統一地方選の第一期が終了した。関西での維新の伸びは想定内だったし、ほとんど変わりばえがなかったといっていい。
そんななかで私が唯一注目したのが地元岐阜県議選の多治見選挙区の結果であった。この地区は衆院選岐阜第5区の中心都市だが、一昨年の衆院選において、当時、連続10回当選の盤石の基盤を持つ自民党の古屋圭司に対し、全国最年少、弱冠25歳の立憲の候補者、今井瑠瑠が挑んだのであった。結果は、古谷の8万2千票に対し6万8千票と迫り善戦したものの落選であった。しかし、この票差は彼女の若さと相まって、大いに将来を嘱望されるものであった。
立憲の看板を背負った今井瑠瑠
そんな状況に激震が走ったのは今年の一月であった。その今井瑠瑠が立憲から自民へ鞍替えし、今回の県議選多治見選挙区に立候補するというのだ。多治見選挙区の定員は2名、過去の県議線ではずーっと、自民系と野党系が一議席づつを分け合ってきた。
しかし今回、自民は既成の自民候補(公認)の他に今井に推薦状を出し、この地区での自民独占を狙ったのだった。
そして結果は、今井瑠瑠は2位当選を果たした。で、その結果としてはじき出されたのは・・・・自民の公認候補の方だった。
けっきょく、自民の選挙区独占の夢は破れ、公認候補の落選という代償を払ったわけだが、今井の方は、高校時代からの政治家になるという夢を果たしたことになる。なお、この高校時代の政治家志向のなかには与野党のはっきりした区分はなかったというから、彼女の政治家志向は思想や信条とはほとんど関わりがないところで醸成されたものというほかはない。
要するに職業としての政治家志向である。これが現行みられるような世襲と絡むと、家業としての政治家となる。そして、この国の政治は岸・安倍家の4代をはじめ、そうした家業としての政治家たちに牛耳られている。
自民の看板を背負った今井瑠瑠
今井瑠瑠の寝返り的離党、そして反対党派への加入であるが、過去にもなかったわけではない。
1993年の細川内閣の発足による自民党の野党への転落は、野党中心というより、自民党を離党し、日本新党を結成した細川護熙ややはり自民党離党の新生党党首羽田孜、さらにはやはり自民党出身の新党さきがけの武村正義らの旗揚げに社会、公明などが呼応したことによる。
しかし、これらの離党寝返りには、多数にあぐらをかいた自民党の腐臭漂う事態への反発と危機感があった。詳しくは語らぬが、当時、リクルート事件、金丸事件などなどの醜聞が自民党を蝕んでいた。
しかし、最近の離党寝返りには、そうした危機感によるものではなく、よらば大樹的なものが多い。旧民主党時代の幹部、細野豪志などがその代表格であるが、思想信条においての変化を跡づけることは困難だという点では今井瑠瑠と共通している。
マックス・ウェーバーは、その著書、『職業としての政治』で、「政治のために生きる」政治家と、「政治によって生きる」政治家を峻別しているが、この後者の、「政治によって生きる」ようするに、家業としての政治家が圧倒的に多くなり、それは今日の政界を支える最大のエネルギーではないかと思われる。それらの政治家たちが、その都度掛け変える新しい看板(たとえば「新しい資本主義」、「異次元の・・・・」など)は、家業継続のための看板の塗替えに過ぎない。
ところで、こうした連中に、政治の素人である私たちが立ち向かい、その要求を実現する可能性はあるのだろうか。
一番手っ取り早いのは、彼らの家業を容認し、その門下に膝まづき、忠誠を誓うなら、なにがしかのおこぼれとして、それは聞き届けられるかもしれない。そんな屈辱に耐えきれない正面突破は可能なのだろうか。革命、テロル、クーデター・・・・・・・・。
いずれにしても、現状の政界というのはそうした政治の家業化を無視しては語れないのではないか。
私は、これらの事態の解明や解決への道筋はもちあわせていない。
今回の事態で、今井瑠瑠は、ある意味、今日の政治のあり方の典型のような気がしたのであった。