阿蘇を源として熊本平野を貫流、有明海に注ぐ白川に豊前街道から薩摩街道へと連絡するために懸けられているのが長六橋である。
慶長六年に架けられたのがその名前の由来である。慶長六年にどのような橋が架けられたのか資料を見いだせないでいる。
話によると大雨の時期に成るとしょっちゅう流されて、橋が無かった時期も多かったのではないかと思われる。
最近見出した寛永十七年の頃の記事である。
これによると、この時期は橋は流失したのか船渡しで不自由であるから、舟橋を懸けたらどうかという話が持ち出されていることが判る。
そのごどうなったのか、熊本藩年表稿でもたどってみようかと思っている。
goo blog お知らせ
goo blog おすすめ
カレンダー
最新記事
カテゴリー
- ご挨拶(279)
- 年表(8)
- 論考(73)
- 熊本史談会(159)
- 講演会(49)
- イベント(42)
- 人物(290)
- 先祖附(325)
- 花押(45)
- 熊本地震(176)
- 地図散歩(131)
- 色・いろいろ(29)
- 自分史(25)
- 木下韡村日記(5)
- 細川小倉藩(550)
- 恕斎日録(鶴崎編)(1)
- 私の本棚(6)
- 創作(9)
- 細川家譜(167)
- 史料(2009)
- 古写真(26)
- 俳句(76)
- 家紋(109)
- 有吉家文書(84)
- 旦夕覺書(46)
- 保存(17)
- 展覧会(134)
- オークション(514)
- 堀内傳右衛門覺書(27)
- 侍帳(11)
- 小川研次氏論考(27)
- 沼田家文書(11)
- 催し物(4)
- 熊大永青文庫研究センター(1)
- 掃苔(9)
- 爺の遠吠え(1)
- 歴史(2540)
- 恕斎日録(39)
- 書籍・読書(1056)
- 新聞(114)
- 熊本(830)
- 徒然(2535)
- 随想(9)
- memo(114)
- 些事奏論(22)
- 建築(23)
最新コメント
- 津々堂/■佐藤家と草野家
- 草野/■佐藤家と草野家
- 荒木幹雄/■「堀内傳右衛門覺書」‐(25)
- 津々堂/■吉原実氏論考御紹介ー『隔冥記』に現れる勧修寺家と飯山佐久間家の交わり(2)
- 津々堂/■難行苦行
- 大原/■吉原実氏論考御紹介ー『隔冥記』に現れる勧修寺家と飯山佐久間家の交わり(2)
- 柴田/■難行苦行
- 津々堂/■「東風」という風
- ツツミ/■「東風」という風
- 津々堂/細川家家臣・大木氏
バックナンバー
ブックマーク
- 肥後細川藩捨遺 - 管理人のメインサイト。
- 九州の雄・肥後熊本五十四万石を、237年にわたり統治経営した細川家の歴史と業績をご紹介するサイトです
- goo
- 最初はgoo