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現実より詩的なパラレルワールド 『ピラネージ』スザンナ・クラーク を読む

2022-09-07 16:07:05 | 書評

 以下は、図書館の新着図書の中から拾い上げてきた一冊についてのメモである。

 ちょっと変わったある種のパラレルワールドを扱ったファンタジックな小説。
 この別のワールド、ちょっと変わった儀式のようなものに通じた限られた人間にしか行けないようだ。
 そこはまた、何百という部屋を持ついまは崩壊しつつある宮殿風の大伽藍で、各部屋には神話を題材としたかのような石の像が半壊した姿でとどめられている。ときおり潮が満ちてくるのだが、その海がどこにあるかは書かれてはいない。


          

 読みすすめるうちにわかるのだが、この別のワールド、そこに長時間留まると前のワールド、つまり私たちがいるこの世界での記憶をなくしてしまうらしい。
 だから、そのアナザーワールドに通うことができる限られた人たちも、長時間そこに滞在しようとはしない。

 ところで小説は、何らかの理由でそこに長時間滞在したために以前の記憶をなくし、その別世界の原住民であるかのように純真な存在になってしまった若い男の独白として書かれる。彼の叙述によれば、この宮殿世界には彼と「もうひとりの人」と13人分の遺骨と見られる痕跡、つまり合わせて15人の住人しかいないことになる。


       

 話が進展し始めるのは、16人目の影がちらつき始めることによる。「もうひとりの人」は、主人公に16人目との接触を厳禁する。しかし、それはその影を次第に鮮明にし、主人公自体も携えていた過去の日記を参照することにより、この崩壊した大伽藍の他の世界が姿を表し始め、それとの接触の開口部が明らかになり始める。

 主人公がこの崩壊した大伽藍の世界から抜け出す過程は、同時に失われた自己のアイディンティティを取り戻す過程である。
 しかし、かつての自己、つまり現実のこの世界の自己へと収斂し、アナザーワールドでの経験をファンタジーとして退けてしまうのはちょっともったいないではないか。

        

 作者、スザンナ・クラーク(英国の女性作家。ファンタジー小説の世界では著名な人らしい)もそう思ったのだろうか、ラストシーンでの主人公はやはり崩壊した宮殿の大伽藍を想起している。私自身、読んでいて、その空間の描写は幻想的で素晴らしく、またそこでの主人公の感受性そのものが詩的であったと思っている。

 現実にとらわれ、それに流されないためには、常にそれを相対化してみることができる地点、すなわち私たちの中にあるアナザーワールドを起動する必要があるのではなかろうか。


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