きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

あさりちゃん丸かじりガイドブック

2013-07-09 | 読んだ本

あさりちゃん丸かじりガイドブックを読む。

たしか私はこの漫画を読んでいた事がある。
どこで読んだのだろう?
ピアノの先生のうちに、コミックがあったのだろうか。
それとも、妹が「小学○年生」みたいな漫画をまだ父から買ってもらっていたのだろうか。

私の小学生時代の旬の漫画ではないような気がする。
でも、何故かこの漫画を知っている。コマの絵もところどころ覚えていて、どうも4~5巻辺りまでは、欠かさず読んでいたようである。

「読んでも思い出せないかもしれない。。」と思いながらも手に取って借りてみた。
どうやらあさりちゃんは、まだ90巻以上になりながら続いているらしい。

それからもう一つ驚いたのは、あさりちゃんはあれから更にかわいくなっているようだ。
今では自分のことを「あさちゃん」と呼んでいるらしい。

ガハハハと男並みに豪快に笑う所や、何を押しのけても目標を射止める辺りは単細胞的なのだけど、時々シュンと言う表情を見せたり、キュッってなるような可愛さがあるんだよね。あさりちゃんには。^^
私はそう言うところがとても好きなのです。

でもキャラ的には、あさりちゃん→妹で、私は姉のタタミ(勉強はできるけどどこか意地悪な姉)なんだろうな。
くそーーー
どうして、姉っていつも損な役割なんだろう。
どこのマンガでも、シンデレラでも、姉が意地悪で、妹がいい子ってパターンが多い。

私はそれから「トムとジェリー」というアニメも好きだった。

そして、トムとジェリーが追いかけっこするたびに、自分がジェリーとはどうしても思えず、「やっぱり私がトムで妹がジェリーなんだろうな」と思ってしまう。あの要領の良さとか、ご主人様からの可愛がられ様といい、ジェリーは妹なのである。

好きで選んで先に生まれたわけではないのに、姉と言うだけでろくなことがない。
宿題だって毎年妹の方が量が少ない。ラクチンに見える。
服だって、ちっともボロボロには見えないのに「いつもお古でかわいそう」と言われるのは妹だったっけ。
(かわいそうと言われることがうらやましい。)

それで、うちの親はなぜか、同じものをいつも色違いやガラ違いで買ってくるのである。
そして、赤やピンクは妹で、私は青か黄色だった。
言わなかったけど、私はいつも赤やピンクの方がほしかったよ、女の子だもん。
ガラだって、バナナよりイチゴが着たかったよ。
でも、親からみると、私は青だったのだろう。(抗議すればよかった。。)


今から思えばどうでもいいことなんだけど、あさりちゃんを読んでいたら、そんなことを思い出した。
そして、せめて今から、マイハートの中だけでもあさりちゃんのようにカワユクいよう。


そんな折、昨日はピカッゴロゴロと夕方になって雷がなった。
雨も降った。

Aさんと電話していたら、すごく雷の落ちる音がして、私はギャァと驚いた。
Aさんは「こう言う雷雨はすぐに止んじゃうよ。」と言う。

そうではないのだ。
私は電話が終ってから、雨がおさまるのをしばし待ち、おさまったと見るや、サンダルをつっかけて、タタタタとスーパーに急いだ。
こう言う時は大量に半額値札の弁当が残ってるはずだからである。

案の定、サンドイッチもあるし、ウナギ寿司、のり巻きとうどんのセット・・・。
どんどんカゴに入れて、レジで金を払って「ハハハハ、明日の昼までこれで大丈夫」と交番の前を通って帰っていった。

何気にあさりちゃん風なのだ。

暑さでだらける一日

2013-07-08 | 巷の話題
昨日は1日中家に居て、本を読んでいた。

ツレと私の『たいへんだ!』育児/細川貂々さん

赤ちゃんの頃って大変で心配だったことしか覚えてないけど、そういえば毎日新しい発見や、新しいカワユサがあったよな。歯が生えてこない時期もかわいかったし、前歯だけ生えてきた頃もかわいかったし、小学生になって歯が抜けた頃もかわいかった。

