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テロルって本当に悪いことなの? では、どうしたら?

2023-10-19 14:11:23 | 社会評論

 歴史上の出来事のなかには、その折の、指導者格にあり、元々リーダーシップをとりうる人たちではなく、思わぬ人の思わぬ行為が世の中に広い影響を及ぼした例がたびたびある。

 50年代末から岸→安倍と三代、六〇年間にわたり自民党の中枢に深く入り込み、それを支えながら、一方では人の弱みに付け込み悪徳の限りを尽くして金を集めていた旧統一教会が、今やその宗教法人としての資格を剥奪されようとしている。同時に、自民党は過去においてのこの統一教会との関わりを必死になってもみ消し、なかったことにしようとしている。
 しかし、この事態、昨年の夏以前に予測し得た人はいたろうか?そんな人はいなかった。ではどうして?・・・・これには多くの人が答えうるであろう。そうなのだ、かの山上徹也被告の安倍元首相の銃撃事件がなければ旧統一教会の悪質な犯罪行為も、それと結託した自民党中枢部との醜い関係もほとんど闇のなかにとどまり続けた可能性が大なのだ。

       

 山上被告の行為は明らかにテロルである。そして人々は言う、「テロルはよくない。ましてや人様を殺傷するなんて」と。しかし、そうした一般論にも関わらず、一方には、山上被告への非難や告発がさほどなく、少なからずの人が彼に同情的であり、なかにはあからさまに彼を支持し、罪状軽減運動すら起こっているという事実がある。なぜなんだろうか。

 日本は民主主義国家だといわれる。しかしその内実ははたしてどうであろうか。基本的人権などは入管の収容施設ではまったく無視されているし、不正規労働者の末端での生存権も怪しい限りだ。三権分位も絵に描いた餅で、行政はもちろん、司法も立法もマジョリティの意のままだ。地方分権?沖縄の民意はすべて本土の権力によって無視され踏みにじられっぱなしだ。ようするに、「民主主義のルール」とやらでものごとは解決していないばかりか形骸化した多数決のみのマジョリティによる独裁を許しているのが実情ではないのか。

       

 山上被告に、なにもテロルに頼らなくとも諭すことはカンタンだ。だがもし、彼が司法に訴える手段をとっていたら、今頃はまだどこかの地裁でノロノロ審理が続いているか、旧統一教会と自民党が結託して形成された「優秀な」弁護団によって論駁され、審理不要として裁判所の門前で追っ払われていたことだろう。
 そして旧統一教会は、安倍の政策を継承するという岸田のもとで、やはり自民中枢との結託を継続し、悩み多い善男善女からあることないことを理由にして大金を巻き上げていただろう。

 これは私のこじつけではあるまい。あの事件がなかったら、実際にいまのようにはなっていなかったことはもっとも可能性のある事実なのだ。これらの観察から、旧統一教会をここまで追い詰め、自民党を慌てさせたのは山上被告のテロルのせいであったと断言できるのではないだろうか。

 もう一度問うてみる。「テロルって本当に悪いことなの?」と。それは現状のシステムのなかで虐げられながらも、それに抗して「民主主義的」手段では救済されない人たちの最後の手段ではあるまいか。なおかつ、「テロルは悪い」という人たちは、山上氏に「ではどうすべきだったのか」を語る必要があるのではないだろうか。民主的手段によって?それはどんな手段?実際に効果はあるの?彼は救われるの?旧統一教会と自民党中枢は正当に裁かれたの?

       

 似たようなことがいま、パレスチナで起こってる。今回の事態に限れば、先に攻撃を仕掛けたのはガザ地域の中のハマスという勢力だ。それはテロ攻撃として非難されている。しかし、パレスチナの状況を、そしてガザという塀に囲まれた強制収容地域が歴史的に形成されてきた経緯を知る者にとっては、今回の襲撃は起こるべくして起こったイスラエルによる抑圧と収奪の歴史への反撃として十分理解できるものなのである。

 欧米世界は、2000年にわたるユダヤ人差別と抑圧の歴史、そのピークとしてのナチスによるホロコーストの事実を受けて、ユダヤ人にその国家を与えることにした。しかし、狡猾な欧米は、それを自らの身を削ることによってではなく、なんとイギリスの植民地であったパレスチナの地を与えたのであった。
 自分たちの土地を一方的に奪われたパレスチナの人たちやアラブの人たちは当然それに反抗する。それを欧米の軍事支援によって抑圧し続けたイスラエルは、与えられた自分たちの領土をさらにこえてパレスチナ人の土地を奪い続け、その抑圧を強化してきた。

       

 これらの事実は、20世紀中頃の世界では常識であり、周知の事柄であった。しかし、それらが既成事実化し、その経緯が忘れ去られている現在、ハマスの攻撃をもって世界の人々はガザの集団収容所的、非人道的な地区へのイスラエルの支配を今更のごとく思い起こしつつある。
 この衝突は、何らかの形で収拾されるかもしれない。しかしそれは、パレスチナの人々の、ガザ地域の人々の、イスラエルの軍事支配を脱した自由な地位の回復でもって収拾されねばならない。
 ハマスが先制攻撃を行ったのは事実である。しかし、それによって久しく忘れられていたパレスチナでの非道なありようが国際的にあからさまになったのも事実である。

 山上氏の行動とハマスのそれは、それ以外の手段でもっては、世論や国際情勢が見向きもしなかった事柄を表面化したことにおいて共通点をもっている。それらを「テロルは悪い」と切って捨てることは簡単である。しかしそれは、それ以外にものいう手段を持たない弱者、マイノリティの声を改めて抑圧することであり、抑圧し続けるマジョリティを支えることになりはしないだろうか?

 以上はテロルを勧めるためのものではない。しかし、それをもってしか自分たちの被抑圧者としての声を発することができない人たちが存在することを理解すべきだし、それがいけないとするならば、ではどうすべきかという実効的な手段を「彼らの立場に立って」思考すべきではないだろうか。


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