副題:ミヤノエッタ先生のことなど
(後半にいい話があるよ)
岐阜の山間部にカンガルーがいるという。
「行ってみよー」ということで探検隊が組織された。
メンバーは、ヨッシダリンとヒロセッティオ、それにロッキーことこの六だが、さらにスペシャルゲストとして、ミヤノエッタ先生が加わることになった。
このメンバーを紹介しよう。前の三人は中学時代(半世紀以上前だが)の同級生である。
ヨッシダリンはもともと和傘屋さんであったが、時代の変遷で唐傘の時代が去り、以来30年以上、ベテランのタクシードライバーである。
ヒロセッティオは時計と眼鏡を商う店の店主で、彼の代からももう数十年という老舗のオヤジである。
この三人の出会いであるが、昨年だったろうか、自称「自転車王子」のロッキーことこの六が、岐阜の街を流しているとき、たまたまこの二人に出会った。
聞けば、これから中学時代の恩師、ミヤノエッタ先生(前出のスペシャルゲスト)のところへ出かけるのだがお前も来ないかということであった。
しかしその時は人と会う約束があり、次回を期して別れた。
その「次回」が実現したのだ。
私たち三人は、まず、岐阜の街から30キロぐらい離れたミヤノエッタ先生のところへ出かけた。
私にとっては30年以上の間がある再会で、とても喜んでくれた。
さて、ミヤノエッタ先生の家でゴロニャンしていても芸がないので、先生を連れ出すこととした。
それが冒頭に述べた探検隊である。
昼食は、根尾川沿いにある長瀬のヤナ場でとった。折からの日照りで水量はやや少なかったが、それでも2、3匹の鮎が落ちていた。
そこで鮎尽くしを堪能してから出発。
ミヤノエッタ先生に湛水し始めた徳山ダムを見せるため一路北へ。
私は、この五月にここを訪れたのだが、その折りよりも確かに水量は増している。
ミヤノエッタ先生もここがまだちゃんとした山村の折に来たことがあり、それらが膨大な水量に押しひしがれてしまった姿を見て、感無量のようであった。
ついでながらこのダム、土建業界にとってはまだまだ打ち出の小槌で、用途もはっきりしない水を、下流の都会地などに運ぶ水路の建設費用に、とりあえず900億、さらにはその数倍の金がばらまかれることとなっている。
そうした事情はともかく、我が探検隊は、下流の横山ダムから、旧坂内村を経由して、揖斐高原方面に向かうこととなった。
そこで私が、カンガルー探検の言い出しっぺ、ヒロセッティオに尋ねた。
「カンガルーまではまだ遠いのかい?」
すると、ヒロセッティオは怪訝そうな顔で、
「カンガルー?」
と、問い返してきた。
「そう、カンガルーがいるっていったじゃないか。ねえ、先生」
「そう、カンガルーがいるといったぞ」
と、ミヤノエッタ先生。
そのやりとりを聞いていた運転席のヨッシダリンは、ハンドルから手を放すのではないかと思うくらい笑い転げ始めた。
そして、助手席のヒロセッティオの方にあごをしゃくっていった。
「こいつはねぇ、ラクダもカンガルーもダチョウも一緒なんですよ。いるのはダチョウ。こいつの言いそこ間違いですよ」
カンガルーならぬダチョウ
当のヒロセッティオは、
「え、俺ってカンガルーって言ったっけ」
「言ったよ、この間はラクダだっていったじゃないか」
と、ヨッシダリン。
私の頭のなかで、山林を飛び跳ねるカンガルーのイメージがス~ッと引いていった。
でも、山林にキジがいるのは当たり前だが、ダチョウがいるんだからいいじゃぁないかと気を取り直す。
隣ではミヤノエッタ先生がまだクックッと笑っている。
程なくして、ダチョウの飼育場へ着いた。
案外小さな建物にそれらはいた。
あたりは無人のようで、一羽や二羽、持って帰っても気付かれないみたい。もっとも、彼らがおとなしく車に乗るかどうかが問題だが・・。
これらのダチョウは食用に供される。
生ハム、生ハムスモークハム、ソフトジャーキー、ソーセージ などなどの製品があり、さらにはダチョウカレーや、ダチョウハンバーグなどの料理もある。
