六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

この奇妙なねじれは・・?

2006-10-13 17:22:27 | 社会評論
 北の核実験が問題視されている。とりわけ、その体制のありようとの関連が危機意識を一層強化しているようである。
 先の日記でも述べたが、阿倍内閣の発足に伴い、対中、対韓の問題が幾分懸念されたのだが、この実験によりそれらが吹っ飛んでしまい、対北の問題に一元化されてしまった。
 それにより、阿倍氏の歴史認識などは不問に付されたのは、氏にとっては僥倖というべきだろう。

 ところで、この核の問題には、一貫して奇妙なねじれがあるように思う。





 正義の核? きれいな核? 

 まだ私が学生の頃だから、もう半世紀近い前である。
 広島で行われた原水爆禁止世界大会というものに出たことがある。
 もちろん私は、「世界大会」の方には出られないから、国内各階層による分科会の方に出たのだった。

 その大会は荒れた大会であった。
 何で荒れたかというと、「全ての国の核実験に反対」とする一般市民や学生などの主張に対し、当時、大衆運動にかなりの勢力を誇っていたマルクス・レーニン主義を標榜する某政党(現存するももはや歴史的生命は終焉?)が、「米英の核実験は帝国主義のそれだが、ソ連(当時)のものは正義の核実験である」と主張し、ソ連の核実権は反対の対象から外すように主張して止まなかったからである。

 彼らは全国動員をかけていたから、各会場で半数近くがその勢力によって占められ、この論争は拮抗した。
 「それでも原爆は危険だろう」という指摘には、「ソ連の原爆は放射能が少なくクリーンなのだ」という詭弁まがいの返事が返ってきた。彼らの展開は、どの会場でも、どの発言者でもほぼ同じだったので、おそらく事前の学習会でオルグが徹底し、発言もマニュアル化されていたのであろう。

 こうしたこともあって、原水爆に反対するのは左翼の一方的な宣伝活動だという風評が一般化し、中間層や保守層の人で原爆に反対する意志をもつ人たちを、その運動から遠ざけていた。

 私たちは、急遽、「あらゆる国の核実験反対!」「某党の原水協支配に反対!」をかかげて広島市内をデモ行進したが、無届けだったため、あっという間に機動隊に排除された。それを、某党のメンバーたちは、「ざまー見ろ」といった面持ちで眺めていた。

 「お前らだめ」は説得力をもつか? 

 翻って、今日はどうだろうか。
 北の実験強行についてはあらゆる階層から反対の声が挙がっている。とりわけ、自民党を中心にした層からは、制裁策はむろん、先制攻撃も含めた急進的な見解すら飛び出ている。
 しかしである、彼らの口から、米英などの核実験に対する反対の声はついぞ聴かれない。
 アメリカの核実験は「ならず者国家」を征伐するための正義のためのものだというわけだ。

 かつて彼らは、原水爆禁止の運動は偏向したものとして、冷ややかに見ていたのだ。
 今、その彼らが、かつての某政党とまったく同様の偏向した核への対応を平気でしている。

 これを今持ち出すことは、当面する北の核武装の題を曖昧にしようとする意図からではない。それはそれとしてと追求すべきだと思っいるが、それにしても、「お前らだめだ」という言い分は説得力を持つだろうか。当然、「お前らだめだ」であって然るべきではないか。

 なぜ、これを強調するかというと、北の脅威ということで、アメリカの核を肯定したり、さらには、日本の核武装を推進する動きが胎動しつつあるからである。
 北の核は、それ自身責められるべきだが、それが一方での核の容認や、核の拡散の引き金になるとすれば、事態は一層危機的である。その意味でも北の責任は重い。

 正義の核、きれいな核など存在しない!

 数十年前と今日との間にある核を巡る ねじれ現象を見てきたが、核は、イデオロギーや体制の問題如何に関わらず、その存在自身が、悪であることを確認すべきである。
 「北はならず者国家であるからだめ、アメリカはそうでないから・・」という論理は成立しない。百歩譲って、そうでるとしても、これから核兵器を持とうとしている国(数カ国は見込まれている)に対しては何ら説得力を持つものではない。

 今、世界には、人類を50回以上絶滅することが出来る核兵器が存在しているという。
 いってみれば、私たちは、地球という大地の上に、核兵器という絨毯を敷き詰め、その上で日々を過ごしているのである。

