きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

YKさんのオネガイの電話

2006-10-21 | その前の会社
またYKさんからオネガイの電話がきた。
またワードで文書を作ってほしいのだそうだ。

それが連日だったので、私はついに怒ってしまった。そして彼は私のその態度が不満だったそうで、北澤に即効わざわざ電話してまで愚痴ったそうである。(詳しくはここに記述)

もうsakeさんには頼みたくない!とまで言った彼・・・。しかし、YKさんは電話口でこう言うのだった。
「もう、sakeさんしか頼める人がいないんだよぉ。。。」(そりゃそうだ、他の人間はそれぞれ現場があるんだから、人のワード文書なんて頼めないだろう)
「あぁ、今日は時間もあるし大丈夫ですよ。FAXで送ってください。作っておきますから。」

YKさんは安心したのか「オレだとこれは3時間くらい掛かっちゃうけど、sakeさんなら30分でできるから。」と言って、「なにしろオレは社長の息子よりパソコンできないからなぁ、アハハ」と哀しく笑った。
(詳しく解説すると、その先日社長にギャースカ怒られた時に、『お前よりオレの小学1年の息子の方がパソコンできるよ』と社長にYKさんは笑われたのである。)

そして、電話を切って2分くらいすると、ピロピロピロとFAXが送られてきた。
今回のは学校の緊急連絡網のように、大き目の四角が幾つもあって、その中に字を入れて四角同士を結ばねばならない書類であった。

たしかに・・・・・。
これはYKさんでは3時間掛かるかもしれない。と言うよりも、誰かがそばで教えてあげねば作り上げる事ができないだろう。


はぁ。。。。

私はやるのがイヤな訳ではない。
「もうsakeさんには頼みたくない!!」と言いながら、翌日には「他に頼む人がいないんだよぉ~」と言わざるを得ないYKさん。

悔しくはないの?

これが逆上がりだったら、私も同じかぁ。。。。
でも、これ逆上がりじゃないよ?
簡単なワード文書だよ?
これからずっと一般の社会人が使うワードだよ?
この件はこれでいいよ、でも、これから社会人として生きていく上で、これでいいの?

でも私は、もう彼には怒るまいと心に誓った。
できるだけ協力するし、本当にできない時は冷たく断る。
訊かれれば、できるだけ親切に教えようと思う。

でも、彼がその後どうなろうと、私は知らん。



【写真】
広告のチラシがあまりにも美味しそうなので、kekeに「お寿司食べに行かない?」と誘った。kekeは一瞬目を輝かせたが、「やっぱ、いいや」と言った。
たらふく食べてから自転車でチンタラ帰ってくるのが面倒だし、別にスーパーの刺身とご飯で充分だそうだ。
「そうだね・・」と私も返事した。

父の介護サービスの続き

2006-10-20 | 父の記録と母の思い出
いよいよ父のデイサービスも始まった。

こんなのがあるのよ、と妹が見せてくれたのはデイケアの連絡帳。その日にやった事柄や、父の様子が簡単に書いてある。例えば、「今日オムツに便がついていたようですが、これからは私達でトイレの声掛けをした方がいいでしょうか。」なんて事まで書かれてあった。(お断りが書かれているのは、その家庭によって方針が違うからか?)妹はもちろん「そうして頂けると助かります。よろしくお願いします。」なんて返事を書いていた。

「へぇ~!ほんとに幼稚園みたいだね~」
「そうなのよ。」

そして妹によると、父の生活パターンも規則正しくなってきたようだ。
ケアマネさんのアドバイスでは、朝起こす時も、「もう起きる時間よ」ではなくて、「もうすぐ(デイケアの)○○さんが迎えに来るよ~」って言う具合にした方がいいそうである。

なるほど~そうかぁ・・・これなんかは、老人だけでなく幼児や子供にも応用できるかもしれない。
カレンダーを見ると、父のデイサービスの予定は週の半分を埋め尽くし、それから通院もある。それが父も楽しいようで「最近はオレも忙しいからな」と言っているそうだ。

それから週1でヘルパーさんも家に来る事に。それは1時間いらして、家族の指示で簡単な片付けやらをしていただくとのこと。
最初は妹も、やって頂くのが申し訳なくて、ヘルパーさんと一緒に父の部屋を片付けたそうだ。しかし、ヘルパーさんの方から「お父さんは穏やかな方なので、二人きりの方が(おだてながら)一緒に片付けできるかもしれませんね。」と言われたそうである。

父はやはり、妹とヘルパーさんとでは態度が違うらしく、普段幾ら言ってもやらない事も、ヘルパーさんと一緒だとできるらしい。そして部屋の簡単な片付けや簡単な買い物などの父の能力を退化させないようにしたいとの方針だとか。

