わずかばかりのサラリーマン生活と、あとの自営業で、支給される年金は当初9万円近かったのが、介護保険料の天引きと、その後の年金そのものとの減額で、いまのところ手取りは月8万円しかない。エンゲル係数はうなぎのぼりで、いまや50%に近づきつつある。
だから、私にとって食いもののの話は、いかに豪華でうまいものを食ったかではなくて、限定された条件下で何を食っているかになる。そうした制約下だから、豊かとはいえないまでも、決して惨めではない食生活もあるのではないかと、それには心がけている。
つまるところ、身近に手に入る食材を自分なりの調理でささやかな満足を得るといったパターンになることが多い。
農協の野菜売り場でゲットしたこれは、まず都会地のスーパーには出ないであろうものだ。ようするに里芋の親芋なのだが、私が子供の頃過ごした田舎では、「ゴジ芋」といっていた。
確かに、小芋の里芋に比べると「ゴジ」っとするのだが、全部が固いわけではなく、上半分は里芋同様、ねっとりと柔らかいし、下半分も里芋とくらべれば固いが、そんなに固いわけではない。その上、上方の茎の部分も結構うまい。
調理法はふつうに煮るだけでもうまい。
私の場合、里芋は白煮風に仕上げるが、この親芋は醤油の色合いを気にせず、田舎煮風にしっかり味を滲ますようにする。
下茹で風にして、味噌田楽にしてもうまい。
変わったところでは、薄く切って下茹でし、フライパンでバタ焼き風にする場合もある。この場合は、好みのスパイスを色々変えてみると味にバラエティが出る。
いじましい話だが、とにかく安価で手に入る。写真のものは80円であった。小さい方2つで田舎煮風にしたから、大きい方はバタ焼きにでもしようかと思っている。
最後は、やはり農協の野菜売り場での一把100円の蕪菜を二把、鷹の爪、昆布などとともに一夜漬け風にしたもの。
この前は、大根葉だったが、蕪菜は蕪菜でまた独特の香りと風味があってうまい。
静隠や 芋と青菜の おらが秋 六
内容は少しずつ変わったかもしれませんが、基本的には身辺の雑記を中心にした独り言のような文章です。
訪問者数は一日250〜350人ほど。閲覧数は5〜600とありますから、来た方が平均2つの記事を読んでくれていることになります。
最近の傾向として、コメント数が減ったことです。これはおそらく、ツイッターなどの影響で、私のように比較的ダラダラとした長い文章を読み、それに反応する習慣が減ってきたということでしょう。
まあ、それをいう前に、私の書くものの中身の無さをまず反省すべきなのでしょうが。
暮しの手帖は「母と兄」がずっと取っていた。明治生まれの母は、片田舎の貧乏な家(渥美半島の田原町新町)からたった一人だけたまたま成績が良くてお茶の水女子大学の旧学園(東京女子高等師範学校、全寮制で貧乏でも行けた教育人材登用制度の産物)の家政学を出た人。名古屋に出てきてからはずっと菊里高校の家政学の先生。
そんな目で、このエントリーを読めたんです。
ところで、このブログは何年ほど、アクセスはどれほどなど、おたずねしたいのですが、よろしく。15年ほど友人を助けてやって来た9条バトルも、最近はほぼ僕だけ、ちょっと疲れてきましたので・・・いろいろ聞いてみたいんです。ブログ自身について話し合ってみたいんです。
かつて、花森安治は、その『暮しの手帖』で、消費の確かさ、豊かさを追求し、創造的消費のようなものをコンセプトにしていましたが、それに近い姿勢です。
最も、この花森安治、戦時中には「ほしがりません、勝つまでは」とか、「贅沢は敵だ」とか、あるいは「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」などの戦時スローガンの生みの親としても知られています。
確かに、戦時スローガンですが、戦意高揚というより、戦時下の限られた条件下での消費のありように触れたところに彼らしさがあるように思います。
『薄く切って下茹でし、フライパンでバタ焼き風にする場合』
蕪菜浅漬けがまた、面白かった。ゆず大根ならぬ、ゆず蕪は作ったことがあるが、鷹の爪と昆布って、面白かったこと!
ハンナ・アーレントは今、ある解説書を読んでいるところ。「悪と全体主義」(仲正昌樹著、NHK新書)。今日やっと、ざっと通読したところだが、「ヒトラー(時代)は何故?」を説明するべく、後半の人生をかけただけのものがあると感じた。アイヒマン裁判を追い続けた人だったんだよね。続きはまた、どこかで書きます。