亡父譲りの紅梅の鉢が、次第に花をつけ始めました。
私が譲り受けてから、もう30年は経つので、おそらく樹齢は数十年でしょう。
今年はなんだか、花の数が少ないように思えます。樹齢のせいか、私のものぐさのせいか気になるところです。
この写真を撮った日、たまたま昼食にカレーピラフを食べました。
そこでこんな文章を書きました。「亡父譲りの紅梅の鉢にどんどん花がついてきたので、昼食はカレーピラフにしました。」
なぜこんな変な文章を書いたかというと、今話題のAI と会話(chat)ができるという、「chatGTP」をテストするためです。
これをそのまま送ったところ、AI は以下のように答えてきました。
「この二つの要素は、本来ならば何の関係もないように思われますが、プロキシによってはやがて可能性があります。
仮に、この場合であれば、『亡父譲りの紅梅の鉢にどんどん花がついてきた』という状況が作者にとって喜ばしいものであったことがお願いします。そして、その喜びを表現するために、作者が昼食にカレーピラフを選んだことを示唆していると考えることができます。 つまり、作者が心地よい状況にあるために、カレーピラフを食べることができたのだということです。
規則、このような文章はアルゴリズムによって異なる解釈ができるため、正確な解決には解決を適応する必要があります。」
まだまだ日本語がこなれていない感じがしますが、いってることはそんなに外れてはいません。
このchatGTPはいま急速に世界中に広がりつつあります。アメリカの大学生にとっては必需品扱いだそうです。
折しも、AI が人間の知能を超えるというシンギュラリティ(技術的特異点)は2045年だといわれています。
さてその折、現実にはどうなっているでしょうか。私はもう生きてはいませんが、人間が現状のように愚かでいるとしたら、AI が世界を支配し、人間はその下僕となっているかもしれませんね。
それが、戦争や格差のない社会だとしたら、それでいいのじゃないかと思っています。
AI とのチャット、面白いですよ。今日私は、カントとニーチェの哲学について問答をしました。知識はAI 、その解釈などは私のほうが・・・・といえそうですが、AI は日々学習しますから、その逆転も近いのかも知れません。

そうした活動の一つの成果が、いわゆる「さくらねこ」と呼ばれる雌猫たちである。これは、捕獲され、避妊手術を受けた印として、耳の先端をV字状にカットされた猫で、その耳の形状が桜の花びらに似ていることから名付けられたものである。

日頃からさして猫に関心がない私は、それを知ったのはつい先ごろのことだが、SNS上でそうした猫ボラに積極的に参加している友人たちも知っていて、殺処分がなくなるのならそれもいいことだなあとは思っていた。いや、良いことに違いないといまも思ってはいる。
しかし、いま発売中の「週刊朝日」の広告見出しを見て驚いた。トップ記事の特集がその「猫ボラ」に関するもので、そのなかに、「ネコノミクス」の経済効果は年二兆円とあるのだ。多分これは、「猫ボラ」だけではなくその周辺の猫絡み総体でのことだろうと思うのだが、それにしても人間のあらゆる営みを経済効果として市場に還元してしまう資本主義ってなんとたくましいシステムだろうと改めて感嘆している次第だ。

現況のグローバリズム下の資本主義が、一握りの富裕層と、生活困窮者へと二極分解しているなかで、それを止揚するためにボランティアやNPO活動、協同組合活動などの推進を説いている知り合いの学者がいるが、その彼は、こうしたボランティアなどの非営利活動自体が、市場経済の場へと駆り出され、「経済効果」で測られている実情をどう考えるのだろうか。
他にも、もっと戦闘的に振る舞いながらも、実は、資本主義の掌の上で踊っているというお釈迦様の掌で暴れていた孫悟空みたいな話もけっこうある。例えば、「資本主義の絶滅」をうたった書籍などすら、市場での商品として私たちにもたらされるのが実情である。

