きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ボーナスの日

2007-12-08 | 前の会社
今日はボーナスが支給される。

今度の会社は現金で社長自ら社員を一人一人呼んで手渡しするのである。
IさんとK女史は休みを取っているので、いない。
MTさんが社長を話をしている間、私はYさんと二人きりだった。

Yさんは相変わらずIさんへの愚痴をブースカ言っているので、「もう!こんな所でブツブツ言ってないで社長でも本人にでも直接言えばいいじゃないですか!」と言うと、Yさんは深刻モードで耳打ちしてきた。

「アイツ・・捨てたのよ。奥さんの写真を・・産廃(産業廃棄物)と混ぜて大量に・・。結婚式の写真とかあったらしい。」
「はぁ・・そうなんですか。」(K女史も面倒なので初めて聞いたフリをしたと言っていたので、私もそう言う素振りをしている)
「奥さんもかわいそうに・・・きっと今まで悩んだと思うよ~・・・」
「はぁ。。。まぁねぇ。」

と、例のごとく義理とナサケと寂しい影のYさん劇場に入っていくのだった。

「たった一人で、親と同居で嫁入りしてきてさぁ・・。」
「はぁ・・・。でも、子供がいないし若いし、まだこれから新しい人生がきっと・・」
「アレじゃぁなぁ・・離婚してるのかこれからなのかは知らないが。。。」←人の話は聞いていないようだ。
「はぁ・・・その写真を見つけたのはYさん?」
「オレじゃなくて、職人のSさんだよ・・・あまりにもヒドイって言うんで、Sさんがそっと人目につかないように燃やしたらしい。それを知ったら奥さんどう思うだろうなぁ・・・。」
「はぁ・・・そうでしたか。。(ーー;)」

私はこうして、仕方なくハアハア相槌をうつのだが、このような時に必ず頭に浮かぶ事は、目の前にいるこのワタクシも同じように元夫から捨てられたのだが、なぜ身近な男どもは「sakeさんもかわいそう」だとは思わないのだろうか。
そして、Yさんはその離婚がIさんの不貞と再婚のためだと知ったら何と思うのであろうか。

私も写真は捨てた。
燃えるゴミで大量に処分した。
でも、あれは悲しくて悲しくて、こんな写真があったら自分はもう前向きに進むことができない!と思って、泣きながら夜中に処分したのだ。当時はkekeが小学生だったから、kekeが寝てからこっそり真夜中に泣きながら捨てた。
そして、スカスカになってしまったアルバムを、これじゃkekeに将来見せられないと思って、また全部新しいアルバムに詰め替えたのだ。本当にあれは死体を処理するような息がつまる作業だった。(大袈裟かもしれないが)

そして、今となってはアレだけはやっておいて良かったと、心から思う。
(前にもブログに同じような事を書いた記憶があるが)
直感したとおり、あの時でなければあんな作業はできなかったし、あれをしなかったら今でもkekeの写真を手に取る事はできなかった。

でも、同じ「捨てる」でもIさんの産廃とはやっぱり違うだろう。
最近思うのは、人は傷ついたもん勝ちなのかもしれない。同じ別れなら傷ついた方の勝ち。
それまで素直に真剣に生きてきたから傷つくのだ。傷つくのは恥かしいことじゃない。正直に生きてきた証拠だと。

傷つける人はそれを認めようとしない。
必ず相手のせいにしたり、傷つけたことを賢いと勘違いして自慢したり、イイ気になってたりする。そして、いつかそれによりしっぺ返しを喰らうのだ。「そう言う人だったから」なのだ。

だから私は素直に傷つく方を選ぶ。
ありのままに生きて、笑う奴は笑えばいい。
そいつは人を笑い、人の上に居なければ生きていけない奴なのだ。

私はそいつの弱さにほくそ笑む。