津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

加藤家侍帳 ・6

2013-11-22 07:31:53 | イベント

      馬廻小姓組

      谷崎伊織組但馬廻与
 参百弐拾四石四斗六升                   谷崎伊織
 弐百五拾石                           岡 伊兵衛
 六拾人扶持                           鉄炮之者 弐拾人
 参百石                              別所伝左衛門
 六百六石五斗                          留田又右衛門
 五百石                              伊藤四郎右衛門
 六拾人扶持                           鉄炮之者 弐拾人 
 五百六拾五石                          谷崎権太夫
 百弐拾人扶持                          鉄炮之者 四拾人
 百五拾石                             広瀬小兵衛
 五百石                              北 与右衛門
 弐百四拾石四斗七升九合                  古橋清介
 弐百九拾八石八斗九升七合                原田久円
 百九拾八石七斗六升参合                  岡村作左衛門
 百八拾弐石八斗八升                     白石権六
 八人扶持                             高森九左衛門
 四百八拾五石壱斗六升六合                渡辺四郎兵衛
 弐百五拾石                           宮川彦左衛門
 弐百石                              中村清右衛門
 弐百五拾石                           衣笠安兵衛
 四百石                              青木四郎左衛門

     粟生一郎右衛門
 八百八拾石                           粟生一郎右衛門
 弐百参拾石四斗参升                     佐東孫右衛門
 六拾人扶持                           鉄炮之者 弐拾人
 百八拾弐石五斗                        美濃部喜兵衛
 五百石                              芳賀五右衛門
 七拾弐人扶持                          鉄炮之者 弐拾四人
 弐百五拾参石六斗七升壱合                中西左太夫
 拾人扶持                             河原林幸庵
 四百石五斗参升                        鎌田弥五右衛門
 百五拾石                             小林孫三郎
 百五拾石                             北里左馬
 弐百五拾石                           木村勘右衛門
 六百八拾壱石七斗六合                   三原十右衛門
 弐百石                              松下勘兵衛
 弐百六拾石六斗八升                     佐野半左衛門
 参百石                              左治太郎左衛門
 八人扶持                             手島与介
 六人扶持                             田尾甚兵衛
 百五拾石 親助之弐百石之内残五拾石は兄治部左衛門被下     森部藤介
 四百九拾八石八升壱合                    傍島右兵衛
 千石                                榎津加々右衛門
 弐百五拾石                           西村新右衛門
 弐百石                              西村太郎兵衛
 弐百五拾石                           高見九兵衛

     杉村弥三兵衛
 四百拾四石弐斗                        杉村弥三兵衛
 七百弐拾石                           池内左太右衛門
 百拾人扶持                           鉄炮之者 四拾人
 百七拾石                             川瀬八兵衛
 参百石                              伴 作左衛門
 弐百参拾五石九斗参升参合                須加吉兵衛
 千四百八石参斗五合                     坂川忠兵衛
 百五拾人扶持                          鉄炮之者 五拾人
 拾人扶持                             吉田忠三郎
 四百石                               奥田九右衛門
 弐百参拾石弐斗九升                     堀江忠兵衛
 弐百弐拾七石九斗弐升八合                 水野善右衛門
 五百弐拾壱石七斗壱升弐合                 松井又兵衛
 六百五拾弐石六斗九升七合                 宮田助八
 弐百参拾六石七斗七升三合                 高橋三郎四郎
 百五拾石壱升                          神谷七蔵
 四百石八升壱合                        森 助兵衛
 五百石                               栗田藤右衛門
 弐百石                               加々山太郎兵衛

