きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ゆずではなくコブクロの曲

2004-11-03 | 母子家庭だから思うこと
昨日、また図面を大量に焼いていると、nanuさんが鼻歌を歌いながら、コーヒーを飲みに来たのだった。

彼が鼻歌を歌っているのは毎度のことなのだが、今日の鼻歌は何の歌だかさっぱり判らなかったので、「その曲は何の曲ですか?」と挨拶代わりに突っ込んでみた。すると、よくぞ訊いてくれた!と言わんばかりに

「この曲はゆずの新曲なんだよ。すっごくいいから。もう結婚式で歌うような曲。俺はこれを聞いて前のカミサンの事を思い出して泣けてきたよ。もう、とにかくいいから聴いてみな。お前も同じように元旦那を思い出して泣けてくるから。」

って、言われたって、私が歌ごときで元旦那を思い出して涙するなんてあり得ないでしょうが。周りの離婚してサバサバ生きている女友達が、元旦那を思い出してセンチメンタルに涙するのも、ちょっと考えられない。
普通は考えるとしても元旦那よりも今の彼じゃないのか、私だったら今晩のメニューの方がよっぽど重要だ。

もちろん、離婚当初は別である。私も泣いた。
(昨日も似たようなこと書いたけど)
うんと泣いた。
でも、泣き止んで歩き出す時にはもう振り切る。
辛いから悲しいから意識的に忘れようと断ち切って、忘れた時には本当に忘れているのだ。

意識的に忘れるためには儀式が必要だ。
それが髪を切る事だったり、離婚届を出す事だったり、今までの彼が写っている写真を全部処分したりする事だったりする。
もう二度と思い出すまい、と心に決める。

そして、気がついたら(昨日のコンビニのように)、本当に忘れているのだ。「あぁ、小学校の図工で何の絵を書いたっけ」と言う次元の記憶でしか残らないのだ。
例え、そのゆずの歌とか言うものがどんなに素晴らしい歌であっても、(素晴らしい歌なら尚更)それを元旦那と一緒に連想してウンタラと言う事はあり得ない。

彼の場合は、どうやら違うようである。
離婚は決して楽しいものでは無かったがあえて記憶を封印する必要もなく、時々箱の蓋を開けて中から取り出しチューインガムのようにくちゃくちゃ思い出に浸っているような気配がする。
しかも、今は同棲している彼女も居るのに。きっとその彼女の前でも、こうして平気でそういう昔話をベラベラ喋っているに違いない。

この違いは男女差なのだろうか。それとも離婚の仕方なのだろうか。
ちなみに彼は元奥さんとは何年も会っていない、息子とも会っていない。元奥さんがもう交流を持つのを拒んだと言う話である。したがって養育費も払っていないそうだ。

全く二度と会えない元家族だからこそ、こうして思い出せるのか。
養育費が終わって、二度とこれっきりになった時に、あれらとこれらは私にとってみんな過去の思い出に変わるのだろうか。

しかし、そこまで言われると、そのゆずの新曲とやらも気になる。
いや、ゆずじゃなくて、くずだったったかな?
タイトルも教えてもらったけれど、もう忘れてしまった。


P.S どうも先ほど調べた所、ゆずではなくコブクロの「永遠とともに」と言う歌みたいです。この前にここを読まれた方にはどうも失礼致しました。