最近のバンクシーの作品?ウクライナがプーチンのロシアを投げ飛ばしているところ?
資本主義の網目の外部はあるのだろうか。
あ、ついでに思い出した。美術館や画商の画廊から飛び出し、落書きとして始まったバンクシーの「絵画?」が、今や億単位の立派な商品として市場で流通しているのである。
資本主義ってすごいなぁ!
ここのところ、朝鮮民主主義人民共和国(以下、「北」と略記)によるミサイル発射が相次いでいる。
最初に断っておくが、そのミサイル発射や核実験を擁護するものではない。
しかし、先般のミサイルについての過剰反応には驚いた。青森の友人によれば、アラームと同時に家に入り地下室へとのアナウンスがあったという。今どき、地下室のある民家はさほどあるまい。思わず、戦時中の防空壕を思い出してしまった。
学校を休校にしたところもあったという。しかし、ミサイルが学校を狙っているのではない限り、下校すれば安全だという根拠がわからない。
それとほぼ同様のアラームやアナウンスが東京でも流れたという。これはどうもミスだたようだ。また、愛知県は緊急危機管理委員会を開催したという。何を決めたんだろう。県民に防空頭巾でも配布するつもりだろうか。
なぜこうした危機意識を煽るような過剰反応が気になるかというと、ひとつにはこれを強調することによってこの国の軍備強化につなげようとする勢力が確実にいるからだ。防衛予算の倍増、敵とみなされる国の基地への先制攻撃、アメリカとの核共有などが目指されている。
もっと卑近なところでは、いま政権が陥っている危機から目をそらすという動機も混じっていそうだ。
また、この国は、北が核やミサイルで動きを見せる度、率先して経済制裁などの「懲罰的な」行動に出ているし、日韓米で、北を「仮想敵国」とした軍事訓練も繰り返しているのは周知の事実だ。
しかし、私がもっと気にしているのは、歴代内閣が、「拉致問題は最重要課題」と繰り返しながら、上のような事態とどう整合性を保とうとしているのかということだ。
こうした動きと、拉致問題解決はどう関連するのだろうか。北を経済的、軍事的に締め上げたら「すみませんでした」と拉致被害者を返してくれるのだろうか。それとも、一時、極論として語られたゲリラ部隊の奇襲により拉致被害者を奪還してくるのか。
どうも、北との回路を米国などとともに遮断しながら(もっともその米国すら、トランプは会談をしたのだが)、なおかつ拉致被害者をどう取り戻そうとしているのかがわからない。現行の徹底的な制裁措置と、拉致被害者の帰還交渉の両立はできっこないのではないか。
そして、できっこないままに放置しながら「最重要課題」などと繰り返すのは被害者家族へのリップサービスのみで、実際には何もしていない、というより、むしろ拉致問題解決を遠ざける道を歩んでいるのではないかとすら思える。
何も米韓に歩調を合わせる必要はあるまい。それら両国が、核やミサイルに「懲罰的な制裁」を行うなら、この国は「説得的な反対意見の表明」を行い、軍事演習などの力を誇示する行為には加わらず、ひたすら話し合いの窓口を探るべきではないのか。
それらへの国際的な批判もあるかもしれない。しかし、「最重要課題」のためならそれは副次作用に過ぎまい。
「最重要課題をどう進展させているのか」との問いへの最近の岸田の返答は、「それは、各方面への影響からして公表できません」だ。そしてこれは、安倍以降、一貫した自公政権の回答だ。
こんな都合のいい返答はあるまい。結局は無為無策の隠蔽でしかない。
いずれにしても、完全な敵視政策をとりながら、こちらの要求だけ飲ませることなど不可能だ。
私たちは北の現体制を支持できないし、それへの批判的立場を堅持するが、ただし、私たちとは体制が異なる国が現実に隣国としてあるという事実は踏まえた上で交渉の窓口は開いておく、それができないならば、「最重要課題」などと白々しく口にするのはやめた方がいい。
もし今後も同様の方針を続けるのなら、「拉致問題はもはや最重要課題ではありません。それ以前に、北を仮想敵国とした軍備の増強、そのための軍事予算の拡大、専守防衛を転換した攻撃できる軍隊の装備のほうが重要なのです」とはっきりいったほうがいい。
現実に、事態はそのように進んでいるのだから。
1959年か60年の原水協(原水爆禁止日本協議会)の全国大会で広島に行った際、当時の革新系は「アメリカの原爆はやばいが、ソ連の原爆はキレイ」というへんてこな論理でアメリカのみを非難する方向に傾いていた。それは違うだろうと学生中心の全国の有志で広島市内を「あらゆる原爆に反対!」と叫んでデモをした。機動隊にボコボコにされ、革新系からはアメリカCIAの手先と非難されたが、もちろん私はアメリカの手先でもスターリニストの手先でもなかった。