     保々因幡与
 七百八拾四石                          保々因幡
 参百参石                             新 次兵衛
 参百拾五石                            平田六右衛門
 百九拾八石九斗参升七合                  越智平右衛門
 百七拾六石六斗壱升五合                  冨田惣兵衛
 百五拾石                             平田多兵衛
 百五拾六石                           古橋六太夫
 六百石  内参百石寛永弐年に加増                里 又作
 百六拾弐石五斗                        平田十太夫
 参百石                              保々甚五左衛門
 百五拾七石六斗                        小畑与右衛門
 百六拾四石八斗壱升九合                  佐治左介
 弐百五石七斗五合                       河北五郎兵衛
 六人扶持                             宮脇与次兵衛
 六人扶持                             坂巻平兵衛
 五人扶持                             安 次右衛門
 五人扶持                             武石理介
 千石                                土田清右衛門
 弐百石                              国友与兵衛
 弐百五拾石                           北村作右衛門
 弐百石                              福永四郎右衛門                                   

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加藤家侍帳 ・5

2013-11-21 16:56:15 | イベント

   前寺田久太夫与
 弐百五拾石                        墨宮伝兵衛
 百石                             伊藤四郎兵衛
 百五拾石                          多羅尾平兵衛
 弐百五拾石参斗五升参合               吉田惣左衛門
 弐百四拾壱石参斗参升五合             田中太兵衛
 弐百四石六斗六升弐合                東條三右衛門
 百六拾九石弐斗五升                  蓑浦新介
    知行高合千参百六拾五石六斗  騎馬七人 

   前丹後与
 弐千四拾八石                      三池式部
 参百六拾参石                      犬塚小左衛門
 参百五拾石                        辺春次左衛門
 参百五石弐斗七升七合                蒲池兵庫
 弐百六拾弐石四斗六升弐合             蒲池弥平太
 弐百弐拾壱石七合                   松村二郎兵衛
 弐百石                           田中善太夫
 百五拾八石七斗九升弐合              筑紫源右衛門
 百参拾四石五升四合                 橋本藤右衛門
 五人扶持                         筑紫与二郎
 五人扶持                         許斐九兵衛
 五人扶持                         土井源介
 五人扶持                         大村弥三左衛門
 四人扶持                         藤 次左衛門
 参人ぶち                         橋本七左衛門
 参人扶持                         牛島小左衛門
 参人ぶち                         盤田右衛門
 参人ぶち                         宗 藤左衛門
 参人ぶち                         原 与兵衛
 参人ぶち                         橋本小兵衛
 参人ぶち                         此美源介
 参人ぶち                         篠原太兵衛
 参人ぶち                         緒方与三左衛門
 参人ぶち                         大野三右衛門
 参人ぶち                         方保田源兵衛
 参人ぶち                         調玄又兵衛
 弐人扶持方                       金子孫左衛門
 弐人扶持                        阿波二郎兵衛
 弐人扶持方                       岡田弥太右衛門
 弐人扶持                        中島新五兵衛
 弐人扶持方                       坂井孫助
 弐人扶持                        墨岩孫右衛門
 弐人扶持方                       佐東太兵衛
 弐人扶持                        原口藤兵衛
 弐人扶持方                       原 新介
 弐人扶持                        緒方九右衛門
 弐人扶持                        海内九郎右衛門
 弐人扶持                        金子助左衛門
 弐人扶持                        城戸久三郎
 弐人扶持                        尾中助兵衛
 弐人扶持                        郡 兵右衛門
 弐人扶持                        神部弥次郎
 弐人扶持                        城戸喜平太
 弐人扶持                        大野善右衛門
 弐人扶持                        西村伝介
 弐人扶持                        緒方作右衛門
 弐人扶持                        友清新十郎
 弐人扶持                        緒方久三郎
 弐人扶持                        友清弥介
 弐人扶持                        山本忠吉
 弐人扶持                        安武少右衛門
 弐人扶持                        盤田孫三郎
 弐人扶持                        高山与右衛門
 弐人扶持                        讃井平蔵
 弐人扶持                        樋口新右衛門
 弐人扶持                        大木勝七
 弐人扶持                        笠 三介
    知行高 合四千四拾弐石九斗五升弐合 騎馬拾弐人
           外に百弐拾人扶持  かちの者四拾六人

