●18日(日)
自宅でいろいろ。今年もリュウノヒゲ(ジャノヒゲ)の実が色づいた。
マリーンブルーの真珠のような輝きにしばし感嘆して見とれる。
●19日(月)
ここのところ月一回、名古屋市科学博物館近くへ出かける仕事がある。そこでの用件を終えて、余った時間、白川公園と科学館周辺を散策。
休館日とあって静かだが、野外展示を柵越しに見ることはできる。
以前に紹介した巨大パチンコ玉のプラネタリウム。その前に横たわるH-ⅡB ロケット。
直径5メートルを越え、長さにいたっては55メートルとか。
こんな巨大なものを宇宙空間に打ち上げる力があるのに、地上の貧困や戦争などを解決できない人間ってやはり変な動物といえるかも知れない。
夕方、旧知の友人(私とその読みで同姓同名)と今池で歓談。夕刊で金正日氏の死去を知る(それについては前項に掲載した)。
●20日(火)
何をしてたんだか・・・。
ゴソゴソと整理、そしてやっと年賀状の作成の段取り。
●21日(水)
おりから松坂屋本店で開催されている「北京・故宮博物院展」に出かける。
来年は日中国交回復40周年とかで、朝日新聞も年明け早々、東京国立博物館で「北京・故宮博物院200選」を行うそうだが、その走りのようなものだろうか。
朝日の宣伝などを見ると展示物などかなり違うようでもある。しかし、見てきたものも素晴らしかった。
西洋でもそうだが、宮廷文化が贅を尽くすというのは庶民の生活から見たらとんでもなく乖離しているのだが、それが時代の工芸や文物を後世に残すとしたら、それはそれで享受すべきかもしれない。少なくとも、かつて紅衛兵が暴れまわったように、それらを壊してしまうべきではないだろう。
展示されたものの評価を書いていたらきりがない。ただただ感心するのみ。気づいたら普通の絵画展などよりはるかに鑑賞時間が長かった。その歴史的価値はともかくとして、美術としての絵画はいまいちであったように思う。
観終わって会場を離れた途端、つい一ヶ月半ほど前に行ってきた中国山西省の山の民たちを思い起こした。彼らと、この華美な宮廷文化とはどう関わりがあったのだろうか。
それらは全く違う場所でただ平行して流れていた歴史なのだろうか。
いやいやそうではあるまいとは思うのだが、それを繋ぐチェーンが見えてこない。
夜の名古屋を歩く。
栄近辺で何やら楽の音が聞こえるので行ってみたら、最近ちょくちょくTVなどで見かける「名古屋おもてなし武将隊」の向こうを張った「あいち戦国姫隊」という女性グループが歌と舞を披露していた。
名古屋駅のイルミネーションは今年は中止で、例年の賑わいはない。
JR岐阜駅へ着いたら、こちらは例年通り、大階段を利用したイルミネーションが輝いていた。こうした手が届くようなものも暖かみがあっていいものだ。
●22日(木)
今年最後の図書館通いだ。
正月休みを挟んで、1月17日まで借りることができるのがありがたい。すこしハードなものを4冊借りた。
昔のように正月の間食っちゃ寝とか、あるいはやたらひとが訪れたり、あるいは出かけたりしないのでかえって勉強が進むかも知れない。
図書館の庭もすっかり冬模様で、山茶花のみが赤い色を添えていた。
かわいがっている(と思っている)南京ハゼの木も、すっかり葉や実を落とし、裸でつったっていた。
若葉が出る頃、また写真にとってやるからそれまで頑張れと言い残して立ち去る。
帰りにスーパーに寄ったらピンピン跳ねているイシガレイがあったので、大枚780円をはたいてゲット。五枚におろし刺身に。アラは最初高温、途中からじっくり弱火で泡が出なくなるまで揚げて骨せんべいに。
白菜もちょうどうまく漬ったので山海の幸せな食を味わう。
久々に日本酒。土佐は「酔鯨」の純米吟醸酒。
●23日(金・祝日)
すこし遡るが、19日にタクシーに乗って「12月になって忙しいですか」と尋ねたら「大したことないですわ」とのこと。
「でもこれから忙しくなるでしょう」と慰め気味にいったら、「それがお客さん、23日からの三連休でしょう。この時期あがったりですわ」とのこと。そしていわく、「言っちゃぁいかんかもしれませんが、なんでこんな日に生まれたんでしょうね」。
口にだすかどうかはともかく、年末の23日の休日は客商売にとって影響大で、そう思ってる人もずいぶん多いはずだ。
おもわず吹き出しそうになったが、そこはひとまず「われわれ庶民にしろ天皇にしろ、自分の生まれる日を選べるわけじゃないんだから」と言ったら、「まあ、そりゃそうですけどねぇ」とまだ不満そうだった。
天皇は78歳だという。私より五歳年上だ。
誕生日にあたり、来し方をどのように回想しているのだろうか。
また、そんな年になって週刊誌ネタにされているのをどう感じているのだろうか。
すこし気の毒になった。
