きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

乾杯お嬢さん

2010-09-17 | 歌謡曲・カラオケ
ひと雨降ったら秋らしくなった。

♪秋の日暮れ~センチメンタル~恋の気分
 街の色も淡いベージュに変わりました~♪

と自然に口に出るのはピンク・レディーの『乾杯お嬢さん』と言う曲である。

・・・と言っても知ってる人はいないかなぁ。。。


これはデビュー曲『ペッパー警部』とどちらをA面にするかで対立したと言う噂もある。
当時通っていた小学校では給食の時間に生徒のリクエストで音楽を流すのだが、毎日のように『ペッパー警部』と『乾杯お嬢さん』と『S.O.S』と『ピンクの林檎』が交互に流れていた。
(ピンクの林檎は『S.O.S』のB面ソングである)

私はと言えば、今と同様、ほとんど流行りものに関心が無く、(今、全くTVドラマを知らないのと同じで)ピンクレディーなるものを見た事が無いと言う状態であった。そしてそれを何とも思っていなかったのである。
この曲が流れる中、何の関心も持たずに、給食のパンと牛乳だけをもぐもぐ食べていた。(好き嫌いが多すぎて惣菜はほとんど食べれなかったのだ。)

そして、中学に上がる辺りで、ピンクレディーは『カルメン'77』をリリースし『渚のシンドバッド』はクラス中の女の子が口を合わせて歌う中でも何の事だかさっぱり分からず、その魅力も理解できずに、その当時名前ばかりの親友(と言うことになっていた)女友達にバカにされながら、空中をさまようように過ごす。

しかし、次の『ウォンテッド(指名手配)』になって、転機が訪れる。
隣の席に座っていた男がミーちゃんの大ファンで、寝ても覚めてもミーちゃんを夢見ている子だったのである。彼はピンクレディーのしたじきを使っていたのだが、たまに数学の時間にコンパスの針をミーちゃんの顔に刺してしまって、大騒ぎをしていた。

そしてある日、その男がまた大騒ぎをしていた。ピンクレディーの新曲が出たのだと言う。

ある時アラブの大富豪、とか言っているのだが、何のことだかサッパリわからず「???」としていると、「ウォンテッド」を知らねぇのか?と言うので、「何の事だか分からない」と言うと、「渚のシンドバッドは知ってるか?」とか「何とか(と言うピンクレディが出てる番組)は見ないのか?」と言うので、親が他の番組を見てるから見てない、と言うと、「えぇぇぇえええー信じられない」と驚いて、ウォンテッドを貸してやるから一度聴いてみろ、と言う。

私は曲を聴くと言うことより、【sakeが男の子からレコードを借りてきた】と言う一大センセーショナルな事件で母親が舞い上がって大騒ぎするのが目に見えていたので、イヤダイヤダと何度も断ったのだが、「一度聴いてみろ」とその男は絶対に引き下がらない。

仕方なく借りて、こっそり家のプレーヤーで聴いてみることになった。おそるおそる針を落しながら・・・・。

それが私のピンクレディの出会いなのである。
ピンクレディと言うより歌謡曲との出会いでもある。


それとは別に当時、親友と言う名前ばかりの女友達と時々歌のしりとりをするのだが、私はいつもアニメソングばかり歌っているので、(我が家の茶の間は子供用アニメは掛けるのを許されたのでアニソンばかりになってしまっていた)いつもバカにされていた。

私は当時「歌のしりとりノート」と言うのを作っていて、それはアから始まる歌からズラズラ書いてあるのだがアニソンばかりだったので、彼女はここから既にバカにしていた。
そして、キャンディーズとか百恵や岩崎宏美じゃないのか、と怒り気味に言った。

そんな事もいろいろ重なり、ピンク・レディーはその後『UFO』をリリース、その後に今までのA面B面ベストアルバムを出す。
私はそれまで、親にも先生にも女友達にも何の意思も伝えないまま、人から言われるままにぼんやりさまよっているような子だったのだが、父親に「車の中でピンクレディとキャンディーズの曲が聴きたい」と言うのである。
父はホイホイ喜んで、さっそくベストアルバムを買ってくれた。

それから私は次々と曲を覚え、振付を覚え、「1人でもカラオケ」女になり、現在に至る。

その中のベストアルバムの最後の曲(だと思って調べたら実際は最後から2番目の曲だった)が『乾杯お嬢さん』なのである。

この曲は後半部で歌のパートが分かれるのだが、どっちかがつられて同じ音になってしまうような微妙な分かれ方ではなく、歌い出しから分かれるので「分かれた感」が満たされて、ハモるには持ってこいの歌である。

よく妹と歌った懐かしい歌だ。




ちなみに私はウォンテッドを貸してくれた男の子が好きだったんだな。。。
ほんとは。