昼になってkekeが「何か食べるものない~?」と言って来た時、ちょうどいいところだったので、そばをゆでるだけ、かき揚げを買ってきてもらった。

アッコにおまかせを見ていたら、安藤ミキちゃんの話題になっていた。
好意的な言われ方に(私には)感じられなかったので、驚いた。

「なんで今さら公表したんでしょうねぇ?」

私は保育園や学校に上がるにつれ、いつまでも隠し通せるものではないし、そしてスキャンダルみたいにあること無いこと言われるよりも、信頼できる場所で自分で公表したかったんだろうな、と勝手に思っていた。産む前にあれこれ言われると、精神的に参ってお腹の赤ちゃんまでもが影響されそうでイヤだから、今まで黙っていたんだろうな、とも思っていた。
相手の男に「養育費払え」と言うわけでもないし(言ってもよいと思うけど)、オリンピックも出たくても出れるとは限らない。これから思うにいかないこともあるだろう。
でも自分で育てると決めたのだ。


それからは、たかぎなおこさんの本を4冊読む。
こちらも漫画エッセーである。
1人暮らしのエピソードや、海外で働く日本女性の話である。


kekeが「暑いから扇風機を出したい」と言ってきた。

あぁほんとに暑い。
「あるけど、ここなんだよ。」と私は戸棚を指さす。
本来なら、でかいビニール袋をかけて、どっかの隅っこに放置してあるだけの扇風機が、去年秋に思いっきり部屋を掃除したのだな、その時にバラして戸棚にしまいこんでしまったのだ。

去年の10月に何を血迷ったか突如部屋を片付けた。
要らないと思われるものをどんどん捨てた。
冬物はまだ良かった。要らないかどうか判断しかねたのだ。

夏物は「もういいだろう」「買えばいいだろう」と思ってどんどん捨てた。
だから家で着る服が無い。
もともとボロ着だから良いのだけど、ボロになるまで着るほど重宝していたのだ。
扇風機もだから、バラしてしまいこんだ。

暑くてもうそれを組み立てる気がしない。
「ここにあるからやってくれ。」と言うと、説明書がないと分からないといい、「そんな幾つもないんだから、分かるよ」と言うが、たしかにはめる順番を忘れている。どうして説明書を一緒にしておかないのだとkeke怒る。説明書を探す。

夕方近くに、kekeは寝始める。
「これから夕飯作るって言うのに」と思ったが、自分も今日はさっき昼寝していたのだ。何も言えない。

家にある粉でピザを焼き、あんかけ焼きそばを炒めた。
最近使っている砂糖はグラニュー糖である。
kekeがいつしかチョコレートケーキを焼こうとして買ってきた。結局焼かなかったんだけど。
その時の粉とグラニュー糖がもったいなくて使っているのだ。

あんかけ焼きそばにグラニュー糖はどうかなぁと思って、少なめにした。
でも私の舌では違いが分からないようだ。

1人晩酌。
よく考えたら今日のkekeとの会話はこの二つだけ。
私、一日何をしてたんだろう。

父の味覚

2013-07-07 | 父の記録と母の思い出
今日の父も食事があまり進まないようだ。

行ったのが遅かったので、食べ残っていたのは、とろみのついたお茶とトマトの大根おろしあえ、それからみかんゼリーだ。
今日は目は開いていたけれど、開いただけであまり認識できていない様子。
私の顔を見ることも無いし、話しても返事をすることもない。

お茶はツツーっと、スプーンからよく吸い込む。
お茶を何回か飲ませて気を楽にしたところで、トマトおろしを食べさせるけど、やはり固形物はなかなか飲み込まない。いつまでも咀嚼が終らない。口も開かない。

ゼリーを食べさせてみると、こちらはおいしいようで、口を開けるのだが、それではトマトと思うと、口を閉ざす。唇を開けようともしない。

よーく観察してみると、閉じた唇についたわずかな汁で、ゼリーかトマトかを判別し、お茶やゼリーだと、ツツーっと吸い込むのである。
ここでわずかに味覚(触覚かな)や意思があるのだなぁと思う。

でも考えてみれば、味覚って「これは食べてよいものなのか・悪いものなのか」を判断する能力だ。食べること=生きることに必要な能力だから、最後の最後まで残るのだろうか。


