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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

街に犬がいなくなった時代

2011-05-10 18:05:02 | 想い出を掘り起こす
 先ごろ、街を歩いていたら、実に何十年ぶりかで犬に出会った。
 などというと驚かれるかも知れないが、それが実感であった。

 もちろん、この間、犬という動物を見かけなかったわけではない。
 しかし、私が見かける犬たちはたいてい家の塀の中にいて人が通りかかると吠えかかるか、あるいは、飼い主の持つ紐や鎖、リード線でつながれたままで散歩をする犬たちなのである。

 先般出会った犬はそうではなかった。
 首輪が付いていることからして飼い犬なのだが(野良猫はともかく、都市部で野良犬が棲息できる環境はもはやない)、鎖やリード線はなく、まったく自由に歩いていた。
 狭い路地で私とすれ違ったのだが、思わず歩を止めた私を見上げていたその犬はかなり老齢で、多分、飼い主が扉をあけたままにしておいたのを幸い、散歩と洒落こんだのであろう。

 私が歩を進めると、何事もなかったように私の横をすり抜けていった。
 「おい、車なんかに気をつけるんだぞ」と口の中でつぶやいてその犬を見送った。

       
        私が1980年代から飼っていた由緒正しい雑種。名は「寿限無」

 冒頭に何十年ぶりかに犬に出会ったと書いたが、私の子供の頃や、おそらく1960年代頃までは、こんな風景がざらだったのだ。というか、それが普通だったのだ。
 嘘だと思うならその頃のマンガ本や雑誌の挿絵を見ると良い。たいてい画面の隅に犬の一匹や二匹は出てくるはずだ。

 血統書付きの犬の場合は、よその犬と懇ろになって雑種を生んだりすると困るのである程度管理されていたのだが、庶民が飼う雑種はほとんど放し飼いであった。
 今日ではずーっと繋いでおいて、散歩に連れてゆくというのが普通であるが、当時はわざわざ散歩に連れてゆくことなどせず、犬を勝手に行動させておくのが運動だった。
 室内犬というかお座敷犬などというのはお金持ちのペットでしかなかった時代で、地方都市の下町ではそれらを見ることもなかった。

 飼い主と犬の絆は、縛り付けておくことではなく、その犬に名付けるということと、餌を与えるということ、ねぐらを提供することで、犬のほうもよくしたもので、どこで遊んでいも食事時には帰ってきた。姿が見えなくとも、大声で呼ぶとすっ飛んできた。

 だから町中を自由な犬たちが往来していた。
 ときとして喧嘩もあったし、路上でまぐわいをするカップルもいて、子供たちがはやし立てたりした。
 人を噛んだりしなかったのは、昨今のつながれた犬と違ってストレスなどがなかったからだと思う。

 おそらく犬たちは、人間に従属しているという意識などなく、世の中にしかるべく位置を占めていたと思われる。それなりに自由だったわけであり、人間もまた自由に犬と付き合っていた。

 私の子供時代、近所に高橋さんといううちがあり、雑種だけどかなり均整がとれたハンサムな犬を飼っていたのだが、それがどういうわけか私になついてしまい、私が出かけると付いてくるようになった。それで私が友だちと遊んでいると自分はそのへんをほっつき歩いていて、私が帰る段になると別に呼びもしないのに一緒に帰るようになった。

 そんなことがあって、すっかり私の家族とも打ち解け、飼い主の高橋さんのうちよりも私のうちにいるほうが多いぐらいになった。亡父などはおもしろがって、亡母が止めるのも聞かず、自分の酒の肴を与えたりした。
 高橋さんの家族もそうした事情を知っていて、出会うたびに「うちの犬がお世話になりまして」との挨拶があった。なんとものどかな時代であった。

 その犬に私は「チャメ(茶目)」と名付けた。性格がチャメっぽいのと、その瞳が茶色っぽかったからである。高橋さんの家では別の名前で呼ばれていたのだが、その名前は覚えていない。
 おそらく彼は、どちらの名前にもちゃんと反応したのだと思う。
 いわゆる二つ名のお兄さんであった。

 一匹の迷い犬から半世紀前の犬の有り様にまで思い出が遡ったわけであるが、やたら懐古的になるのはともかく、昔の犬のほうがずっと自由だったし、そうした犬が自由であった時代は、ひょっとして人間もそうであったのではないかと思ったりする。ようするに、今のペットという感じとはいくぶん違った関係のうちに犬も人もいたように思うのである。
 
 もちろん、今日の交通事情などからしてそこへの回帰は不可能だろうが、こうした飼い方の変化の中で、犬自身が大いに変わってしまったのも事実であろう。
 中学生や高校生の頃、夜半まで勉強や読書で起きていると、突然どこかで犬の遠吠えが始まり、それに連鎖するようにあちこちでそれが聞こえたものであるが、ここ何十年、もはやそれを聞くことはない。
 
 犬たちは、もはや自分の体内に流れる狼の血潮を忘れてしまったのだろうか。人間が幾多のものを忘却してしまったように。
 
 完全に管理された犬、そして同様に管理された……。
 

コメント (4)
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