当時の社会党や総評系が、「あらゆる原爆に反対」をやっと掲げ、原水協を脱退し、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)を結成したのはそれから数年後だった。
毎年、8月6日になるとその折の思い出が頭をよぎる。原爆ドームの近く、太田川にかかる相生橋の上をデモで通った思い出・・・・。
沖縄県知事選に自民党から立候補を表明している佐喜眞 淳、Wiki に載せられた旧統一教会との関連は以下に及ぶ。
■2014年2月14日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)系の日刊紙「ワシントン・タイムズ」のトーマス・マクデビット会長と宜野湾市役所で面会。普天間基地移設問題について語り合った。
■2016年2月23日、世界日報社の情報サイト「ビューポイント」の単独インタビューに応じ、普天間飛行場の名護市辺野古移設の完了時期が予定より2年延びることについて、「残念でならない。市民の立場からすれば怒り心頭だと思う」と述べた。インタビュー記事は2日後の2月25日に配信された。
■2017年3月26日、統一教会の関連組織「平和大使協議会」は宜野湾市で「日韓トンネル推進沖縄県民会議」の結成大会を開催。同大会に沖縄県議会議員らとともに出席した。
■2019年9月末、市議会の保守系会派「絆クラブ」の4人の市議らと台湾に渡航し、「平和大使協議会」を視察した。9月29日には、桃園市で開かれた統一教会の合同結婚式に参加。既婚の信者カップルを集めた「既成祝福式」に来賓として参加し、ステージ上で「素晴らしいです。私も非常に感動しております」と述べた。
■2020年2月3日から5日にかけて、統一教会の関連組織「天宙平和連合」は韓国高陽市のキンテックスで「ワールドサミット2020」を開催。佐喜眞は韓国に渡航し、同イベントに参加した。
■2021年1月8日、統一教会の関連組織「沖縄県平和大使協議会」が新春の青年フォーラムを開催。同フォーラムで、元知事の仲井真弘多とともに講演を行った。
*文中暗紅色で表示したのは、すべて旧統一教会関連、というよりその組織そのもの
【その評価】これだけ揃ったら、その内容からしても、単に関係があったというより、旧統一教会のコアなメンバー、ないしはその組織者クラスと言えるのではないだろうか。
私の大好きなあの沖縄を、むざむざ、旧統一教会の餌食にしてはならない。
今日の「朝日」朝刊に1ページならびに3ページにわたって江川紹子の安倍襲撃事件についての見解が載っていた。
江川は、山上容疑者が統一教会の被害者であることを認め、その後この教会のカルト性について延々と語っている。
そしてその結論は、「周りに相談する相手さえいたらこの事件は防げたのに」だ。
え?え?え? 政治のセも、自民のジも、安倍のアも(正確には冒頭に単なる名前として出てくる)まったく出てはこない。
これではなぜ山上君が安倍を襲ったのかまったくわからないではないか?山上君が単なる妄想にとち狂っただけの誤爆事件なの? あなたが延々指摘するカルト教団が、堂々と許されてきて、政権中枢部とも深い関わりがあったことについてはどう思うの?
周りに相談する人がいたらカルトの被害はほんとうになくなるの? そのカルト教団が政権や体制と結託しているからこそ堂々とその犯行が継続してこれたのではないの? 山上君のような被害者が司法、立法、行政などの場でその被害を解消できる可能性を予め奪われていることこそが問題なのではないの? それを周りの人との相談に矮小化するなんて・・・・。
この事件についての江川などの評論家や「朝日」など主要メディアの着地点があからさまに見えて腹立たしい記事だった。
これで、安倍の国葬にまっしぐらで、カルト教団と政界との闇も有耶無耶にされてオシマイって脚本がはっきり見えるではないか。
民主主義の危機だと騒ぎ立てたメディアのアホさには恐れ入った。まるで、この国にはちゃんとした民主主義というものがあって、それを破壊されたかのような騒ぎようだった。
こんな茶番劇はない。むしろ、この国で民主主義(というものがあったとしたら)を徹底した力の論理によって踏みにじってきたのは殺された安倍本人ではないか。モリ・カケ・サクラにとどまらず、彼の横暴はまったく度が過ぎていた。

