以下は、『世代問題の再燃 ハイデガー、アーレントとともに哲学する』森 一郎(明石書房)を読了した後、それに触発された考察である。
著者は、ハイデガーが「死への先駆」から思考を展開したのに対し、アーレントの哲学を「生誕」をキーワードにして読み解く立場をとる(『死と誕生 ハイデガー・九鬼周造・アーレント』、『死を超えるもの 3・11以後の哲学の可能性』など)。
同じような視点からアーレントを読み解いたものに、『<始まり>のアーレント――「出生」の思想の誕生』(岩波書店、2010年)があるが、こちらは森川輝一という政治学者の書である。両者ともに「森」がつくのでうっかりすると混同する。
なお、森一郎の方は、長く読みつがれてきた志水速雄訳の『人間の条件』(当初の英語版を底本にした訳)を、アーレント自身の独訳版に即し、タイトルも『活動的生』として訳出し直したことでも知られる(2015年)。
本書のタイトルの世代問題は、近年の年金問題などを含むといえば含むかもしれないが、もう少し広い視野から、世代間の継承問題を考察したものである。大雑把な目次は以下。
第一部 死と誕生から、世代生産性へ
第二部 子ども、世界、老い
第三部 世代をつなぐもの
第四部 メンテナンスの現象学
1~2部はアーレントに即した記述 3~4部はそれに即した著者の実践的経験と時事的問題などの記述。
著者の展開はともかく、それに啓発されながら、世代間で継承されてゆくもの、アーレントの指摘による制作(仕事)の成果としての「世界」について少し考えてみた。この場合の世界は、ハイデガーが道具関連の連鎖としてそのうちに私たちが住まうとした「世界内存在」の世界に近い。
アーレントの考えで理解されにくいのが、人間の行為を労働・制作(仕事)・活動に分けて考察する場合の、労働と制作(仕事)の分け方である。
アーレントはその産物が消費によって消えてゆくものを労働の成果とし、それに反して、その産物がある程度繰り返して使用され、それらの累積によって広い意味での人間にとっての基本的なインフラ=世界を形成するのが制作(仕事)の成果だとする。
ようするに、労働は消費に対応し、制作(仕事)は使用(繰り返しの)に対応するわけだ。
そして、この書で、世代間に継承さるべきとして語られているのはもっぱらそうしたものの連鎖としての世界、ないしはその部分についてである。
これがなぜわかりにくくなっているかというと、現代における人間と生産物との対応の仕方の変化による。結論を言ってしまえば、本来、耐久的な使用の対象であるものが、あたかも消耗品であるかのように使い捨てられるようになったからである。
例えば、かつては繰り返し着られた衣服の使用回数は、いわゆる衣料品化することによって短いスパンで使い捨てにされるようになった。
制作(仕事)の成果の最たるものの建造物においても、かつての木造よりも頑丈なはずのコンクリートの建物が、半世紀も経たない短いスパンで建て直されたりする。
建造物たちはかつてのように耐久性をもったインフラの中心というより、壊すために建て、建てるために壊すという消費サイクルに取り込まれてしまったかのようである。
これは、ハイデガーのいう「世界像の問題」に通じる。
つまるところ、全てが消費の引力に抗うことができないまま、世界の持続性が慌ただしい交代劇にさらされているということである。
そうした状況は新たな問題を生み出すこととなる。例えば、消費の最たるもの食は、食べることによって消滅するが(別途食品ロスの問題はある)、衣料の消耗品化は即ゴミの問題になる。
かつての飲み物は、瓶に入っていて、そのビンは回収されて再利用されたが、いまやそれはペットボトル化され、有害ごみとして大きな問題となっていることは周知のとおりである。
ようするに、制作(仕事)の産物であった耐久消費物の急速な消費物化により、環境問題に至るまでの状況を生み出しているということである。と同時に、この世界の確固としたモノ性が希薄になり不確かなものになりつつあるといえる。
どうせすぐに消えるのだから・・・・というのはある種ニヒリズムの温床である。
こうした世界のあり方は、人間の知性にも影響を与えている。先人が生み出した長いスパンの耐久物と対面しながら、私たちは歴史を継承し、自分たちの時空における位置づけを試み、次代に残すべきものを考えたりする。そして、そこに世界への親密性(愛)が生じる。
しかし、すべてが急かされ、消費を強要されるなかでは、立ち止まって先人たちから受け継いだ世界を吟味する余裕などはない。本来、歴史的展望のなかで形成される知性は、次々と生み出される消耗品を消費するためのマニュアルへと矮小化される。
それを立証するかのように、この国の教育やそのシステムは、古典や歴史をないがしろにし、「すぐに役立つインスタントな知識」の習得へと絞り込まれようとしている。
普遍すれば、先ごろから問題になっている学術会議の問題も、蓋を開けてみれば、最も愚劣でおぞましい戦争という大量消費を支える生産体制に学知を従属させようとする陰謀だということが明らかになりつつある。
アーレントの入門書として優れていると思う
かくして、私たちの世界への愛は奪われ、世界はただ通り過ぎる対象へと変質する。
しかしこれこそ、アーレントが繰り返し述べた「人間は必ず死ぬ。しかし死ぬために生まれてきたのではない」とは真逆に、この世界を死ぬための通過点にしてしまっているのではないか。
そしてそれこそが究極のニヒリズムではないだろうか。
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