この状態が「介護5」という最高ランクだそうだ。
この状態を家で看るということがあるのだろうか。

もう食事もまともに取れない。お茶とゼリーしか食べない。
ここではプロの介護士さんが、一生懸命食べさせてくれるけれど。。。家で自分ではとてもじゃないが、食べさせられない。

このままお茶とゼリーで衰弱してしまったら、家族は殺人の罪に問われるのだろうか。
それとも救急車でも呼ぶのだろうか。
でもどの段階で?そしてそのあとは?
たまたま父はこうして、面倒を看てもらえる場所があったけれども。。。

そんな余計なことまで考えてしまった。

あれから1年(その2)

2013-07-06 | 日記
この1年「小さいできごとに感謝する」ことで、心安らかに暮らせるようになった、と言う話を書いてみたが、その続編である。

もう一つのポイントは「人に求めない」こと。
これはなかなか大きいポイントだと思う。

他人に求めない、他人に期待しない、と言うことをスパッとやってみる。
最初はなかなかうまくいかない。
大なり小なりうまくいかないと他人のせいにすることが、心底身についているからである。

「くそ~まったく、あのヤロウ面白くねぇ」と思った時点で、「うっ!またもや他人に期待をかけてしまった、いかん、いかん。」みたいな感じで、しばらく行きつ戻りつしながら、半分ヤケクソになりながら、「人はこちらの思うようには動かない、その代わり私も誰かの思惑どおりには動かない。」と念仏を唱えるように、半年1年続けていくと、こちらもまた思考回路がだんだん自然と、そのように変わってくる。

そうすると、不思議なことに心穏やかになってくるのだ。
本当なのだ。


これも1年経った今、説明がつく。

それまでの愚痴のほとんどが、「あの人が私の思い通りに動いてくれない」というもののヴァリエーションだったのだ。誰それさんが、ああ言ってきた、こうしてきた、どうしてなんだろう?私だったらそんな風には絶対言わないのに・・・。

でもそれは私に限らず、愚痴と言うものの正体がそういうものなのだ。
と思ったのは、G子の愚痴を思い浮かべても分かる。話の大半が「T男が自分の思い通りに動いてくれない」と言う内容ではないか。

なので、何かウッと愚痴りたくなった時、ちょっと待った!「人はこちらの思うように動かなくて当たり前!」と強く念じ、相手が動かないのだから自分の力で乗り切ろう(相手から遠ざかる事も含め)とすると、自然とだんだん愚痴や不満が元から消失していくのである。


それでもどうしても「これは違うのでは?」と思うこともある。
相手が変わらない限り、どうにもならない人間関係もあると思う。
そう言う時も「この人のここがちょっとおかしいんだけどな。」とピンポイントでサラリと客観的に捉えるようにしたい。「自分はそういう風にはしないようにしよう」と思うだけなら、愚痴ではない。「観察」し気をつけることで、前向きに考えていることになる。

私もまだまだ、カンペキにはできていないので、これからは更に「求めない」ことを追求していきたいと思う。

あれから1年

2013-07-05 | 日記
gooブログでは、1年前の同じ日に自分が書いたブログ記事をメアドまで送ってくれる。
またいつものように1年前の今日、何を書いていたのか読んでみると、記念すべき2冊の本に出会ったことが書いてあった。(詳しくはここに書いてある。)

それで思い出した。
私はこの2冊のスピリチュアル系の本を「そんなバカナ」と思いながらも、だまされたと思って本当に実践してみることにした。
それは、周りの人に感謝すること。(ちょっとしたことでも「ありがとう」と思ったり言ったりすること。)
それから、日常のありふれたちょっと「いいこと」をみつけること。(その度に手帳に書くと尚よい)

簡単に言うと、この二つである。(詳しく書くと、他にも掃除しろとか、金は惜しまず人のために使いましょうとか、いろいろあるけど都合の悪い事はあまり実践しなかった。)

そして1年経った今、ジャーン(^o^)丿
信じられないけれど、毎日シアワセだなァと思えるようになった。

両親から「お前は妹と違ってふくれっ面ばかりしている、もっとニコニコしろ」だの、「人に感謝しろ」だの言われるたびに「そんなことして何が変わるんだ、バーカ」と思ってきたが、バカだったのは私の方だった。
「ニコニコして周りに感謝すれば自然に幸せになれるんだよ」それを両親はくどいほど伝えたかったのだろう。(実際、彼らはいつもニコニコしていたのだ。)