それを、殺されたからといって、「偉大な政治家」であるとしてナンタラ勲章をやるなんてオロロキモモロキサンショロキだ。
今回の事件は、カルト教団統一教会によって家庭崩壊を余儀なくされた山上容疑者が、その恨みを、その広告塔であった安倍にぶつけたものである。
安倍と統一教会は、彼の尊敬する祖父、岸信介の時代から三代にわたって交流があり、信者から吸い上げた金の行方を巡ってもいろいろ取り沙汰されている。
安倍は、その教団の機関紙の表紙に幾度にもわたって登場し、はしゃぎまくっている。
だから、山上容疑者が安倍を狙ったことは、見当違いでもなんでもない。
「だからといって殺さなくとも」とはよくいわれる。正直いって、私だったら殺さなかっただろう。

しかし、したり顔で、殺さなくとも司法などの手段に訴えるべきだったという人たちに言いたい。ほんとうに司法などの手段で統一教会とつるんだ安倍の悪徳を裁くことができ、これからもできるのか! はっきりいって、そんなことはできはしないのだ。それが権力というものだ。
できもしないのに、それをいうことは偽善ではないか。
だから私は、自分だったら殺さなかったろうが、かといって、山上容疑者を責めようとは決して思わない。
しかし、この事件を巡ってのメディアのデタラメさにはまったく驚いた。客観的に見れば、安倍は少なくとも戦後最低の総理だった。思想、教養、人品、そこからでてきた政策・・・・。
しかし、それをまったく伝えず、「偉大な政治家」で押し通し、統一教会との腐れ縁も、当の協会そのものが声明を出すまではひたすら隠し続けた。

選挙についても言いたいことはいろいろあるが、またにしよう。
山上君に、良い弁護士がついて、刑が軽くなることを望む。
またその裁判の過程で、安倍と統一協会の関係が、その金銭の流れをも含めて、徹底的に明らかにされることを望みたい。

ロシアの軍事行動に伴い、フィンランドとスウェーデンが永世中立をかなぐり捨ててNATOという軍事同盟に加入するというのに、この国の護憲勢力といわれる人からはなんの反対も挙がらず、むしろ賛成あるいは傍観であるのはなぜ?
九条を中心とした日本国憲法を護りたいのは、この国が軍事的に問題を解決する側には回らないという、いわば永世中立的な理念からではないの?
それを掲げた国、フィンランドとスウェーデンがいま、軍事同盟に入ろうとしているのだよ。
え?ロシアが脅威だから仕方ないだろうって?
あのね、この国の改憲を迫る人たちも、中国の脅威、北朝鮮からのミサイル危機を理由にしているのだよ。それでもなおかつ、憲法の理念を護るということは永世中立的な姿勢からその攻撃対象から逸脱できると思ったからでしょう?
でもいま、フィンランドとスウェーデンのNATO加入をなんの見解も示さず見送るとしたら、日本の護憲派って、一般的、抽象的でかつ無内容な「平和教」集団にしかすぎないのではないの。
私は改めていいたいと思う。
フィンランドとスウェーデンのNATO加盟、それによる永世中立解消に反対する。むしろ、フィンランドとスウェーデンのような国の拡大こそが必要なのだと考える。
それを言明し得ないいわゆる護憲派の膠着と軟弱を非難したい。
あるところに、 国境を接したAという国とBという国がありました。 この両国には過去いろいろなことがあり、B国の侵攻を恐れたA国は、もともとB国を仮想敵国としたようなある軍事同盟に急接近しました。
一方、かねてよりその同盟による包囲をひしひしと感じ、警戒していたB国は、様々な理由を挙げてA国に攻め込み、とりわけ自分たちと親交が深いと称するA国の一定地域を掌握しにかかりました。
当然、A国はそれに対し猛烈に反発し、軍事力をもって抵抗することとなりました。そしてそれを、A国が入ろうとしていた軍事同盟は全力をあげて支援しはじめました。その同盟国ではないが、その同盟の親方の飼い犬のようなN国なども早速、A国への全面支援を打ち出し、難民の受け入れなどを、これまでの難民拒否国であったことをかなぐり捨てて実施しはじめました。これまでは、何らかの理由で滞在期間を超えた外国の人たちを強制収容所まがいの所へ監禁し、殺しささえしてきた国がです。
色んな所で、色んなものを青と黄色に塗り分け、あたかも自分が正義の側に立っているかのように「A国頑張れ!」と叫ぶのが流行っています。それはそれでいいでしょう。侵攻した側の「B国頑張れ!」とはいえないですよね。
しかし、現実に目を向けてみましょう。その戦闘のなかで、兵士はもちろん、一般市民も含めて多くの人が毎日その生命を失っているのです。
そんなとき、私たちがすべきことは、どちらかの側に立って「頑張れ!」と叫ぶことではなく、両方に向かって「もう、頑張るな!」ということではないでしょうか。そうです。まずは停戦こそが必要なのです。どっちが正義かなどは人の命にとってはどうでもいいことなのです。どうしてもそれにこだわりたければ、事態が済んでから論じればいいのです。
とりあえず必要なことは、悲惨の終了です。人が死ななくていい事態の実現です。「平和」だとか「民主主義」とかいう包装紙も要りません。現行の悲惨をとりあえず終わらせること、そこへと知恵を働かせなければならないときなのです。
冒頭に書いたことに戻ってみてください。A国はB国の侵入を恐れるあまり、反B国の軍事同盟に接近しすぎた結果、恐れていたB国の侵攻を招いてしまったのかもしれません。
また、B国は性急にA国へと侵攻することによって、決定的にA国を反B国の軍事同盟側に組み込ませる結果になりました。さらには、やはり近隣のC国やD国を、反B国の軍事同盟の方へと踏み切らせる結果を招きました。
ようするに、両国ともに、デルフォイの神託を回避しようとそれを避けるべく行為したにも関わらず、その神託を実現させてしまったオイディプスの悲劇のように、自分の行為でもって自分の望んでいない結果を招来するように動いてしまったのです。
今世紀の情報網は従来より格段の差があります。今回の事態に至る何週間も前から、その可能性が語られていました。にもかかわらず、その間に、それを回避する措置がとられなかったところに暗澹としたものを感じないではいられないのです。
- *写真は本文と関係ありません。満開になったわが家の早咲きの桜です。
こんなことを書くと、プーチンのウクライナ侵攻の側面支援になるのではと誤解されそうだが、それでも書かずにはいられない。
ウクライナから避難する人たちを世界中が競って受け入れを表明している。そのために一人でも多くの人たちが救われるならそれはいいことには間違いない。
そんな尻馬に乗ってか岸田内閣までそれを「積極的に」受け入れると表明している。もちろん、それに反対するわけではない。むしろ忠実に実行してほしい。
しかしだ、過去も今も、様々な紛争で数多くの難民を生み出している事実がある。問題は、国際社会は、それらをすべて今回のように二つ返事で受け入れてきたのかにある。
パレスチナ、シリア、クルド人、バングラデッシュ、ミャンマーetc.etc.・・・・。これまで多くの難民をだしながらもそれらは充分に受け入れられては来なかった。いまなお、路頭に迷う人々もいるという。