 ある以上、それらはいずれは炸裂する可能性をもつ。
 そして、ないものは炸裂しようがない。
 この単純で明白な事実からして、核はなくさなければならない。


 今般の北の核実験が、一方の核を合理化したり、いわんや、わが国や周辺諸国(韓国、台湾など)でのその拡大を招くことがあってはならない。
 世界政治の戦略戦術からして、当面は北の核を封じ込めることに焦点が当てられるべきであろうが、それはあくまでも地球上からの核の一掃という動きの一環として位置づけられるべきだろうし、そうでなければ、その成果を上げることが出来ないばかりか、アゲインストとしての核拡散という動きに手を貸すことになりかねない。
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落ちていた手紙の謎?????

2006-10-11 16:47:13 | 社会評論
 以下の手紙は、最近東京に出張で出かけていた私の友人が、永田町付近で拾ったというものです。
 浅学な私は、友人から相談されても、これが誰から誰へあてたものか判別しかねるのです。従って、どこへ返済すべきかも全く分からないのですが、たぶんこれはコピーではないかとも思われますので、当事者はさほど困ってはいないのではないでしょうか。
 
 しかし、念のため、各位に披露させていただき、その処置につきましては諸賢姉、諸賢兄の判断にお任せしようと思う次第です。 


     

 
 親愛なる指導者にして偉大なる将軍 *正*閣下 御許へ

 この度は、国際世論を向こうに回し、堂々たる自己主張のご英断、立場上、表だっては表明致しかねますが、密かに敬服いたしおる者でございます。
 一般的に申しましても、指導者たる者、強い決断力と権力の行使がその必須条件であり、私も閣下のごとく完全な権力を掌握すべく、今回の人事では、各大臣とは別個に、私個人の補佐官など任命いたした次第でございます。

 思い起こせば、私めが今日の地位を得ましたのも、閣下並びのそのお父君が、わが国の臣民を拉致するといういささか乱暴な、ぁ、失礼、勇気ある行為を実行なさいましたことに関し、私めが、その臣民たちを帰国させるというポーズを一貫してとり続けた結果でございます。この件につきましては、今後ともお世話になると存じますし、然るべき時期に、全員をお返しいただければ私の立場は盤石と存じますが、それは高望みと申すものでございましょう。

 今般、こうしてお手紙差し上げますのは、他でもありません。冒頭に申し述べました核実験の件でございます。もちろん、私めも、この国際情勢下におきましてはて、閣下を非難する一員たることを免れ難いのでありますが、しかし、その心底におきましては、密かに感謝の念をもつ者であること申し上げたく存ずる次第です。

 私めの就任に際しまして、わが国の一部臣民から、私めが右寄りで、嫌中・嫌韓ではないかという危惧が表明され、それが外交面でマイナスをもたらすことが懸念されておりました。そしてなおかつ、その中国や韓国からも幾分警戒の念をもたれていたことは閣下もご存知のことと存じます。
 私どもの身内の中からも、これらをもって、私の政権は来年の参議院選挙までだと賢しらに申す者もおります。まあ、これは私の後釜を狙う連中の主観的願望だろうと存じおりますが。
 
 もっともこれは過去におきまして、私めが、例えば、「私は祖父のDNAを継ぐ」とか、貴国への「先制攻撃」を口走るなど、幾分、軽率な発言を致した結果ではありますが・・。

 従いまして、私めは、就任後、「靖国」に関しては口をつぐみ、国会答弁におきましても、無難な役人どもの作文を朗読いたしますことで、私めの真意を悟られませぬよう心がけて参りました次第であります。
 そして今回の、訪中、訪韓はそうした就任後の、いわば一次試験の最終問題のようなものでございました。要するに、中・韓の首脳の前で、私の腹が探られ、試されるという事態が予想されたのでございます。

 閣下が、核実験を実施すると高らかに宣言されましたのは、そうした矢先でございました。そして、これにより、極東の情勢は一変いたしました。
 すぐる中国との首脳会談におきましても、もっぱらそれにどう処するかが議題となした。
 そして、私めが韓国に至りました折り、閣下はそのご英断を実行へと移されました。
 それにより、東アジアに関する私めの見解、あるいは歴史認識の問題などは完全に吹っ飛んだのでございます。