ショートステイ(泊まり)サービスも仮予約を入れているが、これから医師の診断書や家族の面接が必要らしい。

「それで、その診断書に痰の検査があって、病院で先生の前では痰が今出ます、なんて言って結局出なくて痰は宿題になったのよ。」
「あらぁ~」

そして、するかもしれないショートステイだが、妹の気がかりは父が夜、急に何故ここに居るのか思い出せなかったり、寂しがったりしないかと言う事。(そこらの気遣いも園児のようだが)
ケアマネさん曰く、その点はプロだから、様子を見ながら声を掛けたりしてくれるとの話である。その施設は昼はデイサービスも行っているので、そちらに参加してもいいし、ロビーでくつろいでも良いし、それも様子を見ながら声を掛けてくださるとの話であったそうだ。

「へぇ~いたれり尽くせりなんだねぇ~(^o^)丿」と私は楽観的に喜んでしまうのだが、妹自身は「これがずっと続けばいいんだけど」と決して安心しきってはいないようである。

ともあれ、こうして父の新しい生活パターンが始まるのであった。

先生から嫌われても

2006-10-19 | 父の記録と母の思い出
みのさんの「朝ズバ」で教師のイジメ問題を取り上げたら、ぞくぞく便りやメールが届いているらしい。「実はうちの子もこう言う目に遭いました」と言う内容のものである。


そう言われて思い出すのは、私の何年もの学生生活の中で一人だけイジメとまでは言わないけれど、それに近い担任がいたことだ。小学生の時で出産から戻ってきたばかりの担任だった。

当時の私は、保育園のお残りゲロによるイジメから、徐々に人権を取り戻しつつある時代であった。しかし、相変わらず私の感情はもわぁ~んとした暗いヴェールに包まれて、喜怒哀楽のないまま小学校で楽しい記憶が無いのであった。

ある日何がきっかけだったかは分からんが、担任がクラス全員に怒って説教を始めた。そして、それがどう言うわけか、私が呼び捨てで怒られたのである。
これがあまりに唐突で、何故自分が吊るし上げられたのか、良く分からないままなのであった。しかし、私がドキッとしたのは、その時の担任のポーズである。

その時、その担任は教壇机に頬づえをついて、小指を動かしていた。それは私が親によく怒られる普段の変な手癖だったのである。

「この人、私を意識(=嫌って)している!!」

私はそれから、自分は担任から嫌われているのではないか、と言う疑いを持ち始めた。そして、幾つかそれが怪しまれるような出来事があったのだが、それはもう覚えていない。そしてそんな事があっても、私は相変わらずもわ~んと感情が無いまま仕方なく学校に行っている状態を続けていた。

しかし、ここで極めつけな事件が起こった。
それは忘れもしない、最後のクラスのお別れ会をするに班決めをすることになった時のこと。担任が「それではみんなで自由に好きな人と班を作りましょう~」と言って、みんなは席から立ち上がり、あちこちでグループを作ったのである。

そして私は、と言うと、その時「一緒に班になろう」と言ってくれたのが、これはこれは男の子も女の子も私が好きなイイ友達ばかりで、(と言うのもあのゲロ時代以来、私をからかう自覚ないバカが地雷のように幾つかクラスに居たのである)私は本当にハッピーで、この班だったらきっと楽しい出し物ができるに違いない!と確信した。

そして、たまたま運悪くその時に担任と視線が合ってしまった。
すると、どうなったか。
彼女は私が楽しそうにしているのを見るや睨むと、手を叩いて、こう言ったのである。

「ハイハイ、やはり班作りは先生が決めます!みんな席に戻って!」

この瞬間、間違いなく「自分は担任に嫌われている!」と確信をもって、私は背筋が凍るほどゾッとしたのであった。

しかし、私にとってすごくラッキーだったのは、これがもう3学期の終わり・・つまりもうすぐクラス替えだったと言うことだった。
この事はショックだったけれど、私は誰にも言えなかったし、ただ学校にさえ行って我慢すればいいや、と思った。そして、当時の座右の銘【まさか命までは取られまい】と心でつぶやいたのである。(この座右の銘は、鉄棒や跳び箱やマット運動の時間の前に特に威力を発揮するのである)

しかし、謎は残った。
私は後にも先にも、給食ゲロ以外は先生に嫌われるような問題行動は起こさない子であった。授業中も騒がないし、普段もふざけないし、言われた事はちゃんとするし、勉強ができた。活発ではないから好かれもしなかったが、人畜無害タイプ・・・先生からは一番扱いやすい・・・特別目の敵にされるような子ではなかったのである。この後も私は先生から好かれる事はあっても嫌われる事は二度となかった。
私はこの件を思い出すたびに恐ろしいやら不思議やらで、最後に「きっと、あの人は育児ノイローゼだったんだろう」と結論付けるのであった。


