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昨日は勢いで、長次郎の楽茶碗「ムキ栗」は枡では?と書きましたが、夜、(杯で)お酒を飲んでいてふと思い直したのは、
Q.1:その頃、枡って一般的なものだったのかなぁ?
Q.2:そもそも枡でお酒を飲んでいたのかなぁ?
うーん、枡は確かにあったけど、あくまで容量を計るもので、お酒を飲むものではなかった、ということに落ち着きそうです。
ただ、それではそこで話が終わってしまうので、「古い枡」ってどの時代にまで遡るのか、少し調べてみました。
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枡と言えば「度量衡」。歴史の授業では、中国・唐の制度に倣った大宝律令で「度量衡」は定められた、と習いました。
大宝律令ですから8世紀初頭、です。
一つ二つ一杯、くらい昔の話ですね。
では実際にモノは残っているのか。
文化庁の「文化遺産オンライン」を見ると、室町時代の枡が出ていました。
こちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/e5/312e65aa1be15befed3b90954e6f9cd5.jpg)
「高野枡」と呼ばれている、和歌山県かつらぎ町の宝蔵寺に伝来するもので、応永三年(1396年!)八月という刻銘があるそうです。
当時の年貢収納枡・荘園枡であったらしく、国宝にも指定されているそうです。
他にもありましよ。
これ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/90/207ea772c586b218fa28f914641270aa.jpg)
「法隆寺枡」というらしい。こちらも同じく室町時代のもので、これまた国宝らしい。
(「国宝」の基準ってどういうものなのでしょうね)。
大阪城の発掘調査でも枡が出たらしい。
こちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/99/496b7ac4988d195e1f230e213162f158.jpg)
太閤検地をおこなった時に、年貢米などを量るための基準の枡とした京枡、だそうです。
「きのとのとり」というは干支の刻印があるらしく、この時期だと天正十三年=1585年で、上の2つからは200年くらい新しいものということになります。
などと調べていたら、大阪は松原市のホームページの「日本最古級の桝の出土」というものにぶつかりました。
こちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/76/66b6b95c7e1b116f29c7cbf6371bfd19.jpg)
写真はちょっと見づらいですが、説明は充実?しています。
昭和58年、国道西側の分譲住宅の建設に伴う調査でも、掘立柱建物2棟・井戸4基・溝6条が見つかりました。
(略)ここの曲物井戸のひとつから、12世紀後半の平安末期と考えられる、わが国で現存する最古の桝が出土したのです。
桝は、縦・横とも外径17cmで、深さは9cmを測ります。材質は檜か杉とみられ、板の厚さは4~5mmで、ほぼ完全な形のままで取り出されました。
(略)容積は2178立方センチ(約1升2合)を量ります。
高見の里遺跡でこの桝が見つかるまで、和歌山県かつらぎ町の宝蔵寺で発見された室町時代の「応永3年(1396)8月」銘のある1升桝が最も古いとされていました。
出土した桝は、これよりも200年も古いものだったのです。
すごいですね。平安末期です。今から800年以上も前です。
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