   前津田兵部与
 百五拾六石                      安藤宗三郎
 百六拾石                        青江弥二左衛門
 弐百五拾石                      渡辺小平太
    知行高 合五百六拾六石 騎馬参人

 九拾九人扶持           忍の者拾参人
 五百五拾人扶持  新参与         鉄炮之者百八拾五人
 弐百人扶持     美部喜兵衛与     鉄炮之者百人
 百八人扶持     前大脇二郎差衛門与  鉄炮之者参拾六人
 弐百人扶持     四宮藤五郎与     鉄炮之者百人
 七拾五人扶持    前毛利勘左衛門与   鉄炮之者弐拾五人
 参拾九人扶持    前中川寿林あずかり   鉄炮之者拾参人
 百四拾六人扶持  前中村将監預り     鉄炮之者四拾八人

   自分知行高  合参万千弐百六拾八石五斗八升
   自分与力分  合壱万参千九百九拾壱石五斗七升七合
      外に    弐百参拾九人扶持  騎馬八拾九人・かちの者四拾六人
 千五百九拾九人扶持  鉄炮之者・忍之者五百九拾九人
 都合 弐拾弐万四千六百参拾六石
       内
 拾五万五千弐百九拾九石七斗参升     自身分
 六万九千参百参拾石壱斗弐升九合     与力分
      外に四百参拾弐人扶持     騎馬参百六拾五人・かち之者八拾四人
 参千七百拾七人扶持           鉄炮之者千参百参人 

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五人の関係

2013-11-11 11:31:20 | イベント

 史談会の11月例会に使う「肥藩落穂集=銀臺拾遺」を読んでいる中で、いろんな人間関係が見えてきて面白く思える。
略系図にしようと試みたが、図示するにはなかなか難儀で途中でやめてしまった。

   ・重賢公は肥後の鳳凰と呼ばれたが、一方紀州の麒麟と呼ばれたのが徳川治貞公である。
   ・重賢公の兄・宗孝公が殿中で刃傷に及ばれるが、適切な助言をされたのが伊達宗村公である。
   ・徳川治貞公、伊達宗村公室、細川宗孝公室は徳川宗直公の御子である。
   ・その徳川宗直公の兄・松平頼路に細川綱利女・菊姫が嫁いでいる。
   ・綱利公室・久姫(本源院)は水戸徳川家頼房公女である。(頼重・光圀妹だが頼重の養女である)
   ・重賢公室・由婦姫(有隣院)は久我通兄女であるが、通兄の生母は綱利養女(弟・利重女)具姫である。
    通兄の父・惟通の義妹(伯父・通名女)が伊達吉村に嫁ぎ、その子が伊達宗村である。
   ・伊達吉村は仙台藩の中興の祖と呼ばれる。細川重賢公同様藩財政を立て直した名君だとされる。

   ・宇土支藩の細川興文公は重賢公息・治年公の舅である。(室・埴姫の父)又、治年公の養嗣子は興文公嫡子・立禮公(齊茲公)である。
   ・興文公の兄・興里公室は細川宣紀公(宗孝・重賢公父)女・軌姫(清源院)である。

 

             徳川治貞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                 享保13年(1728)                                        寛政元年(1789)62歳 

 伊達宗村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保3年(1718)5月                宝暦6年(1756)39歳 

 細川宗孝 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保3年(1718)4月         延享4年8月(1747)30歳

 細川重賢  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保5年(1780)12月                                         天明5年(1785)2月65歳 

 細川興文    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      享保8年(1723)9月                                         天明五年(1785)7月62歳

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松寿庵先生 第75講

2013-11-07 15:14:19 | イベント
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安政の大地震(南海)・・2

2013-11-05 17:51:27 | イベント

 四日に続いて五日には南海地震と後代呼ばれる地震が起こった。
月代を剃っている最中に地震が起こり、半分は剃り残してそのまま表に飛び出したなど、一行を初め町々の人の驚きが伺える。
それでも地震の被害の大きさを目の当たりにしながら、相州への旅路を急いでいる。

 