 要するに私めは、閣下のご英断を境に、対中国、対韓国という図式から免れ、「対貴国の核実験」という図式のうちで、するりと中国や韓国の側に回り込むことが出来たのであります。
 いってみればこれは、先に述べました私めに課せられました第一次試験の最後のハードルが幸いにも低くなり、無事クリアーできたことを意味いたします。

 閣下のご決断は、私めにとりまして、この上ないタイミングで順風として作用いたしたのであります。本当に私は幸せ者でございます。この地位に就けましたのも、また、その第一の関門を無事通過できましたのも、全て閣下のおかげといわねばなりません。
 あまつさえ、わが臣民どもを私の支配下に結束せしめ(おかげをもちまして、私めへの支持率は70~65%といわれます)、批判的な臣民どもをしばし沈黙させることに多大な効果がございました。

 この度の閣下の適切なるご決断に深く感謝いたしますとともに、今後とも、私めの地位が危うくなりましたような折りなど、またまたその蛮行、ぁ、失礼、そのご英断により、何ごとかを画策され、私めをお救いいただきますよう、伏してお願い申し上げる次第です。

 なお、末尾にあたり、二つほどお許しを頂きたいことがございます。

 ひとつは、国際世論に従い、今後、閣下並びに貴国に対し、様々な声明や制裁措置がなされ、不本意ながら、私めやわが国も、それに名を連ねるだろうと存じますが、しかしながらそれらは、世界の現状におきまして、私めが果たすべき不可避のものとして、なにとぞご寛大にご容認いただきたいと存じます。
 わが国の臣民どもが、貴国の松茸(例えそれが中国経由であれ)を喰らい、パチンコで身ぐるみはがされて闇金融の餌食になってまで、貴国経済をを支え続けてきたことを是非ともご想起下さい。

 いまひとつは、この書状を署名なく閣下のお手元にお届けする非礼に関してです。
 現今の情勢に鑑み、これを正式な外交文書として閣下に差し上げることの困難を、必ずやご理解いただけるものと信じております。
 しかしながら、閣下への私めの謝意は十分お伝えできたものと存じます。
 
 時節柄、閣下のご健勝をお祈り申し上げます。

               
         2006年10月吉日   閣下への変わらぬ愛を


<追伸>貴国労働党創立61周年を、心よりお祝い申し上げます。
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六の時事川柳・緊急補遺

2006-10-09 17:47:16 | 川柳日記
   

   
   外交にちょいと匕首ひらめかせ

   諫めてる国も立派な保有国

   甦る悪夢日本も射程内

   核実験地球に死への爪の跡

   人類を人質にする保有国

   こちらにも核を欲しがる人がいる

   核シェルターローンを組めば買えるかな
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「空見たことか」と六の時事川柳

2006-10-08 04:11:41 | 川柳日記
 ここのところ空には縁がある。
 十五夜も、十六夜もを見た。
 おまけに、昨夕はを見た。

 月を写真に撮ることは、私の腕とカメラではとても難しい。
 まあるい玉を撮すのがやっとで、ウサギはどこにもいない。

 それでもかすかに、むら雲と戯れる月が撮れた。

   
   

   めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
         雲隠れにし夜半(よわ)の月影
               (新古今集 紫式部

 百人一首に堪能な方は、「ん?」と思われるかも知れない。
 百人一首では、この最後の部分が夜半の月かなとなっているからである。

 これを選んだといわれる藤原定家の転写間違いだろうか?それとも、定家による添削の結果であろうか?

 さて、虹の方であるが、これもまた、私のちゃちなカメラでその全体を撮ることは困難である。広角なら撮れるかも。
 そこで、下のように二枚に分けて撮った。これを真ん中ぐらいでつなぎ合わせると、虹の全体像となる。


     
          
       
 さて、この虹にも歌を添えるべきだろう。
 むら雲に触れ、たまたま藤原定家を引き合いに出したが、定家がむら雲を詠んだ歌を見つけた。なんといううまい取り合わせ。

   むら雲の絶え間の空に虹立ちて
        時雨過ぎぬるをちの山の端 (藤原定家)
 
 ネットで、「虹・和歌」で検索して見つけたもので、出典は分からない。なお、「をち」というのは「遠方、彼方」という意味である。

 というわけで、空見たことかで空に縁があったという次第。






<今週の川柳もどき> 06.10.8

 権力の行き着くオモチャ核武装
  (金さん!おやめなさい!)