      ・・・・・・

そして、その謎が解明するのは、なんとその20数年後・・・
母と酒を飲んでいる時に、母が私に「お前、○年生の○○先生に酷い目にあっただろう、ごめんね」と懺悔したのであった。

「え!!なんでその事を知ってるの?!」
「そりゃ、分かるよ。お前の通信簿を見れば。あの先生の時だけ成績がめちゃくちゃだったからね、おばあちゃんと言ってたんだよ。これは絶対におかしい、って。あれはお母さんのせいなんだよ。」
「え!!なんで?」

で、母の説明によると、最初の保護者会の最後に「それでは他に何かありますか?何でもいいですよ。」と担任が言ったので、母が手をあげ、「漢字練習の時に筆順も学校で教えて欲しい」と申し出たそうだ。(と言うのも、わが母は家で子供に習字を教えていたのだ)

「それで・・あの先生はお前にひどくあたったんだよ。あんな成績じゃ、きっと普段も嫌な事があったろう。」
「・・・・あぁ・・いろいろね。。。でも、そうだったんだ・・・ずっと疑問だった謎が解けてほっとしたよ。」
「何でもいいから言ってくださいって言ったから、言っただけなのに。あれでお母さんは思ったんだよ、子供は人質だって。お前もkekeの先生にでしゃばった事をしてはいけないよ。」
「あぁ、もちろん分かってるよ。あの後、あの先生、交通事故に起こしたんだよね、お母さんとおばあちゃんが喋っているのを聞いちゃったんだ。それで天罰だと思ったんだよ~w」
「そうだよ~すごく(教員らしからぬ)派手な豹柄のシャツ着てたんだって。」
そう言って、親子で笑った。

私は理由がわかって、本当に嬉しかった。
だって、それは私自身が原因ではなかったから。

先生から嫌われても、私が悪いわけではなかったから。

YKさんをどうにかしてよ。。

2006-10-18 | その前の会社
昨日、BR社長がYKさんを電話でギャーギャー怒っていた。

その様子は
「だからタスクトレイには何がいるの?タスクトレイって何だか分からない?画面の左端のスタートの隣!そこに何が居る?はぁあ?窓が出てきたって言っても見なきゃ分からないでしょ!だぁから~!!」

と言う感じであった。
そして、ギャースカ怒った後に電話を切って、BRさんは「sakeさん、アイツどうにかして。」と言うので、「エクセルの行の挿入ができない人に現場事務所のプリンターの接続はムリだと思いますよ。」と答えた。
そして、心の中でBRさんの言い方にも問題アリだよなぁ~と他人事のように思った。

「そうじゃない、アイツは覚えようとすらしない。何故だかオレには分かっている。パソコンを覚えればそこから又、仕事が増えるからだ!だからアイツは覚えようとすらしない。関心さえ持たない!」

「いやぁ・・そこまでは・・」と言いかけたが、また怒りの矛先がこちらに向くと困るので、私も一緒になって「できないからで終わってますからね。」と軽く陰口に同意してしまうのであった。(これもひとつのイジメの構図か?)

まぁね。。。。
あの人(YKさん)の場合、天然記念モノぐらいパソコンできないから。
まず、作った文書を「場所を指定して」保存する事ができないから、私がいつもマイドキュからサーバーにドラッグしてあげているのである。(その度にこうするんだと教えているつもりだが、やはりsakeさぁ~んと呼ばれてしまうのだった)
エクセルの罫線のココを消すのはどうするの?とか、毎回そう言うレベルだから、教えるよりも自分でやってしまった方が早いのである。

でも、得手不得手もあるからなぁ~・・・私も逆上がりしろって言われても、今まで一度もできないし。やる気ないし。

と思って、私は今までその点では一切怒らず好意に対応しているつもりで、ここまで来た。(但し手取り足取り教えようと言う親切心もない。)

それが昨日の話だったのだが、今日、たまたまFAXの前を通り過ぎるとプリントが来ていたので、読んでみた。すると「sakeさんへ」と書かれたYKさんからのFAXだった。

イヤな予感がして、その先を読むと「これこれの場所に入っている(ワード)文書を直してください。」と書いてあった。その内容は、書類の名前を直すだの、個数を直すだの、ごくごく簡単な2~3分でできるような内容だった。が、それが逆にカチン!と来てしまったのだ。

何これ、とブツブツ言っている所にYKさんから「sakeさん、それオネガイね」の電話が来たから、逆切れしてしまった。
(今、思えばこのタイミングが逆で電話のオネガイが先だったら、気持も違ったのだと思う)

