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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

死者が貨幣に還元される「死の商人」

2016-06-13 02:07:50 | 社会評論
 戦争で儲ける人たちを「死の商人」という。
 彼らは当初、戦争という現象に付随する存在であったが、それが力を増すと、自らが生み出す商品=兵器の消費を大幅にアップし、在庫品を貨幣にかえるため、時の政府を動かして戦争そのものを演出するに至る。
 
 戦後日本においては、平和憲法のもと、それらとはほぼ無縁な数十年が続いた。
 ただし、武器の生産や輸出を行う国の下請けとしての地下での取引はあっただろう。

           

 いまやそれが、おおっぴらに国策として行われようとしている。
 経団連と現政権のタッグによる兵器輸出の動きがそれだ。それらはすでに安倍内閣のもとでなかば公然と始まっているのだが、それでもなお、その進展がけだるいとして、こんな動きが始まっている。
 以下は朝日デジタルの記事による。

 「経団連は10日、武器など防衛装備品の輸出を『国家戦略として推進すべきだ』とする提言を公表した。10月に発足する防衛装備庁に対し、戦闘機などの生産拡大に向けた協力を求めている。」

 兵器とは人を殺す装置である。従ってその消費は確実に何人かの死者を生み出すこととなる。そして、それが消費されればされるほど人を殺す商品が貨幣に還元されることとなる。
 だから兵器生産者が「死の商人」といわれる所以だ。

 それが公然と語られ、国策となるような国にいつからなったのだろう。
 今から71年前、300万人の日本人の死者、2,000万人の近隣諸国の死者を前にして、もう殺されるのも嫌だし殺すのも嫌だからそうした体制から離脱すると誓ったのは一体何だったのか。
 
 もちろん殺されるのは嫌だろう。しかし、知らないところで、われわれのせいによって人が殺されるのは平気だという心境にいつからなったのだろう。
 平和というのは、自分さえ無事ならいいということではなくて、「殺されるのも嫌、殺すのも嫌」というごく当たり前の心情に根ざすものではなかったのか。
コメント
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