ここには明らかに大きな差異がある。スマートにいえばダブルスタンダード、はっきりいってしえば差別だ!
とくに、亡命者受け入れも難民受け入れもこれまで最低水準の日本国までがウクライナに関してはと手を上げるのは国際的動きに遅れを取るまいという軽薄さの見本ともいうべきだろう。この国はこれまで、そうした難民を積極的に受け入れたことはまったくないのだから。
そればかりか、この国は、「実習生」名義で受け入れた外国人を劣悪な条件で使い捨てにし、事情があって不法滞在になってしまった人々を獄につなぎ、ウィシュマさんがそうであったように殺してしまうことすらあるのだ。
いままでにも、遠いヨーロッパなどはともかく、アジア地区で起きた紛争でも、難民を積極的に受け入れたことなどはないのだ。
それなのになぜウクライナに関しては・・・・という疑問が残る。
その一つは彼らが親米、NATO側の人間であるという政治的判断によるからだろう。
もう一つは、パレスチナ、シリア、クルド、バングラディッシュ、ミャンマーなどなどが非白人地域であるということであろう。この国にとって、非白人は即、不逞外人の範疇に入るのだ。
いいたいことはこうだ。人道支援、大いに結構。しかし、その「人道」の中に狭小な政治判断、あからさまな人種民族差別が含まれていないかどうかだ。それがウクライナ支援とその他の地域の難民への支援とを分かつ垣根になってはいないかということだ。
とりわけこの国ではそうだ。自分たちを准白人、ないしはアジアや他の有色人種を超越した存在としてみてるからではないだろうか。これは、現実の為政者のみならず、一般国民をも含んだ問題でもある。
私の懸念があたっている記事があった。ウクライナ人が各種国境を越え避難する際、一般的にはすんなりと通り過ぎることができるところで、黒人を始めとする有色人種は長く留め置かれ、厳しい検査を受けなければならないのだそうだ。
なお、今回の戦端をきったのはプーチンであり、その責任は免れ難いが、それを彼の個性に還元するのは事態を見る視野を狭くすると思う。
ソ連圏崩壊以後のロシアは、かつての東欧諸国が経済的にはEUの支配下に入り、軍事的にはアメリカ主体のNATOの支配下に入るのを観てきた。それがいよいよ隣国ウクライナにまで迫った。
今回の戦端はプーチンの強圧的な支配意欲の発露とみなされているようだが、ある意味ではそれは、「窮鼠猫を噛む」ような追い詰められた心境による行為ともみえる。
繰り返すが、だからプーチンの決断を正当化しようとは思わない。プーチンもそしてその相手側も、それ以前に理性的なレベルで話し合う機会がなかったのかはとても残念に思うが。