自宅でいろいろ。今年もリュウノヒゲ(ジャノヒゲ)の実が色づいた。
マリーンブルーの真珠のような輝きにしばし感嘆して見とれる。
●19日(月)
ここのところ月一回、名古屋市科学博物館近くへ出かける仕事がある。そこでの用件を終えて、余った時間、白川公園と科学館周辺を散策。
休館日とあって静かだが、野外展示を柵越しに見ることはできる。
以前に紹介した巨大パチンコ玉のプラネタリウム。その前に横たわるH-ⅡB ロケット。
直径5メートルを越え、長さにいたっては55メートルとか。
こんな巨大なものを宇宙空間に打ち上げる力があるのに、地上の貧困や戦争などを解決できない人間ってやはり変な動物といえるかも知れない。
夕方、旧知の友人(私とその読みで同姓同名)と今池で歓談。夕刊で金正日氏の死去を知る(それについては前項に掲載した)。
●20日(火)
何をしてたんだか・・・。
ゴソゴソと整理、そしてやっと年賀状の作成の段取り。
●21日(水)
おりから松坂屋本店で開催されている「北京・故宮博物院展」に出かける。
来年は日中国交回復40周年とかで、朝日新聞も年明け早々、東京国立博物館で「北京・故宮博物院200選」を行うそうだが、その走りのようなものだろうか。
朝日の宣伝などを見ると展示物などかなり違うようでもある。しかし、見てきたものも素晴らしかった。
西洋でもそうだが、宮廷文化が贅を尽くすというのは庶民の生活から見たらとんでもなく乖離しているのだが、それが時代の工芸や文物を後世に残すとしたら、それはそれで享受すべきかもしれない。少なくとも、かつて紅衛兵が暴れまわったように、それらを壊してしまうべきではないだろう。
展示されたものの評価を書いていたらきりがない。ただただ感心するのみ。気づいたら普通の絵画展などよりはるかに鑑賞時間が長かった。その歴史的価値はともかくとして、美術としての絵画はいまいちであったように思う。
観終わって会場を離れた途端、つい一ヶ月半ほど前に行ってきた中国山西省の山の民たちを思い起こした。彼らと、この華美な宮廷文化とはどう関わりがあったのだろうか。
それらは全く違う場所でただ平行して流れていた歴史なのだろうか。
いやいやそうではあるまいとは思うのだが、それを繋ぐチェーンが見えてこない。
夜の名古屋を歩く。
栄近辺で何やら楽の音が聞こえるので行ってみたら、最近ちょくちょくTVなどで見かける「名古屋おもてなし武将隊」の向こうを張った「あいち戦国姫隊」という女性グループが歌と舞を披露していた。
名古屋駅のイルミネーションは今年は中止で、例年の賑わいはない。
JR岐阜駅へ着いたら、こちらは例年通り、大階段を利用したイルミネーションが輝いていた。こうした手が届くようなものも暖かみがあっていいものだ。
●22日(木)
今年最後の図書館通いだ。
正月休みを挟んで、1月17日まで借りることができるのがありがたい。すこしハードなものを4冊借りた。
昔のように正月の間食っちゃ寝とか、あるいはやたらひとが訪れたり、あるいは出かけたりしないのでかえって勉強が進むかも知れない。
図書館の庭もすっかり冬模様で、山茶花のみが赤い色を添えていた。
かわいがっている(と思っている)南京ハゼの木も、すっかり葉や実を落とし、裸でつったっていた。
若葉が出る頃、また写真にとってやるからそれまで頑張れと言い残して立ち去る。
帰りにスーパーに寄ったらピンピン跳ねているイシガレイがあったので、大枚780円をはたいてゲット。五枚におろし刺身に。アラは最初高温、途中からじっくり弱火で泡が出なくなるまで揚げて骨せんべいに。
白菜もちょうどうまく漬ったので山海の幸せな食を味わう。
久々に日本酒。土佐は「酔鯨」の純米吟醸酒。
●23日(金・祝日)
すこし遡るが、19日にタクシーに乗って「12月になって忙しいですか」と尋ねたら「大したことないですわ」とのこと。
「でもこれから忙しくなるでしょう」と慰め気味にいったら、「それがお客さん、23日からの三連休でしょう。この時期あがったりですわ」とのこと。そしていわく、「言っちゃぁいかんかもしれませんが、なんでこんな日に生まれたんでしょうね」。
口にだすかどうかはともかく、年末の23日の休日は客商売にとって影響大で、そう思ってる人もずいぶん多いはずだ。
おもわず吹き出しそうになったが、そこはひとまず「われわれ庶民にしろ天皇にしろ、自分の生まれる日を選べるわけじゃないんだから」と言ったら、「まあ、そりゃそうですけどねぇ」とまだ不満そうだった。
天皇は78歳だという。私より五歳年上だ。
誕生日にあたり、来し方をどのように回想しているのだろうか。
また、そんな年になって週刊誌ネタにされているのをどう感じているのだろうか。
すこし気の毒になった。