                  十一月五日
                尾州愛郡 名古屋城主六十万九千五百石 江戸八十六里廿一丁
                一宮、なるみ一里半一二丁 御用達大森仙左衛門
                  此処ニ八ツ比着船 桑名出船之砌者
                  役人より乗合人数改 船頭江賃銭
                  之外壱銭も渡不申候様之趣
                  重畳申渡候へとも是非仲中ニ而御
                  船玉江御神酒代等して少し充もらい
                  候故遣し候事 然ニ大森方ニ皆々
                  暫休いつれも熱田宮江参詣此社ハ
                  古太(ママ・織)田信長公今川義元公鳴海
                  御合戦之時御参詣被遊候御
                  宮之由ニ而御座候處 荒木・桜井
                  両人者宿ニ残り月代そり居り候處
                  アタマ半分覚ソリ居り候處
                  大ユリニ而勝而口より十四五間も間奥ニ
                  入込居り候故両人共ニ仰天いたし
                  其マヽ乱髪ニ而町江走出候処只々只々
                  ユリ方強ク又々老若男女顔色変じ
                  神仏江祈念之聲々ハゲ敷
                  世直し世直しと地ニ伏しトナへ半町計
                  ユリ日も早及暮候処御用達方裏
                  而より火事トヨバハリ候ニ付家ユリ
                  候中ニ荷物出火ニ逢候而者皆々
                  留守ニ而別而相済不申ト存両人
                  御用達手代四五人ニ而勝手ニ積置
                  候駄津ユラレナガラ外ノ様ナゲ
                  出し漸ク濱辺へ積置候處
                  又々つ波参り候と聢■■いたし
                  候故自然津波参候而者
                  難成と熱田宮馬場江御用達親類
                  候故此処ニ持越候様申聞候ニ付五六丁
                  計之処持越候処脇ニも皆々宮之様
                  持運ハコビ町中おし合へし合よふ
                  よふと荷物駕籠共ニ半分計持上
                  候得共宮参詣人々帰り不申
                  無人ニ而誠ニよふよふとハコヒ申候
                  処又々去ル人より濱手御用達之様
                  持かへし候様との儀ニ付猶持かへし
                  候而漸夕飯抔町中ニ而夕べ候処
                  無程沖ノ方ゴウゴウト海なり
                  するや津波来候ト一ドニどつと
                  さわぎ立親ハ子を負子ハ親を
                  負御宮ヲ差し而老若男女之なき
                  聲天地ヲサケビアハレ成事ニ而候
                  荒木桜井両人ハ大森方より彼方ソウ
                  ドヲノ内灯燈ニ火ヲ付ウスベリふとんヲ
                  取ようようと熱田宮江迯上り候
                  其夜松木之下ニ一夜明し市中之
                  人々社内廣キ故群集集致夜スカラ
                  火をタキ老若男女誠ニ見るニ
                  不忍哀レなる事筆紙ニ難盡
                一、宮之駅致而遊女多く有之処ニ而ユリ
                  不出前ハ所々楷ニ泊興之最中ニ而
                  藝古(ママ・子)舞(ママ・妓)遊女者勿論我をわす
                  れる泊興ニ乗しうたい舞
                  候中彼ノ地震ニ而皆々面見合セ
                  色を変しス呈ニテ迯出ス有サマ
                  前代未聞之事ニ而無之
                  此社ニ懸り石燈籠数多有之候得共
                  一トツモ倒不申アラタナル霊社ニ而候
                  宮宿之駅二合通り損し鳴滝の
                  方出切者四五十軒左右シヨキタヲシニ
                  タワレ候事 宮宿朝五ツ比出立
                尾州名古屋領
                一、鳴海 池鯉二里三十丁
                  此処山手ニ手至而軽クユリ格別家
                  損不申家財■敷出し野小屋懸
                  住居申候 宮より一り半之往還筋ハ
                  橋々損し小屋小屋数多候へとも茶屋
                  一軒モ無之仕度処なく            ・炊事場
                  桶狭間古戦場鳴海之先五日松ト云
                  処之先ニ往来筋壱丁計り右山テニ
                  入あり
                三州刈屋郡土井金三郎様一万三千石 江戸八十ニり
                一、池鯉鮒 岡崎三里三十丁
                  此処ニ昼仕度至当駅も
                  皆々門戸ヲ閉野住居候也
                一、矢矧橋弐百八間
                  此橋日本一之大橋之由 橋より岡崎
                  天守真向ニ見へ絶景也 此処ニテ
                  日本武尊御矢ハキ給由ニテ
                  矢矧ト云シヨシ 極て堅固ナル
                  橋ニ候得共二ヶ所地震之損クボミ候
                  尤矢矧ノ町ハ川端塘付ニテ
                  家数五百軒計崩損 間ニ者
                  メリ込言語道断之事候