「YKさん、現場にパソコンがあるのに、どうしていちいちオネガイなんですか?」
「だから、オレも忙しいのよ。今日中に仕上げてメールで送らないとならないの。」
「だったら、社長に言って早くそちらでメールができる環境にしてください。毎回こんな事ばかりできません。だいたいそれは現場の仕事でしょ?!私も暇じゃないんです!(←うそ)」

・・・なんて怒ってしまったけど、YKさんにアウトルックを使えと言うのはムリかぁ~・・・・(+_+)でも、毎回やってられないよね。。。

私も「どうにかして」と誰かに言いたい。。。
が、BRさんと一緒になって怒るのはやめようと反省しました。


【写真】
うまくできたブリの照り焼き。
これは料亭みたいにおいしかったですよ~


    ・・・・そして、本文の続き・・・・P.S

この後YKさんはこの事を北澤に電話で愚痴ったそうです。
「もう、sakeさんに怒られたから、仕事頼むのイヤになった」んだって!何、その言い方・・むかつく。

しかも5時に事務所に帰ってきて、私が修正して送っておきましたよ~って言ったら、「今日中だったらそんなに早くなくてもよかったのに」って。だったら5時に戻ってくるのなら、人に頼まないで自分でやればいいじゃん!!それも「sakeさん、BR社長に似てきたね」とか言って、それも(態度には出さなかったけど)何気にむかついた。

男のクセに後輩に愚痴るんじゃないよ!みんな筒ヌケ

親にするふくれっ面

2006-10-17 | 息子keke
最近、私とkekeは親子と言うよりも下宿人に近い存在になっている。

kekeは学校が終わると、寝たい時に寝て、眠くないと起きていて、起きている合間に食べたくなると食べている。私は要領が悪いせいか、仕事を終えて買い物してご飯を作り終えると8時になってしまいkekeは寝てたりして、それで起こさないまま(何故起こさないのかと言い訳すると、ここで中途半端に起こすとまた3時だの4時だのまで寝ようとしないで、睡眠不足になるのではないかと思うからである)夜中に目覚めて、夕飯の残りを適当におかずにして勝手に食べていたりする。

これでいいのかなぁ~と思いながら、そんなだらしない生活が最近続いている。TVでこの状態を「ある母子家庭の生活実態」と放映したら、きっと惨憺たるナレーションがつくであろう。

でも、私から言わせれば、kekeは今の所無遅刻無欠席で登校しているし、そのボーダーラインが守られている以上、他の誰かが「矯正」するのはおこがましいような気がするのである。

なんて言って、今のこの生活がいつかシッペ返しになる時が来るかもしれない。そのうち(誰かさんのように)朝起きれなくて仕事に行けなくなる日が来るかもしれない。そしたら、私の今日こうしている事は全て否定され、悪い母親の見本として罪の十字架を背負うかもしれない。

でも、いずれにしても、もはや私がkekeのこの生活態度を改めさせるのは不可能である。遅刻や欠勤や薬物のような問題なら、まだ徹底的に争う事はできる。それは私自身が嫌いで自分にも許さないことだから。
しかし、仕事以外は、好きな時に目覚めて、好きなものを飲んで、好きな時に寝ている私が「お前、何時に寝なきゃダメだろ!」とは言えない。せいぜい「もうちょっと早く寝たら早く起きれるじゃないの?」と言うのが関の山で、それが彼に受け入れられないのなら仕方ないのである。

そんな私も昨日は会社から帰っても、まだkekeが起きていたので久しぶりに家族で夕食にしようと思い立ち、冷蔵庫のものを端から出して温めた。この前作って残ったギョーザ、余って冷凍保存してたお好み焼き、昨日残ったプルコギと鍋もの・・・・。
片端からチンするだけだから早い。6時半で食卓が準備できた。

さぁ~今日は一緒に食べよう~、と言う所で「あ!」と気付く。
ビールがないのである。
ギョーザにお好み焼きにプルコギ。。。これでビールが無いなんて。。。

その時kekeは、と言うとひっくり返っていた。
なぜなら、(おそらく)親と一緒に食べるのがうざい上に、もはやマンネリ化した食べたばかりのメニューばかりだったからである。
私はこのポーズを見た瞬間に、「やっぱビールを優先しよう!」と思い立ち、スーパーに向かった。そして取ってつけたように「ビール買ってくるけど、他に何か買ってこようか?」とkekeに尋ねた。
そして、「先に食べてていいよ」と言って出て行った。

kekeも親と食べるのがうざいだろうが、私もそんな顔を見ながら食べる事が決して楽しくはないのだった。そして、それを私は否定はしない。自分も高校時代親が嫌いだったし、高校時代に親と夕飯を食べて楽しかった記憶が無いし、一人で気ままに夜を過ごしていた方が楽しかったから(かと言って一人暮らしは絶対に寂しかっただろうが)。どうして私に、kekeが親を嫌うのを辞めさせる権利があるのだろう?
そして、冬期限定発売のビールが目に飛び込んだので、それを買って帰った。