 棒読みが本音かすかに滲ませる
  (新首相の答弁)

 回復が置いてきぼりにする庶民
  (いざなぎを越える好調だそうだが)

 万引きは万引き受信料は取る
  (NHK不祥事止まず)

 欲望が滑り出したら止まらない
  (スケート連盟の不正)

 内蔵の値段を決めるオークション
  (国内でも臓器売買
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光と影<1>・・・どうやって出来た?

2006-10-06 17:33:10 | 写真集
 写真は光と影の芸術だといわれる。
 もっとも私の場合、芸術写真とは無縁だから、対象に当たる微妙な光と影のバランスを美として固着せしめるなどという芸当は出来ない。

 せいぜい、もっと直接的な光と影の、明確なコントラストが面白い場面に出くわした折りなど、それを撮ることしかできない。それも今のところデジカメだから(マニュアルカメラは勉強中)、私の努力が入る余地はほとんどない。


          

 
 ところで、光と影などと簡単にいってしまうが、それはどうして生まれたのだろうか?
 「はじめに光りありき」といい、そしてそれにより影と、そしてその光そのものが生じたことは分かるが(それはおそらく在るということ、存在者の存在の始まりなのだが)、では、その光そのものはどうして生じたのだろうか。

     
           

 
 神の一撃? 光自身の自己触発?
 これは、ビッグバンとは次元の違う話である。ビッグバンは既にしてある質量を前堤にし、宇宙の成り立ちを語る仮説としての問題だが、光と影の問題は、そうした物理的現象が成立する場の問題としてそれに先行する。

 そもそも、光が生じる前は何だったのだろう。無?カオス?
 でもそれらは光が生じた後、事後的に名付けられるものではないか。無なき無。カオスなきカオス。


           

 話は幾分飛躍するが、悠久の無限にあっては、私たちの生命そのものが火花の一瞬の閃きのごときものに過ぎない。
 しかし、しその一瞬の閃きなくしては、悠久そのものがない。それは、光のない無が、もはや無ですらないのと同様である。
 
 絶対的な有限が開示する絶対的な無限。永劫回帰。


           


 
 小難しい屁理屈を付けながら並べてきた写真であるが、上の3枚については、愛知芸術文化センター12階で9月末に撮ったもの。
 
 最後の一枚は同センターの外観。これのみ4月の撮影。
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やはり相性が良いのでしょうか?

2006-10-05 17:27:10 | 川柳日記
    
       真っ直ぐに天を恋うるか曼珠沙華

 
 川柳を趣味としている。
 その川柳の先達ともいえる人から、「六さんの句は、ここに合うかも知れない」と勧められ、読売新聞の「とうかい時事川柳」というところへ投句を始めた。
 従来の朝日川柳と並行しての投句であるが、それぞれ作風を変え、二重投句にならぬように心がけている。 
 
 八月の中頃からのことである。週に一回の投句(ただし一回に3句)だから、都合6回ほど投句したのだが、なんとそれらの4回が入選し、しかも、そのうちの3回がその回の秀逸に選ばれたのだ。

 すごい確率ではないか。打率6割7分、4本のヒットのうち長打3本、イチローに勝るものである。
 正直にいって、自慢する前にいささか気味が悪いほどである。もちろんこれはフロッグに違いないが、私にここを勧めてくれた先達がいうところの、選者との相性というものもあるのかも知れない。

 そこで、それらの句を(ほとんど日記のなかで紹介済みだが)を改めて披露してみよう。

  8.17  札束をかがり火にする長良川
       (ご存知、裏金事件)
  8.29  懐かしやムネオハウスが拿捕の宿
       (ロシアに拿捕された船長らの収容先)
  9.10  厚紙によく耐えてきた薄い紙 
       (北越に仕掛けた王子製紙のTOB敗北)
  10.3  ごみ箱で足りる秘密で指は無事
       (シュレッダーの事故)   <印が秀逸句>
 
 一番最後のものは、時事性という点から見たら、すこし遅いように思われます。調べたら、私自身の投句は9月17日でした。
 なぜこんなことが起こるのかよく分かりません。しかし、入選して文句を言うのも筋違いなので、有り難く図書券を頂きます。

 まあ、この相性、いつまで続くか不明ですが、しばらくは週一の投句を続けてみるつもりです。

 それにしても、「六の詠み筋は、この選者に合っている」と指摘してくれた先達の慧眼に、敬意を表し感謝したい。

<追伸> 私と相性のいい宝くじなどあったら紹介してください。
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モーツアルトと長良川の鵜飼