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40分散歩

2013-11-04 07:34:11 | イベント

                                                                             販売店のサイトから

 4キロ散歩を宗旨替えして40分散歩を始めた。行程約2.5キロ、高低差18メートルあって膝痛爺にとってはこの程度が宜しかろう。
奥方から「続けることが大切ョ」と一本くぎを刺されたが、今度は血圧降下の大命題があって、早々止めるわけにはいかない。
膝をかばいながらの散歩に成るが、ある程度身体に負荷がかからないと運動にはならないから、兼ね合いが難しい。

途中に最近できたミニローバーの販売店に、話題のくまモンミニローバーが置かれていた。昨日の事だが、通りすがりの人達が盛んに撮影をしていた。
そんな街中の風景を横目に見ながら40分散歩すると、いろんな発見をする。
栗・柿・ザボン・夏みかん(?)・ざくろ等が結構植えられている。まさに秋の風情である。人様の御宅の表札を観察するのは最近の私の癖になったが、気に成るお名前に出くわすと、「古文書なんぞお持ちではないか」などといらぬ妄想を逞しくしている。

さて本日はお昼にしようか、夕方にしようか・・・ 

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説明資料として・・・・(2)

2013-10-31 07:22:04 | イベント

「肥藩落穂集=銀台遺事拾遺」には幾人もの人物が登場する。主だった人を眺めてみる。

■高瀬武昭
    肥藩落穂集の著者である。その序文によればこの著は武昭自身が、常に高瀬文平翁の膝下にあって聞いた事柄の記録であるとしている。
    源太と称していたらしいが、先祖附等で確認することはできない。一族に人であろうことは想像に難くない。
■高瀬文平
    六代の文平であろう。職禄千石・側用人。養子であり不破新右衛門昌命の二男である。生母は松野七蔵妹。
    肥後人名辞典は次のように紹介している。

    高瀬遊山 名は勝正、通称文平、晩に遊山と称す。藩に仕へ食禄百石、御付目付、郡代、御側取次組脇、用人等を勤む。頗る才気ありて一世に秀
           でたる人なりしが、後譴を蒙りて禄を褫はる。天保五年正月没す。享年八十七。墓は本妙寺中龍淵院。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

■宇土侯(月翁様)
    宇土支藩六代目藩主の細川興文公である。名君の誉れ高い方で、一時期幕閣に登用する動きがあったらしい。
    重賢公と時代を同じくする方であり、立場としては微妙であったろう。自ら身を引かれたのか・・・・
    しかしながら重賢公との仲は良かったらしく、その情景をみる一文が載せられている。
    あの球磨川改修の立役者・稲津彌右衛門をたたえる唄「稲津彌右衛門様は佛か神か、死ぬる命を助けさす」を月翁公が歌われたというのである。
    いかにも重賢公らしいのは「様」をつけるのは如何かといわれたそうだが、「様」をつけないと歌いにくいといわれ大笑いされたという。