すると、kekeはまだ夕飯を食べずにいたのであった。仕方なくふくれっ面をしながら、一緒に囲む食卓なのだった。
あぁ、そうか、この子は私が嫌いなのではなくて、親にふくれっ面をするのが好きなのかもしれない。

そして私も当時、親が嫌いなのではなくて、親にふくれっ面するのが好きだったのかもしれない。
そう言えば、そうだったかもしれない。

下宿人じゃなくて、やっぱり親子なのかなぁ?
手の込んだものはできなくても、これからは夕飯は早く仕上げてみよう。

今日も鳥肉、朝のうちに漬け汁にちゃんと漬け込んでおけばよかったなぁ・・・・。この行き当たりばったりの食事の支度にも反省だなぁ。


【写真】
プルコギ。調味料も自分で整えようとしたけれど、土壇場で自信がなくて、クックドゥーを使いました。野菜を蒸しすぎて水っぽくなっちゃってます。

記憶力の衰え自慢

2006-10-16 | 健康とか病院とか
蛍光灯が切れたので、買いに行った。「たしかここにしまっておいたのになぁ~」と押入れの一番奥を探したが出てこなかったので、しぶしぶ出かけた。
2パック幾らの方が安かったので、それを買った。
切れた蛍光灯は輪の形の二連モノで、下のヒモを引っ張ると
・両方ともつく
・下だけつく
・くらい明かりでつく
・消える
の4タイプになるオーソドックスなものである。
そして、私は(ここで読み書きする事はあまり無いし)電気代がもったいないから、両方じゃなくて下だけをつけるようにしていた。その下の蛍光灯が切れてしまったのである。

既に2パック幾らのを買ってきてしまったが、まてよ?これは下の蛍光灯だけ切れているんだよね?もしかして上と下を交換するだけで、電気はつくんじゃないか?と思い立ち、やってみたら見事に蛍光灯はつきだしたのである。

「なぁ~んだ、蛍光灯買わないでも済んだんだ、しまっとこう」と思って、今度は間違いないように押入れの隅にその蛍光灯をしまうことにした。・・・・そしたら、前に買った蛍光灯がここから出てきたのであった。(しかも同じく2パック入りだった)

最近、この手のエピソードがほんとに多い。

午後の紅茶もこの前開けたつもりが冷蔵庫に入ってないので、「あれ?もう飲んじゃったっけ?」と思って、1週間くらい「お~いお茶」を開けて飲んでいた。そして、それも終盤に近づき又午後の紅茶が飲みたいと思って、買い置きしてある棚から取り出して飲もうとすると、もうフタが空いてて(つまり飲み掛けで冷蔵庫にしまうべきものを)ここにしまっていたのだった。

4つパックのヨーグルトもこの前全部食べたつもりが、数日後ひょこっと1個冷蔵庫に転がっているのを発見した。(これは嬉しい物忘れ)

そんな私は記憶術回復練習として買い物の際、だいたい買わねばならない切れてしまってるモノを「アレとソレとコレで全部で○つ!」と言う風に数字とともに頭に焼き付けて、わざとメモをとらずにスーパーに行くことにしたのだが・・・最後の1つ2つ思い出すのにすごく時間が掛かったり、ついには諦めることもしばしば・・・。あれだけ脳裏に焼き付けても忘れるのが何ともはや。

ここで白髪もまたドドッと増えた気がする。目立つのが10日くらい早くなった。
早くも今年はもうヒザが痛くなり始めていて、サポーターを探した。(しかし、しばらくサポーターをしていると痛みも取れるようである、それとも本格的に始まるのはこれからなのかな?)

