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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

彫像三体と六の時事川柳 07.3.18

2007-03-18 16:09:17 | よしなしごと
 近頃、ビジネスの世界から距離を保てるようになったせいか、今まであまり立ち止まって見なかったものが見えるようになった
 まあ、余裕ができたというよりになったといった方が正確かもしれない。

 風景、花鳥風月などがその対象であるが、ときとしてそれが、街角などに置かれたオブジェや彫像であったりする。
 もちろん、それらを鑑賞する目をもっているわけではないので、評価などはもってのほかで、ただひたすら眺めるだけなのだが、それでも一顧だにすることなく看過するよりは作者に対して礼を尽くしているのではあるまいか。
 
    

 

 最初は、愛知芸術センター12階のロビーにあるものである。
 題名通り清楚な少女像であり、それが掌中の花とそれを見つめる視線によって強調されている。内面へと織り込まれて行くことによってかえって外部にアピールするというひとつの美のありようだろうか。

    
 

 これは同じ階にある野外庭園に置かれたもの。カリブという地名のからっとしたイメージに似つかわしい、堂々たる開けっぴろげのエネルギーを発散させている。
 まさに発散であって、この彫像で見るべきは、その像そのもののボリューム感もさることながら、像の回りにあふれ出ている余剰、力のようなものかもしれない。
 以下は少し拡大したもの。

    
 
 続いては場所もがらっと変わって、岐阜は西柳ヶ瀬の商店街果てる箇所の空き地におかれたもの。

    
   
    

 草書体でタイトルは分かりにくいが、「輝き」とある。
 こうした箇所でのそれは、アート自体と、その土地に託した建立者の祈りのようなものが重ねられているのが普通である。
 おおよそ20年前、まだこの街が最後の光芒を放っていた頃の祈りが伝わるのだが、その願いも虚しく、うらぶれたフーゾクの街と化してしまったことを知る身には、いささかこの彫像は悲愴にも思えてしまう

 しかし、この女性のきりっと引き締まった表情には、世の無常を一身に受けながらも、それを己のものとして生きて行く決意のようなものが垣間見られる。

    

 さて、主観的かつ独断流の彫像鑑賞は切り上げて、おきまりの週一へたくそ川柳の出番である。


<今週の川柳もどき> 07.3.18

 文字通り湯水となって消える税
  (農産相など水道光熱費の怪)

 泥沼へポチはとことん付き合う
  (イラク支援法2年延長)

 作業する手順で揉めている部会
  (作業部会ってなあに?)

 爆発するまではベールに包む
  (志賀原発の臨界事故隠蔽)

 見せしめは迅速にする裁判所
 同じことして日興は咎めなし
  (ホリエモン裁判異例の早期判決)

 クッキーも搬送をする救急車
  (甲府でホワイトデーの買い物に私的使用)



コメント
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