2006-10-02 17:57:13 | よしなしごと
               

     札束をかがり火にする長良川

 これは愚作の川柳であるが、それはさておき(本当はそんなに簡単にさておけないのであるが)、一夕、長良川に遊び、ピークを過ぎ去った時期の鵜飼を見る機会があった。
 恥ずかしながら、岐阜に住まいしながら鵜飼というものをじっくり見たことがない。今回も、屋形船に陣取ってというのではないのだが、川沿いに作られた遊歩道から、一応、その一部始終を観ることができた。


         

 
 岐阜の古い町並みを少し歩き、川へ着いた頃にはもうすっかり日は暮れて、対岸にもやい、鵜舟を待つ屋形船ではもう宴たけなわとみえ、人々のさざめく様が川面を渡って聞こえてきた。
 それらとは別に、こちらは宴席なしの観覧のみの舟だろうか、それらが続々と集まり始めた。
 さていよいよ開始かなと上流を見やると、なにやらかがり火らしい灯りが見えるのだが、いっこうに動こうとはしない。
 川では、大型の双胴船にしつらえられた舞台付きの舟が現れ、浴衣姿の女性の手踊りが披露され、酔客のヤンヤの喝采を浴びていた。でも選曲がいまいちで、歌謡曲っぽいものばかりで幾分この場の情緒とはそぐわない。

 ところで、私が岐阜に住みながら、なぜじっくりと鵜飼を見たことがないかというと、実は今をさる半世紀前、私の高校生の頃は、見るというより日常茶飯に目撃はしていたのだ。その頃は、今よりも実際の漁に近く、現在のように場所も固定せず、今日は上流、明日は下流といった具合に場所を変えて行っていた。
 私は長良川に架かる橋を渡って通学していたので、クラブ活動などで遅くなり橋にさしかかると、下流で鵜飼が行われる日にはいやでも目に付くのであった。自転車を止め、橋の欄干から見下ろすこともあった。

 ことほどさように、鵜飼は私にとっては日常の風景だったのである。むしろ、全国からこれを見に来る人たちがいることが不思議なくらいだった。でも、いつ頃だったか、チャップリンが来たときには何となく嬉しい思いがしたものだ。

 川へ戻ろう。一通りのプレ・セレモニーが終わった頃、花火が四発揚がった。なぜ四発なのかは分からない。それと前後して、川の両岸の旅館やホテルの照明やネオンが消されたり暗くなったりした。


         


 上流のかがり火が動き始めた。一艘、また一艘と、かなりの間隔をあけながら、六艘の鵜舟が漁をしながら通り過ぎる。舞い上がる篝火の火の粉、鵜を勇気づけるために船頭が船端を叩くダンダンダンという音、ホウホウというかけ声が川面に響き渡る。
 やはり、ただで見るところからは詳細は見えない。しかし、鵜匠が操る紐や、その先あたりで鵜がぴょこんと潜るのが見える。鵜匠が船端へ鵜を引き上げるのも見えた。鵜が魚を獲ったかどうかこちらからは分からなかったが、近くの屋形船から拍手がおこったところを見ると、やはり獲ったのであろう。

 六艘が下り終わると、そのうちの何艘かがまた上流に戻り、再び演じてみせる。そして最後がいわゆる総がらみという最大の見せ場である。遊覧船が川の両岸に張り付くようにして待機する。
 その間を、六艘の鵜舟が舳先を揃え、鵜を操りながら下るのだ。これは圧巻である。川幅一杯に篝火が映える。鵜が躍動する。
 そして・・、そう、その後は芭蕉翁に任せよう。
     
     おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな



         




 実はこの日は、昼間、ハーゲン四重奏団のモーツアルト・チクルスのコンサート(岐阜サラマンカホール)に行き、その足で長良川へ向かったのだった。
 和洋折衷も良いところだ。でも、どちらも楽しかった。

 気が付くと、川面を渡る風が一段と涼しさを増していた。
 かくて私の九月は終わった。

 *これは9月30日の体験です。写真は岐阜市の観光案内からです。
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美しい国・ニッポンと六の時事川柳

2006-10-01 17:53:38 | 川柳日記
 さあ、今週も我らが「美しい国ニッポンチャチャチャ」を見渡してみましょう。ぁ、そうそう、ついでに世界もちょっとだけね。

