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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

記録からアリバイ証明へ…写真を変えたスマホとSNSの時代

2021-02-06 14:12:20 | 書評
 大山顕『新写真論 スマホと顔(株式会社ゲンロン 2020年3月)を読了した。
 私は不勉強で意識して触れたことはないが、「写真論」というものがあって、写真とはなにか、それは私たちにとってどんな関わりを持っているのかということは結構論じられてきたようだ。例えばベンヤミンの『複製技術時代の芸術』との関連で論じられたりもしている。

                 

 かつてのそれらは、ほとんどフィルム写真を念頭に論じられてきた。しかし、今やフィルム写真は一部の好事家を除いてはほとんど姿を消したといっていい。私などはド素人のくせに結構フィルム写真で粘っていて、気づいたら回りはほとんどデジカメになっていた。
 デジタルカメラももちろん写真の大革命であったといえる。撮影は手っ取り早いし、しかもPC上の写真ソフトで誰もがトリミングから色調や鮮度の編集ができてしまう。

          
 
 しかし筆者は、デジカメはまだフィルムカメラを追いかけるものであり、ほんとうの写真の革命はスマホとSNSが普及した今世紀のものだという。
 スマホは今や圧倒的に多くの人が持ち、その多機能を駆使するのだが、電話機能と写真機能はほとんどの人が用いている。

 かつてのフィルムカメラの時代、そしてデジカメの時代も、基本的には一家に一台で、その使用権は概して家長である男性のものであった。
 しかし、今やスマホは小学生も含めて、ほぼ家族全員が所有するに至っていて、それらの各自が写真を撮る。一億総写真家の時代といっていい。

         

 しかもその写真は、かつてはファインダーを覗いて現実の風景から対象を選別し、ベストショットを狙ったのだが、スマホの写真はそうではない。液晶パネルに映し出されたそれをタッチすることによって固定化するいわばスクリーンショットなのである。しかもiPhoneの場合は、そのショットの前後何枚かが表示されるから、それら複数のうちから選択することができる。

 もうひとつの革命は自撮り機能にある。かつての写真は、撮すものと撮されるのも、撮影者と被撮影者が分離されていたが、今やそれは渾然一体となってしまった。撮される者の位置に撮す者が、撮す者の位置に撮される者がいる。

                        
 さらにそうして撮られた写真は、インスタグラムなどのSNSに投稿される。というより、投稿することが撮影の目的であり終着点なのだ。そこに掲載された写真は、「ばえる」・「ばえない」で不特定多数によって審査され、「いいね!」を多く付けられたものがいい写真ということになる。

 かつては観光地へ出かけた写真などは、思い出や記念の記録として冊子としてのアルバムに収録された。今や、アルバムに写真を貼るということ自体が廃れてしまった。写真は、思い出の記録というよりは、どこそこへ来て何々を食べたというアリバイ証明になってしまった。

         

 では、アルバムに貼られなくなった写真はどこへ行くのか。不出来な写真やすでにSNSなどに掲載し、用済みのものは削除され、ネット空間の闇のなかに姿を消す。これはと思うものはスマホやPCのなかに保存されるが、その容量の増加に従ってiCloudなどの共用のネット空間に蓄積される。そしてそれらは、不可視のAI の操作によって管理、整理され、私たちにはわからない次元で現実にフィードバックされ、私たちを方向づける作用をしているかも知れないのだ。

 これらを通読して考えさせられるのは、ふつう私たちは、私たちの欲望がテクノロジーを発展させるのだと思っている。しかし、実のところは、テクノロジーの発展が、そしてそのテクノロジーの欲望が私たちを駆り立てているのではないかということだ。
 これはまた、AI を駆使しての利便性の追求が、実のところ、AI による私たちの支配ヘ通じる可能性をも示唆している。

         
 
 作者は、建築物や構造物を専門に撮る写真家である。その写真についての考察は的確で面白いが、同時に、小分けされた一つ一つの文章は、専門家によるエッセイを読む面白さがある。
 例えば、2024年に発行予定の新五千円札の津田梅子の肖像は左右反転(フィルムカメラの時代にはこれは裏焼きといった。今は写真ソフトでそれが可能)していて、これは彼女の肖像がお札の右側にあるため、元のままだとお札の外側を向いてしまうといったことなど、なるほどと思わせる。
 私にとって衝撃だったのは、よく見慣れ、最近も同人誌でそれに触れた有名な「焼き場に立つ少年」(1945年長崎にてジョー・オダネル撮影)が、実は裏焼きで左右反転していることが2019年に判明したという事実である。もちろんそれによって写真の評価は変わらないのだが。

           
     見慣れた左の写真は実は裏焼きで右のものがオリジナルらしい

 ついでながら、鏡に写ったものを撮ると左右反転するが、自撮りの場合、液晶に表示されるものは鏡同様左右反転しているが、写真に撮るとそうではなくなる。

 著者の目の付け所はここでは書ききれないほどに多彩で広く、そのそれぞれに説得力がある。デジカメや、特にスマホで写真を撮りまくり、それをネットに載せている人たちへのお勧めの書である。

 写真は書や著者、「焼き場に立つ少年」以外は筆者による建築物や構造物の写真。


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