きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ギョーザを作る

2006-10-15 | 父の記録と母の思い出
ギョウザを作る。

kekeは今日夜は友達と出かけた。夕飯は要らないかも・・・しかし、豚ひき肉を昨日買ってしまった手前、こうして作るのである。(しかも昼はゴロゴロしていたので、こうして残った宿題のように夜作るハメになった)

何故、豚ひき肉を買ってしまったかと言うと、ニラが半分一週間冷蔵庫に入っていて、何かしなくては、と思ったのである。こうしてギョーザの種を作ってから「チヂミという手もあったな」と思ったが、もう遅かったのである。

うちのギョーザはシイタケが刻んで入っているのがポイントである。これは母の真似だ。母の味付けのレシピは分からない。若い頃は親が嫌いだったし、その後は子育てと母子家庭でてんやわんやしているうちに亡くなってしまった。
母のギョーザはあと中身がパンパンに詰まっているのが特徴だったが、あれが未だにできない。中身を詰めすぎると決まって破れてしまうし、中身が少なければ簡単にきれいに包めるけれど、皮の比率が多いと食べた時に満足感が減る。この30枚入りのギョーザの皮で配分が満足な分量で作れるのは2~3個なのである。


kekeが小さい頃でまだ結婚してた頃、両親が家にやってきた。
それで一度私がギョーザを作って出した時があったのだが、この時実は中が生焼きだったようで、翌日私は腹を壊した。で、翌日母に電話してみると「やっぱり・・見てて焼く時間が少ないかな?と思ったんだよ」と言う返事がかえってきた。
(あれほど口やかましかった母だが、私が子供を産んだ途端に人が変わったように私の意志を尊重するように変貌したのである。でも、これは言ってくれても良かったのでは・・?)

それ以降、私はギョーザはしつこいほど(ギョーザの3/4くらいまで)水を入れて蒸す習慣になってしまったのである。これは子供にも不評だが、トラウマになってしまったのである。それで皮がふやけてしまって、余計皮の比率が多くてへなったギョウザになるのだろうか。

書いているうちに、そんな気がしてきた。これからは水をもう少し少なくして焼いてみよう。

自分一人だったら、二度とこうしてギョウザを作ることはないかもしれない。100円で10個位入っているギョーザの方が安上がりのような気もする。
それでも作るのは、何となく私の頭に「ギョーザは家で作るもの」と言う感覚=母のギョーザのイメージがあるからなのだろう。

それから、食べてくれる人がいるから、作るんだなぁ。
ギョーザに限らず、一人になったらカレーとラーメン、チャーハン以外は作らないかもしれない。
kekeが部屋に引きこもるようになってから、TVもほんとに見なくなったし、買い物、料理、歌と本聞いたり読んだり・・・これで買い物と料理が無くなっちゃったら、どうなるんだろう。。。(怖)

TVと言えば、滅多に見ない私がドラマ「たったひとつの恋」を見た。
姪の好きなカメナシと言う人が出てたのと、純愛に浸りたかったから。
初回はふぅ~んって感じだったけど、ちょうどいい所で終わってしまったので、また次回も覚えていたら見たいと思う。ヒロイン役の綾瀬はるかって子がすごくカワイイんで(あと顎が細過ぎて)ビックリしたのと、カメナシの母親役の人の「ハイハイ、ここに夕飯おいとくから勝手に食べて」みたいないい加減なノリが自分と似てて客観的に見て恥ずかしくなった。

亀梨クンって今、すごく人気がある子だよね?
やっぱり世代の違いなのかなぁ~私はもうちょっと温かみのある感じの子の方が好きだけどね・・・(ああ言う役柄だからそう見えるのかな)。今度姪に会ったら、あの子のどういう所がいいのか尋ねてみよう。


ギョーザ作りもドラマも、一人になったら淋しくてやってられないかも。(弱気)
せいぜい今のうちに味わっておこう。。。