久々に映画館で観たのはペルー映画「わたしはここにいる」だ。思わせぶりなタイトルだが、ペルー音楽をめぐるドキュメンタリーだ。「音楽があるところ私たちはいる、あるいは、私たちのいるところ音楽がある」といった意味か。
一応、中年過ぎのヴァイオリニストが、自分の楽器を携え、自分の音楽の先達や音楽仲間たちを訪問する旅に出るというのが大雑把なストーリー。そのヴァイオリニストは狂言回しの役割だ。
全体の構成としては、田舎のプリミティブな音楽や歌、そしてステップから始まり、次第に都市部へ迫り、フォルクローレのようなものからいわば演歌のようなものまで、その大半が独特の演奏とスッテプを伴って歌われ舞われる。
ヴァイオリニストの回る各地域の映像もまた見ものである。農民たちの水への思い、それに応えるようにほとばしる流れの荘厳さ。彼らの音楽はまた、自然への祈りであり自然との交流でもあるのだ。
彼らの音楽は共同体の共有物であった未分化の時代、つまり、表現する者がいて、それを享受する者がいるという近代的音楽の受給以前の面影を留めている。簡単にいってしまえば音楽が商品となる以前の面影を留めているということである。「わたしはここにいる」と演じるもの、「わたしもここにいる」と応じ、集団に加わる者たち。それが呼応しあい、周辺の自然をも巻き込んで歌と舞いが響きわたる。
とはいえ、実際のところはその存続は商品化以外には考えられない。こうしてそれらが収集され、映像として記録されること自体が、エコノミーの内へと招き入れられたということでもある。もちろんそれがいいとか悪いとかいっているわけではないし、それがなければ私はそれに触れることができなかったのだ。
ペルーといえばフジモリ時代からの混迷の歴史が伝えられているが、映画にはそれらは直接には出てこない。しかし「どちらからも攻撃された」庶民の立場、去っていった者たち、帰らない者たちへの切ない思いもまた歌となる。
出だしはのんびり観たり聴いたりしていたのだが、終盤には思わず身を乗り出していた。エンディングに至った折には、ああ、もっと聴いていたいなと思っている自分がいたのだった。
■予告編 https:/
【付録】戦中生まれの私の若い頃、学生や会社、仲間内での宴会の折、私たちが車座で歌ったのは各地の民謡であり、軍歌であり、旧制高校の寮歌などであった。最後の方では酒が入ることもあって春歌に流れることが多かった。
当時はまだ、中卒の人も多かったが、一高や三高の寮歌はみんな知っていた。春歌の段階になっても女性も笑顔で参加していた。そこには、歌を介してのある種の共同体意識のようなものがあった。その可否はいうまい。
その後、カラオケの時代になるに至って、状況は一変した。カラオケは、個が誰しも表現の世界へ立ち入ることができるような一見、民主的な装置だが、歌の商品世界の末端へと人々を組織してゆくものではあるまいか。
とはいえ、私自身、機会があれば蛮声を張り上げているのだが・・・・。
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