年なのかなぁ。。。。秋が身にしみる。



【写真】
圧力鍋も買ったはいいが、カレーとミートソースくらいしか使われてない。これはスパゲティをゆでている光景だが、もちろん圧力は利用していない。。。気のせいかこの鍋だとお湯が早く沸くような気がする。

ギョーザを作る

2006-10-15 | 父の記録と母の思い出
ギョウザを作る。

kekeは今日夜は友達と出かけた。夕飯は要らないかも・・・しかし、豚ひき肉を昨日買ってしまった手前、こうして作るのである。(しかも昼はゴロゴロしていたので、こうして残った宿題のように夜作るハメになった)

何故、豚ひき肉を買ってしまったかと言うと、ニラが半分一週間冷蔵庫に入っていて、何かしなくては、と思ったのである。こうしてギョーザの種を作ってから「チヂミという手もあったな」と思ったが、もう遅かったのである。

うちのギョーザはシイタケが刻んで入っているのがポイントである。これは母の真似だ。母の味付けのレシピは分からない。若い頃は親が嫌いだったし、その後は子育てと母子家庭でてんやわんやしているうちに亡くなってしまった。
母のギョーザはあと中身がパンパンに詰まっているのが特徴だったが、あれが未だにできない。中身を詰めすぎると決まって破れてしまうし、中身が少なければ簡単にきれいに包めるけれど、皮の比率が多いと食べた時に満足感が減る。この30枚入りのギョーザの皮で配分が満足な分量で作れるのは2~3個なのである。


kekeが小さい頃でまだ結婚してた頃、両親が家にやってきた。
それで一度私がギョーザを作って出した時があったのだが、この時実は中が生焼きだったようで、翌日私は腹を壊した。で、翌日母に電話してみると「やっぱり・・見てて焼く時間が少ないかな?と思ったんだよ」と言う返事がかえってきた。
(あれほど口やかましかった母だが、私が子供を産んだ途端に人が変わったように私の意志を尊重するように変貌したのである。でも、これは言ってくれても良かったのでは・・?)

それ以降、私はギョーザはしつこいほど(ギョーザの3/4くらいまで)水を入れて蒸す習慣になってしまったのである。これは子供にも不評だが、トラウマになってしまったのである。それで皮がふやけてしまって、余計皮の比率が多くてへなったギョウザになるのだろうか。

書いているうちに、そんな気がしてきた。これからは水をもう少し少なくして焼いてみよう。

自分一人だったら、二度とこうしてギョウザを作ることはないかもしれない。100円で10個位入っているギョーザの方が安上がりのような気もする。
それでも作るのは、何となく私の頭に「ギョーザは家で作るもの」と言う感覚=母のギョーザのイメージがあるからなのだろう。

それから、食べてくれる人がいるから、作るんだなぁ。
ギョーザに限らず、一人になったらカレーとラーメン、チャーハン以外は作らないかもしれない。
kekeが部屋に引きこもるようになってから、TVもほんとに見なくなったし、買い物、料理、歌と本聞いたり読んだり・・・これで買い物と料理が無くなっちゃったら、どうなるんだろう。。。(怖)

TVと言えば、滅多に見ない私がドラマ「たったひとつの恋」を見た。
姪の好きなカメナシと言う人が出てたのと、純愛に浸りたかったから。
初回はふぅ~んって感じだったけど、ちょうどいい所で終わってしまったので、また次回も覚えていたら見たいと思う。ヒロイン役の綾瀬はるかって子がすごくカワイイんで(あと顎が細過ぎて)ビックリしたのと、カメナシの母親役の人の「ハイハイ、ここに夕飯おいとくから勝手に食べて」みたいないい加減なノリが自分と似てて客観的に見て恥ずかしくなった。

亀梨クンって今、すごく人気がある子だよね?
やっぱり世代の違いなのかなぁ~私はもうちょっと温かみのある感じの子の方が好きだけどね・・・(ああ言う役柄だからそう見えるのかな)。今度姪に会ったら、あの子のどういう所がいいのか尋ねてみよう。


ギョーザ作りもドラマも、一人になったら淋しくてやってられないかも。(弱気)
せいぜい今のうちに味わっておこう。。。


受け攻め度チェック

2006-10-14 | 占いのいろいろ
昨日は仕事も暇だったので、ネットを眺めてた。

元は、と言えば「会食拒否症」を検索してみたことから始まるのだが・・・・

どこでどう言う訳だか、漫画本の紹介コーナーに行ってしまったようである。そのコーナーでは漫画のあらすじ紹介に盛んに登場人物の名前の後に(受け)(攻め)と言う言葉が書いてあるので、この受け攻めって言うのは何だろう??と思って、ネットで調べてみた。

どうやら、私が入り込んでしまった漫画本の紹介コーナーは美少年同士の恋愛モノだったようだ。それで「受け」と言うのは女性的(分かりやすく書くとマゾ)で「攻め」と言うのは男性的な方らしい。美少年カップルも攻め役と受け役があるのだ。ちなみに「リバ」って言うのは、相手によって攻めも受けもできるキャラのようだ。

へぇ~~~◎◎

たしかに高校時代にそう言う美少年モノが好きな友達が2人いて(その二人同士は知り合いではない、たまたま二人を私が知っていただけ)、その手の雑誌の発売日を楽しみにしていて、へぇ~変わっているなぁと思って聞いていたりはしていたものだが、今はそれが一つの立派な文化になっているようだ。