今回は口に出来なかったが、食した経験があるヒロセッティオにきくと、鶏の笹身に似てあまりしつっこくなく結構美味だとのこと。
これは幼鳥、人なつっこい
かくして、カンガルーならぬダチョウの探検は終了。
そのまま久瀬方面へ車を走らせ、久瀬温泉白龍の湯へ。
この温泉はシンプルで快適である。
スーパー銭湯のようなちゃらちゃらした設備は一切なく、ただ露天風呂のみというシンプルさ。
その代わり、あの変な塩素臭はない。
これも幼鳥
温泉にゆっくり浸かってからミヤノエッタ先生の家へ戻る。
夕食はこの地区の老舗のウナギ屋で鰻丼。
ウナギの焼き加減がほどよく、それにしつっこくない垂れがからんで、おいしい。丼の底に垂れが残るようなものは苦手なのだ。
ここで、感動的な場面が・・。
ミヤノエッタ先生、おもむろに懐に手を入れたかと思うと、ビール券をとりだし(一枚で大瓶二本)、それをヨッシダリンに二枚、そして、ヒロセッティオとロッキーことこの六にも一枚ずつ渡すのだ。
ミヤノエッタ先生曰く。
「ヨッシダリンは終日運転で飲めなかったろう。ヒロセッティオやロッキーもそれに遠慮して、ほとんど飲まなかったろう。これはその見返りだ」
なんたる細やかな心遣い。あまり人に面と向かって感動したりはしないたちだが、これにはマイッタ。
ミヤノエッタ先生は晴耕雨読の生活。趣味は野菜作り。
帰りにはその成果をどっさりくれた。
トマト、キュウリ、ナス、カボチャ、タマネギ、メイクイーン、などなど。
再会を約して去った三日目、ミヤノエッタ先生は83歳の誕生日を迎えた。
私の出した礼状への返事は、墨跡豊かな毛筆で、誕生日を迎えた心境が記されていた。
「生き・活き・粋」
文句はキッチュかもしれないが、この人が書くと真実味がある。
*ダチョウの宣伝
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=52725
(動画ですが、このソフトが入っていない場合は開かないことがあります)
(後半にいい話があるよ)
岐阜の山間部にカンガルーがいるという。
「行ってみよー」ということで探検隊が組織された。
メンバーは、ヨッシダリンとヒロセッティオ、それにロッキーことこの六だが、さらにスペシャルゲストとして、ミヤノエッタ先生が加わることになった。
このメンバーを紹介しよう。前の三人は中学時代(半世紀以上前だが)の同級生である。
ヨッシダリンはもともと和傘屋さんであったが、時代の変遷で唐傘の時代が去り、以来30年以上、ベテランのタクシードライバーである。
ヒロセッティオは時計と眼鏡を商う店の店主で、彼の代からももう数十年という老舗のオヤジである。
この三人の出会いであるが、昨年だったろうか、自称「自転車王子」のロッキーことこの六が、岐阜の街を流しているとき、たまたまこの二人に出会った。
聞けば、これから中学時代の恩師、ミヤノエッタ先生(前出のスペシャルゲスト)のところへ出かけるのだがお前も来ないかということであった。
しかしその時は人と会う約束があり、次回を期して別れた。
その「次回」が実現したのだ。
私たち三人は、まず、岐阜の街から30キロぐらい離れたミヤノエッタ先生のところへ出かけた。
私にとっては30年以上の間がある再会で、とても喜んでくれた。
さて、ミヤノエッタ先生の家でゴロニャンしていても芸がないので、先生を連れ出すこととした。
それが冒頭に述べた探検隊である。
昼食は、根尾川沿いにある長瀬のヤナ場でとった。折からの日照りで水量はやや少なかったが、それでも2、3匹の鮎が落ちていた。
そこで鮎尽くしを堪能してから出発。
ミヤノエッタ先生に湛水し始めた徳山ダムを見せるため一路北へ。
私は、この五月にここを訪れたのだが、その折りよりも確かに水量は増している。
ミヤノエッタ先生もここがまだちゃんとした山村の折に来たことがあり、それらが膨大な水量に押しひしがれてしまった姿を見て、感無量のようであった。