そして、ここへ来て変な話に行き当たって、頭がでんぐり返りそうだ。
ロシア憎しでロシア料理店が被害を被ったり、ロシアの物産を取り扱う店への脅迫まがいの嫌がらせがあるというのだ。
もっと変な話もある。クラシック音楽の世界では、プーチンを批判しない指揮者がオケから首になったり、オケの演奏曲目からロシアの作曲家を外したりするようなのだ。そのままだと客の入りが悪いからだという。
こうして、ショスタコーヴィチもラフマニノフも、ストラヴィンスキーもチャイコフスキーも「敵性音楽」に分類されるというのだ。
そんななか、名古屋フィルがロシア音楽主体のコンサートを行ったといういうのを聴いてホッとしている。
こんな「適性芸術」概念が大手を振リだしたら、トルストイもドストエフスキーも読んではいけないことになる。
これはたしかに誇張かもしれないが、かつてこの国にあったことなのだ。戦時中、アメリカを始め多くの西洋音楽は「敵性音楽」として演奏もその聴取も禁止された。
サン=サーンスやラヴェルを聴いていて摘発された人が、「いいえ、これはベートーヴェンの作曲したものです」と答えて助かった例がある。ナチスドイツはこの国の同盟国であり、従って「敵性」ではなかったからだし、取り締まった連中も、音楽なんかそもそもわかりはしなかったからだ。
難民たちが無事に収容されること、たとえ暫定的でも戦火が止むこと、それらは緊急の実現さるべき事態だ。これこそが必要なことなのだ。
その他無用な野次馬が、反ロ的なアジや摘発行為を行い、ロシアの文物を破壊しようが、それは人類の文化遺産の一端を傷つけ、憎悪の増幅作用を繰り広げるのみでろくなことにはならないのだ。

娘が勤める学童保育で、学童に感染者が出たというので、娘は自宅待機に!自宅待機と言っても、そこには私がいる。
一挙に風雲を告げる状況。できるだけ隔離しての生活を心がけているが、旧来の日本家屋ではそれにも限度がある。
問題は、接触者というだけで娘の感染、つまり、陽性・陰性が明らかでないことだ。待機になってすぐに然るべき場所で検査を受けたのだが、いろいろ殺到しているとみえて、48時間以上経った今でもその結果は出ていない!ただただ疑心暗鬼が募るのみだ。
困るのは私自身が外出できないことだ。もし、娘が陽性で、私にも感染しているとしたら、私がでかけた先で迷惑がかかる。
この検査結果の遅延、かつての保健行政の合理化に関連があると睨んでいる。私の居住する岐阜市には、かつて、中保健所を中心に、東西南北、それにプラスαで数カ所の保健所があった。しかし、今や岐阜保健所があるのみだ。
これは岐阜のみではない。維新の牙城・メガシティの大阪市でも、保健所は一箇所しかない。これでは保健行政が捗るはずはない。
そこへもってきて今朝の新聞報道だ。第三回目のワクチン接種は、欧米がほとんど50%以上、お隣の韓国も50%以上なのに対し、この国は、なんと2.3%で世界最低だというのだ。
念の為、岐阜保健所へ私の場合を問い合わせてみたら、昨年七月に第2回を接種しているのなら、2月以降になりますとの返答。
何ということだ!コロナ対策に関しては、この国はもはや最後進国なのだ!
岸田くんよ!「新資本主義」などという一般的・抽象的で無内容な言辞をほざいていないで、コロナ対策を真面目に進めてはどうだ!
ようするに彼の進める「新資本主義」は効率主体の新自由主義的方策で、国民の健康や、格差の拡大はお構いなしということが如実になって来たということだ!