今日はそれでなぜ「感謝をする」ことが幸せにつながるのか、私なりに分析してみたい。
そこで登場するのは昨日の秀クンである。

今の秀クンは結構ふてくされている。何故ならこんなに自分が頑張って仕事をしているのに、それに見合った評価がない(と本人は思っている)からである。
実際には4月にお給料も1万アップしたのだが、秀クンは「自分は資格を取ったのだから、それぐらい当然」と思っている。なので、給料が上がった事より、「思ったほど上がらなかった」と言う気持でイッパイなのである。

「自分が精一杯頑張る」ということは、「人に感謝する」こととどうしても反してしまうのだ。
精一杯頑張るとどうしても、それに対する評価(結果)を期待してしまう。受験、記録、みたいなハッキリ点数になって出てくるものなら諦めがつくのだが、それが人からの評価みたいなものだと「どうしてあの人はこんなに頑張ってる自分を分かってくれないの?!」と言うジレンマに陥り、人への不満につながり、ますます感謝から遠のくことになる。

本当だったら自分もそこそこ頑張って、人にも感謝できれば一番良いのだが、それができるほど、私達は人間ができていない。それだったら自分で「頑張る」ことを押さえて、人に感謝してみることに力を入れてみよう。

感謝することをメインにしてみると、自分が頑張っていないのだから現状維持で当たり前・・なのに、4月に給料が1万円上がったら、単純に「うれしい」→「社長ありがとう」→「新しいものが買える」→「買ってさらにうれしい気持」と、どんどん喜びのスパイラルになっていく。

上の、今現在の秀クンの思考回路とは、雲泥の差があることが分かる。
しかし、与えられた条件は全く同じ「給料が1万上がった」と言うものだけなのだ。

これが毎日大なり小なり繰り返されていくのだから、1年経つと積もり積もった違いが出てきてもおかしくない。

ね?
「当たり前の小さいことを探して感謝する」
最初は無理にでも、やってみて損はないでしょう?

私もこれから1年間、さらにニコニコして周りに感謝していくことにしたい。


そう言えばこの前TUKAさんが会社にやってきて、「ここの葉っぱ増えましたよね?」と言う。
それは玄関先のグリーンである。

3年前のブログで「この先青々と葉が茂る事はおそらくない」「捨ててしまえばいいのに」とハッキリ思った、しかし協力者がいなくて捨てるに捨てられなかった玄関先のグリーンが、いつの間にか青々と葉っぱが茂るようになったのだ。

言われて初めてそれに気がついてビックリした。
物理的には「だんだんあげる水の量が増えていった」とかそんな辺りなのだろうけど、これを私は「幸せのオーラが伝わった」と勝手に解釈することにしよう。

だって、その方が楽しいからね。^^v

それでもしあわせ

2013-07-04 | 今の会社
最近、毎日コンビニで買い物をしている。

ひと昔前はコンビニや自販機では飲み物をめったに買えなかった。
高いから「もったいない」と思っていたのである。
基本、自分で入れたお茶か、買っても2リットルサイズの底値の安いやつを買って、それをペットボトルにつめて飲んでいた。

それが今ではコンビニで毎日飲み物を買っている。
せっかくなので、ちょっと高い140円のジュースを買う。
気に入っているのが「キリンの泡」と言う炭酸飲料である。「大人のくつろぎ炭酸」と書いてあったので「どんな味だろう」と思って手に取ってみたら、本当にくつろぐ味であった。
たったそれだけで「しあわせだなァ」とつぶやけるのだ。

もう子供のために貯金する必要もない。
あとは自分で稼いでものを、控えめながらに使っていいのだ。
たった140円のものを買うだけで、心に余裕が生まれるんだよね、アッハッハ。


今日は帰り際に暑中見舞いを作っていたら、秀クンが帰ってきた。
相変わらずゼーハーため息をつきながら、「最近、みんないないよね」と言い、自分は今週9日分仕事だ、と言い、(日曜だかに)夜勤があって、また金曜も夜勤だよ、と言う。