 
     岐阜ってこんな平和そうな街なのに・・

 
 美しい国ニッポンが照れている
  (そんなに連呼されると・・)

 復党にチルドレンらは使い捨て
  (郵政反対派復党の兆し)
 
 詐欺師から資金集めて大臣に 
  (松岡農水相、出資法違反者から献金)

 知事会は悪代官の揃い踏み
  (前会長、岐阜梶原は裏金
   副会長、福島佐藤は収賄

 退職金手放すまいとしがみつく
 家屋敷売って返済当たり前
  (岐阜の前知事

 石頭たしなめられた品川区
  (代理出産児受け入れ拒否に高裁判決)

 法廷で袂を分かつヒルズ族
  (堀江氏と宮内氏)

 フセインに政権返す方がまし
  (死者増加、24時間外出禁止)

 アメリカもソ連や北を真似ている
  (テロ容疑者に強制収容所
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いろんなものを愛したい!

2006-10-01 05:19:02 | よしなしごと
 

 昨日とは違う若い友人へのコメントです。

>***さん

 私は、***さんや他の誰かが、愛国心や愛郷心を持つことにけっして反対はしません。
 例え、反対したってそれは無意味ですよね。
 なぜなら、それは個人の内面の問題だからです。

 諸個人が何を愛し、愛さないかを法で強制することが問題だと思うのです。そうした強制さえなければ、それぞれ多様なものを愛する人たちが共存できます。

 変な例ですが、クラシックとロックを愛する人がいるとします。ここに何の強制もなければ二人は共存出来ます。「オイ、たまにはロックも聴いてみろよ」とか、「お前こそそんなにクラシックを毛嫌いするなよ」といいながらです。

 しかし、法が、「これを愛せよ」と決めてしまうと、それを愛さない人は「非国民」となり、両者の間には乗り越えがたい溝、というより敵対関係が生じます。国がクラシックを愛せよといえば、ロックを愛する人たちは「非国民」になってしまうのです。
 だから、ロックも、クラシックも許される世の中が良いのです。

 なぜ、音楽の例を挙げたかというと、戦前は、西洋音楽は原則として禁止されました。ですから、例えばチャイコフスキーの「白鳥の湖」なんかをレコードで聴いていると、町内にチクルのがいて警官がとんできます。

 「貴様、この非常時に敵性音楽とは許せん!」というわけです。ところが、これら警官はその敵性音楽には無知ですから、「いいえ、これはベートーベンです」というと、「それならいい、だけど誤解されるようなことはするな」といって帰っていったというのです。

 なぜ、ベートーベンが良いかというと日独は同盟国だったからです。ちなみにこれは実話です。

<photo src="692085:2177223425">


 ***さん、私は個々人がどのような思想をもち、何を考えるかを規制することに反対しているのです。
 私も自分の郷土や伝統や文化を愛しています。たぶん、無責任なことを書き散らすネットウヨといわれる人たちよりもはるかにこの郷土を愛していると思います。

 だからこそ、この文化をはぐくんだ多様性のようなもの、大陸文化や西洋文化を摂取し、咀嚼し、独自なものにしてきたこの多様な文化を、何か一元的なものに収斂し、その他を排除するようなことがあってはならないのです。

 私たちが生活している多様性を限定しようとする動きに私は反対します。その多様性こそが、そして異文化との交流こそが、私たちに新しいものをもたらすと思うからです。

 ***さん、さいごに一言正直に言います。愛郷心は当然としても、愛国心には幾分の抵抗を感じます。
 というのは、私たちが当面している国民国家は、単に郷土の延長ではなく、新たに作られたものだからです。
 日本に関していえば、明治維新を起点とした近代国家は、明らかにそれまでの伝統とは切断されています。
 それは諸外国の進出に備えるというやむをえない状況もあったのでしょうが、その時点でむしろそれまでの伝統をかなぐり捨てているのです。

 早い話が、天皇制の位置づけも、それまでとは全く違うものとなり、むしろそれまでは、文化的象徴であったものが、血なまぐさいレアルポリティクスの世界に引きずり出されたのです。

 その意味では、私は、天皇家の人々も歴史の命運にもてあそばされたと思っています。

 ***さん  容易に結論づけることは出来ませんが、私たちがこの郷土を本当に愛するとしたら、それはひとつの方向付けのみを選択し、それを強要することによってその他を排除すべきではないと思うのです。
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