それで調べているうちに辿りついたのが、これ

★受け攻め度チェック★

である。(回答にはちょっと卑猥な言葉があるので注意。)
ただ、誕生日と血液型を入力するだけなので、これに科学的根拠があるとは思えないのだが、自分のバースディなんぞを入れてみる。。
ふーん。

それで、私は暇だったので、またまた年末調整ファイルを取り出して、うちの会社の人のバースディを端から入力していくのであった。。。
(これは【普段の性格】と【夜の性格】について書かれている。もちろん夜の方は当たっているかどうかはサッパリ分からないが)

最初だけはへぇーとかほぉーとか読んでいたが、だんだん読んでいるうちに気持悪くなってきた。。。。
そりゃそうだよ。これは美少年の受け攻めチェックなんだから・・・。
(皆さんもそこらの人で同じ事をやってみれば気持悪くなった心情が理解できると思います)

私って、つくづくアホだねぇ。。。。
それも一人で何やってる?・・・・

ちなみにうちの会社は一人を除いて、みんな「受け」らしい。(オエっ)


【写真】
前から気になっていた「髪の美容液」なるものを買ってみました。
最近パサパサでとても気になっていたのです。
すごく悩んだ結果、いかにも髪が復旧しそうなコレに。
これはセロハンをはがすと容器も再利用できそうです。ガラス容器でちょっとおしゃれです。

会食拒否症

2006-10-13 | 息子keke
最近、『会食拒否症』と言う言葉があるそうです。

分かる分かる、私も中高校時代は人と食事ができなかったもの。何か「枕が替わると眠れない」のと同じように場所が変わると緊張して、気持悪くなって食事ができないんですよ。(なのに学校の昼休みに食べる弁当は平気だったりします)

その顕著たるものが、「修学旅行」。。。
2泊3日白米を一口か二口食べるのが精一杯で、後は部屋でお菓子くらいしか食べれませんでした。家に帰ると2キロくらい痩せてました。そのうち2泊や3泊程度なら食べなくても平気だって言うのが分かったんで、お膳を下げる時恥ずかしい以外は平気になりました。

何でこうなったのか、理由がもしもどこかにあるとしたら、保育園時代のスパルタ教育だったと思います。とにかく給食が食べれないと食べれるまで解放されないのです。オルガンに座らされてずっとお盆を見ていました。それで最後に先生に無理矢理嫌いなニンジンとか口に突っ込まれて、ゲロしていたので、みんなからイジメられ嫌われ者だったし、最悪でした。

しかし、あの「食べ終わるまでそこに座らせる」と言う軟禁教育は一体なんだったんだろう?
でも、今でもあるんですよね。あれ。
kekeも幼稚園時代も、小学1年の時もやられちまいました。

最初に変だなぁ?と思ったのが、幼稚園の運動会で家族でお弁当を広げた瞬間に、kekeが吐きそうになってるんです。自分の経験からピン!ときたんで、後日先生に尋ねた所、やはり食べ終えるまでは友達と遊べないと言う話。
自分もこれこれこうだったから、と言ったんだけど、園の方針とか言うばかりでさ。自分のように吐いて友達にイジメられちゃたまらないと、それから弁当は好きな焼きソバを弁当のそこに薄く敷く状態にしました。弁当箱自体すごく小さいから、焼きソバ20本くらいですかね、こっちは空腹よりムリに食べさせられる方が恐怖だって言う事です。

小学1年の時の担任の先生もこの方針で、いつまで経ってもkekeだけ学校から帰ってこない理由が、食べ終わるまで下校できないって事でした。雨が降ってきたんで、傘を持って迎えに行ったら、案の定kekeが泣きながらお盆を下げている姿が見えましたよ。。。

この時も「自分がこれこれこうだったから」と説明したけど、全然ダメで「こんな事を許していたら修学旅行で全然食べれないような児童になりますよ、今多いんですから。」って。
だから、「私もそうだったんです、矯正されて治る問題ではありません」って言いたかったけど、言えませんでした。(うぅ)

離婚してこっちに来てからは、給食トラブルもなく平和な日が続きましたが、小学3年くらいから、kekeが外食するたびにすぐに気分悪くなるようになってしまいました。
それも気持は判ったんで、「私もそうだから、そのうち治るよ」と言って自分が毎日保育園でゲロっていた事も白状しました。。。。kekeもとにかく少ししか食べられないし、そう言う時に人が食べるのを見るだけで吐きそうになるから、妹や爺さんと食事する時も、気分悪くなると一人だけ玄関のベンチ座らせたり・・そんな感じでした。