    重賢公の継嗣・治年公の室が興文公女・埴姫(遥臺院)であり、その跡をついだのは興文公の嫡男・齊茲公(宇土家七代・立禮公)である。

■陸奥様
    人物の特定はできないが、伊達宗村公であろうと思われる。
    内容には触れないが、二人で馬に関しての話が及んだ時の逸話があった。
    宗村公は重賢公の兄・宗孝公とは相聟、共にその室は紀伊大納言家の姫様である。
    宗孝公が江戸城中で不慮の事件に遭遇された時、宗村公の機転を利かせた一言により、いち早く城中からお連れして藩邸に御身を移すことが出来た。
    また宗村公の御生母は公家・久我通誠の養女だとされるが、重賢公の正室・由婦姫(有隣院)は久我通兄女である。
    通兄は通誠の孫・父は右大臣久我惟通。母は細川綱利(重賢の祖父)の養女(細川利重の娘)であり、久我家を通じてもごく近い関係があり、親しい交友があったのだろう。

秋山儀右衛門
    藩校時習館設の初代教授である。ここで取り上げられている、「爾(汝)は国家の大工とのしゃか(大工殿じゃが)、外に頼む事とてはなし、我がまつほりの若き者共
    導きくれるには(後略)」の逸話はつとに有名な話である。

■蒲池喜左衛門
    宝暦の改革の立役者・堀平太左衛門の元にあって、共に活躍した人物である。のち中老まで上り詰めた。

    蒲池崑山 名は正定、通称喜左衛門、崑山と号す。人と為り厳正、人に異る志操あり、而して性遅鈍、少しも利発なる事なく、言語も即時に出兼る程の人なりしが、
    器識ありて大事を処するの才あり、奉行職となり、後には大奉行を兼ね政務の難局に當り、即座に決し難き事は一夜思案して翌日出仕して陳述するに、必ず奇
    計妙策にして同僚同意心服せざる事なしと云ふ。時に三間梯子の称あり、尢名誉ある人なり。
    食禄九百石、宝暦改正に力を致して功績大なり。寛政五年十二月十八日易簀、年六十六。墓は内坪井流長院。 

■その他藩士、岡田喜平・中西格助、内山又助・木原惣兵衛、鳥井銀平などの名前が登場している。名誉なことではある。
    
     

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斎村政広

2013-10-20 07:46:18 | イベント

田邊城を攻めた武将の一人に赤松左兵衛がいる。メジャーな名前ではないと思っていたが、最近の思いがけない「竹田城ブーム」で城主様の名前も脚光を浴びるだろう。赤松左兵衛佐の名乗りで知られるが、齋村政広その人である。藤原 惺窩等との交流があるという文化人だから幽齋との交流もあったと思われるが、田邊城攻撃で相対した。のち東軍に寝返ったが罪を得て切腹させられている。

血統の上では赤松氏本流とされる政広だが、あのように優雅な竹田城に在って文化的交流を楽しみながら過ごしたいという願望があったであろうと思われるが、右か左かの選択を迫られる非常な時代に生きたことが不幸であったと言わざるを得ない。

田邊城攻撃に当たって政広の旗下にあった井門亀右衛門の働きは、籠城側の細川家からも認められるものであった。
政広の死後、細川家の誘いによって亀右衛門は召し出される。忠興の側近として重きをなし、宇土支藩が創立されたのち井門家は家老職を務めることに成る。

いま竹田城が「日本のマチュピチュ」などといわれて注目を浴びているが、誠に優雅な姿がいつまでも保たれるよう願わずにはいられない。

                     竹田城フォトギャラリー(朝来市)
 

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松寿庵先生 第72講

2013-10-13 09:16:06 | イベント

                       
                                 豊後街道(ぶんごかいどう)

                                                                              大津町生涯学習センター

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熊本大学永青文庫研究センター主催シンポジウム

2013-10-12 13:44:58 | イベント

                          http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/eisei/event/2013/09/30121.html

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第18回「草枕」国際俳句大会

2013-10-11 09:10:12 | イベント

                                                                                         http://kusamakura-haiku.jp/

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全行程11キロ・・我と思わん方へ御案内

2013-10-08 14:54:00 | イベント

                                詳しいことはこちらから  http://seinansensou.jp/

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