沖縄を車でゆくと、当然ながらここは基地、そこは基地といった具合に米軍基地に行き当たる。日本全国の米軍基地の70%がここにあるからで、その面積比は、沖縄本島の15%に至るという。
東京都全体を沖縄県とすると、その23区のうち13区が米軍基地という割合になる。
しかし、これら広大な基地も、長ったらしいフェンスで仕切られているのみで、その向こうの様子はなかなか窺えない。
そこで、嘉手納(かでな)基地を一望に収める箇所があるというのでそこへ案内してもらう。
嘉手納は野國總管という人が1605年に甘藷を中国から沖縄に持ち帰って広げたとのことで「おいものふるさと」と言われている。青木昆陽が日本にサツマイモを普及させたという史実を100年以上遡る。
「道の駅かでな」で愛嬌のある看板の写真を撮ったが、この右上にかすかに見えるフェンスの向こうはもう米軍の基地である。そして、基地が一望できる箇所というのは、この道の駅の屋上テラスのことであった。
そこへ登る。広い、とにかく広い。それはそうだろう、小さな市町村ならすっぽりと収まってしまう広さなのだから。
Wikiによれば、以下のようである。
「総面積は、約19.95km2。3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。また、在日空軍最大の基地である。滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになる。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。」
テラスから写真を撮ろうとして、2,3回シャッターを押したが、とてもその広さを実感できる映像は撮れない。そこで急遽、慣れない動画に切り替えて撮ってみる。その広さが伝わるだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=MgTUYb1Ofa0
しかし、これはこの基地の飛行場の部分に過ぎない。この映像の下側の道路左手の両側には、諸管理部門、兵舎、居住エリア、学校、教会などなどがさらに広がり、ゆうに一つの街を形成している。
道の駅を出て県道74号線を走ったが、両側がアメリカの基地であり、陸橋、地下道などが頻繁に両側を結び、その間の道路を走る私たちが、基地の中を肩をすぼめて通らせてもらっている情けない気分になる。
これだけ見ても、沖縄が過重な基地負担を強いられていることがよくわかる。それを無視し、その上にさらに負担を強いるのが辺野古であることもよくわかる。
沖縄は基地のおかげで成り立っているという俗説を信じている人たちに言いたい。それは事後的にそうさせられたのであって、先に見たように、東京都の15%が米軍基地であったとしたら、東京都民は誰一人それと関わりなく生きてゆくのだろうか。いや、ゆけるのだろうか。よく胸に手を当てて考えてほしい。