ついでながらこのダム、土建業界にとってはまだまだ打ち出の小槌で、用途もはっきりしない水を、下流の都会地などに運ぶ水路の建設費用に、とりあえず900億、さらにはその数倍の金がばらまかれることとなっている。
そうした事情はともかく、我が探検隊は、下流の横山ダムから、旧坂内村を経由して、揖斐高原方面に向かうこととなった。
そこで私が、カンガルー探検の言い出しっぺ、ヒロセッティオに尋ねた。
「カンガルーまではまだ遠いのかい?」
すると、ヒロセッティオは怪訝そうな顔で、
「カンガルー?」
と、問い返してきた。
「そう、カンガルーがいるっていったじゃないか。ねえ、先生」
「そう、カンガルーがいるといったぞ」
と、ミヤノエッタ先生。
そのやりとりを聞いていた運転席のヨッシダリンは、ハンドルから手を放すのではないかと思うくらい笑い転げ始めた。
そして、助手席のヒロセッティオの方にあごをしゃくっていった。
「こいつはねぇ、ラクダもカンガルーもダチョウも一緒なんですよ。いるのはダチョウ。こいつの言いそこ間違いですよ」
カンガルーならぬダチョウ
当のヒロセッティオは、
「え、俺ってカンガルーって言ったっけ」
「言ったよ、この間はラクダだっていったじゃないか」
と、ヨッシダリン。
私の頭のなかで、山林を飛び跳ねるカンガルーのイメージがス~ッと引いていった。
でも、山林にキジがいるのは当たり前だが、ダチョウがいるんだからいいじゃぁないかと気を取り直す。
隣ではミヤノエッタ先生がまだクックッと笑っている。
程なくして、ダチョウの飼育場へ着いた。
案外小さな建物にそれらはいた。
あたりは無人のようで、一羽や二羽、持って帰っても気付かれないみたい。もっとも、彼らがおとなしく車に乗るかどうかが問題だが・・。
これらのダチョウは食用に供される。
生ハム、生ハムスモークハム、ソフトジャーキー、ソーセージ などなどの製品があり、さらにはダチョウカレーや、ダチョウハンバーグなどの料理もある。
今回は口に出来なかったが、食した経験があるヒロセッティオにきくと、鶏の笹身に似てあまりしつっこくなく結構美味だとのこと。
これは幼鳥、人なつっこい
かくして、カンガルーならぬダチョウの探検は終了。
そのまま久瀬方面へ車を走らせ、久瀬温泉白龍の湯へ。
この温泉はシンプルで快適である。
スーパー銭湯のようなちゃらちゃらした設備は一切なく、ただ露天風呂のみというシンプルさ。
その代わり、あの変な塩素臭はない。
これも幼鳥
温泉にゆっくり浸かってからミヤノエッタ先生の家へ戻る。
夕食はこの地区の老舗のウナギ屋で鰻丼。
ウナギの焼き加減がほどよく、それにしつっこくない垂れがからんで、おいしい。丼の底に垂れが残るようなものは苦手なのだ。
ここで、感動的な場面が・・。
ミヤノエッタ先生、おもむろに懐に手を入れたかと思うと、ビール券をとりだし(一枚で大瓶二本)、それをヨッシダリンに二枚、そして、ヒロセッティオとロッキーことこの六にも一枚ずつ渡すのだ。
ミヤノエッタ先生曰く。
「ヨッシダリンは終日運転で飲めなかったろう。ヒロセッティオやロッキーもそれに遠慮して、ほとんど飲まなかったろう。これはその見返りだ」
なんたる細やかな心遣い。あまり人に面と向かって感動したりはしないたちだが、これにはマイッタ。
ミヤノエッタ先生は晴耕雨読の生活。趣味は野菜作り。
帰りにはその成果をどっさりくれた。
トマト、キュウリ、ナス、カボチャ、タマネギ、メイクイーン、などなど。
再会を約して去った三日目、ミヤノエッタ先生は83歳の誕生日を迎えた。
私の出した礼状への返事は、墨跡豊かな毛筆で、誕生日を迎えた心境が記されていた。
「生き・活き・粋」
文句はキッチュかもしれないが、この人が書くと真実味がある。
*ダチョウの宣伝
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=52725
(動画ですが、このソフトが入っていない場合は開かないことがあります)