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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

差別と欲望の黙示録 『フライデー・ブラック』を読む

2020-11-19 00:29:15 | 書評

 以下は、『フライデー・ブラック』(ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー 押野素子:訳 駒草出版)を読んだメモ。

             

 この書を手にとったのはまったくの偶然だった。図書館へ行って新着図書の棚を見ていたときだった。ここのところ、論文調のものやルポ風のものばかり読んでいたので、良質なエンタメも含めて、もう少し散文調のものが読みたいなとふと思った。
 それで、文学・小説の棚で出会ったのがこの書だった。背表紙はまさにブッラクで陰気臭かったが、目次を見てパラパラと拾い読みをするうちに、BLM(Black Lives Matter)と関わるような短編集だと検討をつけ、借り入れ図書に加えた。

 ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーという作者も、出版元の駒草出版というのも馴染みがなかったが、作者については、その名前からして有色人種だと当たりをつけた。これは後で調べた作家の略歴。

 【ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー】 1991年、アメリカ。ガーナからの移民である両親のもとに生まれ育つ。ニューヨーク州立大学オールバニー校を卒業後、名門シラキュース大学大学院創作科で修士号を取得。2018年秋にアメリカ本国で刊行された『フライデー・ブラック』は、新人作家のデビュー作ながら大きな注目を集め、『ニューヨーク・タイムズ』などのメディアでも高評価を得る。『フライデー・ブラック』の表題作は映画化も決定しているようだ。

           

 また、タイトルの『フライデー・ブラック』との関連で「ブラックフライデー( Black Friday)」について調べた。これは、11月の第4木曜日の翌日にあたる日のことである。小売店などで大規模な安売りが実施される。
アメリカでは感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日は正式の休暇日ではないが休暇になることが多く、ブラックフライデー当日は感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セール日にもなっている。買い物客が殺到して小売店が繁盛することで知られ、特にアメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされている。この売上で黒字に転じるという意味で、日本語では黒字の金曜日とも訳されたりするらしい。

 無知な私は、こうした背景を理解しないと小説すら読めない。
 この書は、表題作を含む12の短編からなる。
 それぞれの背景になる時空は、いずれも現在とは少しずれていて、一見、SF風に見えるが、優れたSFが常にリアルな問題を語るように、まさにこの小説たちもそれぞれアップトゥーデートな問題に触れている。
 テーマは大きく分ければ、一つは、差別、選別に属するもので、いまひとつは、人間の欲望とそれを対象として操る販売という行為、その行為そのものの陰湿な冷酷さに属すると言えようか。

 こう書くと固っくるしくて重々しく感じられるかもしれないが、本文そのものはどこかヒップホップを思わせる文体の素早い展開で飽きさせない。
 冒頭の作品では、黒人の主人公が、そのTPOに応じて、10段階の自分のブラックネス=黒人度を調整しながら生きてゆく。電話など、人に容姿を見られない場合はブラックネスを1.5にまで下げることができる。ただし、姿を晒す場合には、ネクタイを締め、ちゃんとした靴を履き、笑顔を絶やさず、よそ行きの声で優しく話す。姿勢は正しく、両手は膝に揃えて置き、決して大きくは動かさない。これでもってやっと4.0まで下げることができるといった具合だ。
 主人公がこんな生活を離れ、自分を生きようとするとき悲劇が襲う。

             

 「The Era」という作品は、人の遺伝子の人工操作(作中では「最適化」と表現される)が普及し始めた頃の話で、それに成功し、高い能力と外観を獲得した層と、遺伝子操作をしなかった天然の層、そして、操作に失敗してその能力が低く外観が醜い層(彼らは俯いて生きるという意味で、「シュールッカー=靴を見つめる者」と呼ばれる)に分かれている。
 主人公は天然なのだが、この層が安定しているわけではない。何かのヘマやちょっとした契機で、常に、シュールッカーへと蹴落とされる。

 「Zimmer Land」は、罰せられることなく黒人を傷つけたり殺したりしたいレイシストのための偽造殺人ゲームの話である。黒人である主人公は、安全なコスチュームに身を包み、顧客の白人のために、殺され役を演じている。彼がこれに加わる理由は、実際に黒人たちが殺されるよりは、その欲望をゲームで発散させたほうがいいからという論理なのだが、そうした論理がゆらぎ始めた日、彼がとった行動とその結末は・・・・。

 「Friday black」は、先に少し解説した特売日の一日を描いたものである。日本で言うならさしずめ「ユニクロ」といった衣料販売コーナーに押しかける客たちの欲望の嵐は半端なものではない。人波に押し倒された者はその上を通過する者たちによって踏み殺され、その屍を乗り越えて突進する者たちの間でまた死を賭けたバトルが展開され、死屍累々のなか勝者のみが狙った獲物を獲得することができる。死んだ者たちはたとえ家族であれ、自己責任の弱者とみなされる。
 そんななか、販売員たちも決して安全ではない。もたつくと理性をかなぐり捨てた顧客たちによって殺されることもある。主人公の有能な販売員は、押し寄せる客の、もはや言葉となならない呻きや叫びを聞き分けそのお目当ての商品を渡す能力に長けている。
 このシリーズは、ほかに2つほどの話が収められている。

         

 最後の「Through the Flash 閃光を超えて」は、殺し殺されるおぞましい世界の物語である。ただし、核兵器と目される巨大な轟音と閃光が煌めくたびに、死者たちは生き返り、再び殺し合いが始まる。前に殺された者が、今度はその相手を殺す。それがどうやら永遠に繰り返されるかのようだ。
 これは、ニーチェの永遠回帰の悪魔バージョンともいえる。
 ただし、この作品では、殺し殺される「通常の輪回」から逸脱しそうな「異常現象」が主人公に起こり、それを抱えて新しい閃光に身を晒すラストシーンは、そこからの脱却を暗示しているようでもある。

 小説を語るにしては長く書きすぎた。ただし、それぞれの結末にはほとんど触れてはいない。
 まだ20代後半のこの作者の、今後の作品もチェックしてみようかと思っている。


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