「あれ?月曜に社長も早く帰っていいって言ってませんでしたっけ?」と言うと、「言ってないよ!」と言い、「早く帰っちゃえよ、って言っただけでしょ。そう言われても帰れないよ。」と言う。

「誰かに頼めないものでしょうかねぇ」と言うと、「無理だよ」と言い、「あそこ(認知症とかの)の人が入ってはいけない所に入ったり、ずっと誰か見てないといけないんだから。」と言う。

「ZENさんとか、時間がある時に手伝ってもらえないでしょうかねぇ。」と言っても「無理だよ」とか「ダメだよ」とか言うばかり。

自分も昔はそうやってブーブー文句ばかり言ってたので他人の事は言えないのだが、これは考え方の問題ではなかろうか。。。給料も私の倍ぐらいあるし、愛する奥さんもいて娘も生まれて、仕事もしっかり任せてもらえて、人間関係で嫌なことがあるわけでもない。(ついでに車もスマホも全部会社で持ってくれている。)
もっと真剣に相談すれば、誰かに手伝ってもらうこともできるはず。。。(うつ病にならないように休息は必要だと思うけど。。。)

「私だったら、それだけでしあわせでいられるのに。。」


と思った時、ひらめいた。

秀クンに関係ないところで申し訳ないけれど、「私だったら、それでもしあわせでいられるのに。」これをしばらくマイブーム(座右の銘)にしよう。

「独身でもご飯がおいしくてしあわせ」「子供が無職でも元気でしあわせ」「給料が安くてもコンビニジュースでしあわせ」を強力な武器として、「私だったら、それでもしあわせでいられるのに。」とこう言う場面でつぶやいてみよう。ちょっとイヤミかもしれないけど、口に出して言うわけじゃない。

こうして考えると、改めてその状況より「心の持ちよう」なのではなかろうか。

災害で住む家がなくなったり、失業したり、病気やケガで苦しんでいる人には「それでもしあわせでいられる」とは口が裂けても言えないが、少なくても私の身の回りにそこまでの人はなかなかいない。たいていこの言葉をもって事は全て解決する。


その夜、ご飯がたくさん余っていたので「手巻きにするか」とネギトロを買いに行った。その時にコンビニでしか売ってないと思われた「キリンの泡」が98円で売ってたので買った。

「これだけで私ってしあわせ」そう思う自分に酔いしれることにした。

しかしなんと、家に帰ったらすし酢が使い切ってしまったことに気づいた。
ゲゲゲ。
もう一度買いにまた行くか、それとも作るか・・と思ったら、酢と言うもの自体がない。
(私は酢と言うものをめったに使わないからすし酢で代用しているのだ。)
kekeに「どうしよう。。」と打ち明けると、自分が買いに行くと言う。

こんなことでも、いいことがあったと認識する。

「本当は怖い動物の子育て」/竹内久美子

2013-07-03 | 読んだ本
今日も早すぎるほど早く目覚めてしまい(逆不眠)、竹内久美子氏の「本当は怖い動物の子育て」を読む。

新潮新書と言うさし絵がまったくない普通なら絶対借りないタイプの本だけど、竹内さんの本ならばOKなのである。
他の著作でもくどいほど語られている「『種の保存』ではなく、いかに自分の遺伝子を広く残すか」そのためには常識を覆すような行動を時に生物はとってしまう・・と言う具体例が、パンダから昆虫から魚から例をつらねて、文明が発達していない奥地の先住民の話、そして近年事件につながる子供への虐待にまで言及している。

2匹出産しても、片方しか育てようとしないパンダ。
ボス(♂)の入れ替わりで、前のボスの乳のみ子はみな殺しにされてしまうハーレム家族のサルやライオンなどの一部。
力の弱い自分のキョウダイを食べてしまうマグロやカツオ。
自分の遺伝子を残すために、過酷な争いや、より強い遺伝子をもった子供に託す親の本能があるという、そういう内容である。

最後に中国の秘境で暮らす「モソ人」の話があり、ここでは虐待がない。そもそも「結婚」と言う制度がないのだ。父は母の家に通ってくるだけ。つまり、日本の平安時代の同じだという。子供は母親の実家で祖父母や叔父叔母たちに囲まれて大切に育っていく。生まれてくる子供は100%血筋がつながっている実家にいるので虐待が起こらない。
ちなみに「モソ人」は生涯平均で結婚相手が7~8人変わると言う。(男女共に)

