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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

連想からするスメタナと田中希代子のはなし

2021-01-23 18:35:13 | 音楽を聴く

 スメタナの弦楽四重奏曲第一番「我が生涯より」は悲痛な調子で始まり、それは一貫していて第四楽章に至ってピークを迎える。
 それはそうだろう。彼は五〇歳にして突如聴力を失ってしまうのだから。彼は「この作品は私の人生の思い出と、完全な失聴というカタストロフィーを描いたもの」と友人への手紙に書いている。
 この作品は、1878年にまず試演が行われ、その際には、ドボルザークがヴィオラを受けもった。一般的な初演はその翌年という。

         

 なぜ、急にこの曲が聴きたくなったかというと、ちょうど読んでいた書にあった悲劇的なシーンが、といっても、それは聴覚に関するものとはまったく関係ないのだが、ふとこの曲を連想させたからだった。

         

               お話の舞台 ナンガ・パルバット山
 
 それはヒマラヤの高峰を目指すある登山隊で、高山病のせいで不眠に陥った「彼」が、激しい嵐のなかキャンプを抜け出しそのまま行方不明になるといった話なのだが、語り手の「私」は、その折彼が見ていたものは、ホワイトアウトの吹雪ではなく、月の光を浴びて輝く頂きであり、それを目指し「彼はゆっくりと、とてもゆっくりと、裸になった峰の苦痛と悲しみと絶望の中へと歩いてゆく」のだったと想像する。「彼」は五感の失墜のなかで、まったく別の風景を見出しそこへと自分を昇華させてしまうのだ。

            

 それとスメタナがどうつながったのか、自分でもわからない。たぶん、スメタナは現実の音を失ったのだが、それに変わる心象風景を記号としての音符に載せて曲を書き続けたのではなかろうか。
 登山家の彼は五感の失墜が希望とも絶望ともつかぬままに消えてゆくのだが、スメタナは聴覚を失いながら表現すべきものをイメージとして保ち続けることが出来、それが逆境での希望として作用したのだろうと思う。

 それにしても、「彼」とスメタナを連結させてしまったのはやはり不可解である。その間にある自分にとっても不明な媒介項のようなものがきっとあるのだろう。

         

【おまけ】その後、田中希代子のピアノでベートヴェンのピアノ協奏曲第五番と第一番(岩城宏之指揮 NHK交響楽団)を聴いた。このひと、ジュネーヴ国際音楽コンクール(第14回1952年)、ロン=ティボー国際コンクール(第5回1953年)、ショパン国際ピアノコンクール(第5回1955年)の3つの国際コンクールの日本人初入賞者なのだが、30代後半に難病にかかり引退したため、活躍した期間は短い。
 このCDには個人的な思い出があるのだが、それは墓場へもってゆくとしよう。


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