の目玉は、ジャック=ルイ・ダヴィッドの「マラーの死」であったが、画集などではお目にかかったことはあるものの、本物はもちろんはじめてであった。
この絵は、フランス革命後の混迷のなかで暗殺されたジャコバン派の政治家ジャン=ポール・マラの、まさにその暗殺現場(といっても忠実な再生ではない)を題材としたもので、画家ジャック=ルイ・ダヴィッド自身が、このマーラーの盟友であったという。
したがって、人によっては、この絵そのものがキリストの殉教とオーバーラップした作品だという評価もある。

その詳細な背景は以下を参照されたい。
http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/david_marat.html
ところで、この美術展、作品展示の最後に、面白い企画があった。
それはちょっとした空間に、マラーの死と同様な装置や小道具が配置されていて、誰もがそれらを用いてマラーになりきり、その死を演じることができるという企画であった。
私がそこへ差し掛かると、ちょうど年配のカップルがそれを演じて、相方が写真を撮っていた。
以下は、その方にことわって、私も撮させてもらったものである。

撮影を終えて、その人から、「お宅もどうですか。シャッターを押しますよ」と誘われたが、「いや、私のような年寄りが死んだ人の真似なんかしたら、本当に逝ってしまいますから」と断った。
もうお気づきのように、これはインスタのための装置である。
美術館も集客のためにいろいろと大変なようだ。
この絵は、フランス革命後の混迷のなかで暗殺されたジャコバン派の政治家ジャン=ポール・マラの、まさにその暗殺現場(といっても忠実な再生ではない)を題材としたもので、画家ジャック=ルイ・ダヴィッド自身が、このマーラーの盟友であったという。
したがって、人によっては、この絵そのものがキリストの殉教とオーバーラップした作品だという評価もある。

その詳細な背景は以下を参照されたい。
http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/david_marat.html
ところで、この美術展、作品展示の最後に、面白い企画があった。
それはちょっとした空間に、マラーの死と同様な装置や小道具が配置されていて、誰もがそれらを用いてマラーになりきり、その死を演じることができるという企画であった。
私がそこへ差し掛かると、ちょうど年配のカップルがそれを演じて、相方が写真を撮っていた。
以下は、その方にことわって、私も撮させてもらったものである。

撮影を終えて、その人から、「お宅もどうですか。シャッターを押しますよ」と誘われたが、「いや、私のような年寄りが死んだ人の真似なんかしたら、本当に逝ってしまいますから」と断った。
もうお気づきのように、これはインスタのための装置である。
美術館も集客のためにいろいろと大変なようだ。