血筋と言えば、私は姪っ子がかわいい。
これは本当に不思議である。

私はもともと動物の赤ちゃんを見ても、人間の赤ちゃんを見ても、周りの女子達ほど「キャァ~カワイイ~」と言うノリじゃなかったので、そういうものに対して結構冷淡な人間であるという自覚があった。

それでもさすがに息子が生まれた時はかわいかった。
毎回母乳の時間が楽しみで、何時間見てても飽きなかった。
家に持ち帰って主に二人きりになってからは、寝てる時だけがかわいかったりもしたけれど、同じ布団で寝ていた。自分の遺伝子を持った子供でなかったら、ここまではできないだろうと自覚した。

だけど、姪っ子ふたりもかわいい。やはり遺伝子がつながっているから本能的にかわいいのだろうか、それとも二人ともいい子だからかわいいのだろうか。血がつながっていない旦那側の甥っ子姪っ子も(もしもいたなら)同じように愛せたのだろうか。これは永遠の謎である。

竹内さんの「種の保存だけでは動きません。自分の遺伝子がつながっているかどうかが大切なのです。」自分の生理的感情を振り返ると、きっとそうだろうなと思う。
しかし、その一方で例え遺伝子がつながっていなくても、愛する人の子供だったら大切にできるものかもしれないなァ、とも考えている。この本曰く、それは愛する人からよりいっそう守られたいためにそういう心情に変わっていくのではないか、とのことだが・・・?

私はそのうち自分の孫(遺伝子の行きつく先)に出会うことがあるのだろうか。
それを心から守りたいと思えるようになるのだろうか。(謎)

「ツレがうつになりまして。」/細川貂々

2013-07-02 | 読んだ本
借りて読んでいるのは「ツレがうつになりまして。」/細川貂々さんの本である。
これは旦那がある日働きすぎからウツになってしまい、その様子を漫画でコミカルに書いている。

この作者(奥さん)は、それまでネクラで愚痴っぽい性格だったそうだ。(私みたいな)
しかし、この漫画を読んでいると、奥さんが暗くなっていると旦那も一緒に落ち込んでしまうので、この旦那の病気をきっかけにだんだん明るくふるまうようになっていく。

そして巻末には

「私はそれまでは暗い後ろ向きな考え方をするのが楽ちんで好きだったのですが、それは頼れる人がいるからやってしまうこと。自分がしっかりと生きていくためには明るい考え方をして前向きに生きていかなくてはいけない、ということに気づきました。私にとってもツレの病気は財産になったのです。」(原文どおり)

と結んでいる。

私も今まで(あ、今でもかもしれないけれど)、暗い後ろ向きな考え方をするのが楽だったのだ。

子供の頃は親のせいにしてみたり、結婚してた頃は旦那のせいにしてみたり、その後は子供にやたら期待をかけて、そうでないといけないと思ってみた。
なので何か起こるたびに相手が変わることを願った。
だから親とも上手く行かないし、旦那ともうまくいかないし、挙句の果てに子供とも上手く行かなくなった気がする。100%とは思いたくないが、私にも問題があったのだ。

それを心底思い知った。
でも、その一方で自分の良い所も数えている。そんなダメさ加減を素直にみつめられる自分を好きになった。
ダメなんだけど、いとおしいと思うようになった。
「ダメ」なことが悪いことではなかったのだ。
それもまたここで得た一つの財産なのだ。

それまでは親に認められたり、旦那から愛されたり、子供がちゃんと育ってくれることで自信を持とうとした。それは実は間違いだったのだ。
それを人任せにしていると、人がそうでなくなった時に自分が揺らぐ。
本当の自信は、自分でしっかり自主生産した方がいい。そうすれば人がどう動こうと脅かされないで済む。

これからもいっぱい過ちをおかしながらも、そこのところを人に頼らず前向きに生きていこう。
本当にそう思ったのは、子供も22歳になり、いい年になった今である。

その目線で、人の考えていることが少しだけ見えて来た。
それで見渡してみると、両親は愛情を持って育ててくれた事に気がついた。

今までたくさん言い争いもしてきたけれど、kekeの一連のできごとが自分の財産になったのだと思う。