あの時は「この子これからどうなるんだろう~?」と思ったけれど、今は普通に友達とも食事できているようです。いやもしかしたら、できてないのかもしれないけれど、うまい事ごまかしてトラブルなく過ごしているようです。
たまに父や妹達と食事をする時も、見た感じ普通に食べてます。あーよかった。見た目さえ普通なら、食べてようが居まいが構いません。腹が減ったら家で一人で食べれればいいんだから。

私は『会食拒否』と言う病気だと思わない方がいいんじゃないかと思うんですけどね。それは病気でも特別な事でも何でもないと。それから、そう言う人はこの世にたくさん居て、自分だけじゃないって言う事。
周りの人間が配慮するべきで、本人はそんなに悩んだり気にすることはないと思うんです。

寝るとか食べるとか、本当に必要になったら体が求めてくるんだから、食べたくなるまでじっと待っていればいいんじゃないかと思うんです。
「あぁ、ちょっと自分は人と食べるのが苦手なんだよね」くらいでいいじゃないですか。それをどうにかしなきゃと思うから、ますます食べれなくなっちゃう。
どんなに頑なに緊張しても、極限状態になればどんな物でも食べれるようになると、たぶん思いますから。

私がこの状態を脱けだしたのは、奇しくも親が飲ませたアルコール類。あの勢いで食べれるようになったんです。
とにかく親が酒強いので、ハタチくらいの時は親に隠れてトイレでゲロゲロ吐いていて、「あぁ、気持悪ければトイレでこうやって吐けばいいんだわ」と開き直ってきた辺りから大丈夫になりました。

でも、未だに「飲め」「食べろ」と言われると条件反射で気分悪くなります。どんどんお酒をつがれちゃうのも追い詰められた心境になっちゃってダメです。
そんな時はこれからは「私、会食拒否症ですから」とか「外食障害なんです」と、上手く言葉を使って乗り切りたい(?)と思っておりますが・・・・

それって一般的に分かってもらえることなのかな?



【写真】
歯医者でたまたま読んだ絵本。
感動してウルウルしてしまいました。
他にも同じシリーズの絵本があって、どれも感動ものでした。

♪養育費入った♪

2006-10-12 | 母子家庭だから思うこと
今日の午前中に養育費が入った事がわかった。

安心はしたけれど、まだ怒りが収まらない。
お陰で離婚した当時のことをまたフルコースで思い出してしまったからだ。

今月に入って、もう4回催促した。それも私はただがむしゃらに「入れろ!」と言っているわけではない。
最初は「まだ入ってないけど、いつになる?」って尋ねて、いついつって言われてから、「今日約束の日だけど、大丈夫だよね?」とか「(約束した日だけど)まだ入ってないけど?」って言う言い方をしてて、4回になった。
それも一度も怒ってない。あくまで穏やかに(憎んでいるから、ぶっきらぼうかもしれないが)話しているつもりだったのが、とうとうブチッと堪忍袋の緒が切れたわけだ。

そして、ヤツの離婚の時の態度と来たら・・・・

双方の親の前で、「仕方が無いから今まで夫婦で居た」みたいな態度をしやがって。私は一度でも「結婚してくれ」と頼んだか?頼んでないだろう。「堕ろしてくれ」とも言われてないし、自分から籍入れたくせに、あんな言われ方されて、思い出すだけでゲロゲロする。

同じように言われて、昔の日記を掘り出して「アナタはこの時こうだった」と証明させた友達が居たっけ。ほんとだよ、日記はつけておくものだ。私は証拠が無くてグーの音も出なかったがな。

あの親の前で恥をかかせられたあの日のことは、こう言う度に思い出す。(人前であんな事実婉曲した事をでかい態度で言われて悔しかったと言ったらありゃしない)あんなにエラそうな事言って人を責めても、自分は公正証書の約束さえ守れないんじゃないか。
くそー、双方の親の前で、今のヤツのだらしなさを首根っこ捕まえて、「こうでこうでこうでした!!お義母さん、私の言っている事違ってます?!」と言ってやりたい。あの日と同じように。そしたら、少しは気もおさまるだろうか。

と言っても、うちの親はボケちゃって、義理母も無抵抗だし、もはや意味無い。やはり金で取り立てるしか術は無いのである。

やはり、養育費は銀行ローンを組んで離婚時に前納で払ってもらいたい。でも、担保がなきゃ銀行も貸さないかぁ~どこまで行っても無責任男がのさばるように世の中はうまくできてるのぉ。。。

あぁ、結婚するなら金持ちに限る。


【写真】
会社で誰も食べなかった八橋・・・見た目が黒いけどゴマ味で甘味もほどよく、美味しかったです。^^;