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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

前回への自己コメント アーレント「世界への愛」

2011-12-16 15:39:53 | よしなしごと
以下は、前日の記事に対していただいたコメントに対する返答の形をとった自己コメントです。

       

>◯◯◯◯さん
 とても刺激的なコメント有難うございます。
 私の表現の問題もあってある種の相対主義と見なされる側面もあるかもしれませんが、私としては既成の観念やその折の共同体が強要する「善」、もしくは歴史的検証を経ない独善的な「善」に安易に寄りかかってその拡散をなそうとする危険性について述べたかったわけです。
 したがって「良きこと」というカッコを付けて使いました。

 いわゆる価値相対主義もニヒリズムなのでしょうが、既成の価値からの逸脱を嘆く疎外論やルサンチマン(本来性からの逸脱)も、自ら選びとった実存的な価値を踏まえないという意味である種のニヒリズムといっていいと思います。
 それらがいわゆるスターリニズムやナチズムの背後にあることもいまさら言うまでもないでしょう。

 アーレントの「世界への愛」は、そうした既成性などの桎梏を越えた自由な人間の「活動」の構造並びにその展開の場で世界に対峙する実存の有り様として語られているように思います。
 
 私達の「活動≒投企」はその結果の予測の付かなさにもかかわらず、あるいはそうであるがゆえに「約束」として提示されます。
 しかし、それらは人間の「複数性」という事態のなかでしばしば予測を裏切ります。
 こうした、「起きてしまった出来事の取り返しのつかなさ」に対応するのが「赦し」であり、この赦しによって新しい「活動」への開始がリセットされます。
 この「約束」と「赦し」の反復こそ「活動」の構造であり、それが人間の「複数性≒偶然性」という端的な条件に支えられたものであることは既に述べたとおりです。

 「世界への愛」は、「生誕」という始まりによってこの世界へと参入し、やがて去ってゆく私たちが、複数性という状況のなかで、なおかつ「活動」というかたちでそこへ参画してゆくことだと解釈しています。

 私が舌足らずであった点への適切なご指摘ありがとうございました。
 お陰で、今一度問題を整理できました。

コメント
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